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なぜGHQは靖国神社を解体しなかったのですか?
二、三年前のNHKスペシャルで靖国神社の特集があったときに「当初連合軍は靖国神社の解体を計画していた」というナレーションがあったことを記憶しています。 たしかに占領軍にとって、靖国神社は「軍国主義の象徴」であり、すぐに解体を指令しても全然不思議ではなかったのですが、なぜか解体せずに現在の靖国問題に至っています。 そこで疑問点がありますが、 1.なぜGHQは解体を指令しなかったのか?(特に昭和21年までの時点で) 2.もし解体を指令していたら、一般の国民にどのような影響があったのか? この二つのうちのいずれかで良いですから、ご回答をお願いします。
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> なぜGHQは解体を指令しなかったのか?(特に昭和21年までの時点で) GHQの占領政策を考える時、いつも考慮に入れるべきは、東西冷戦が急激に迫って来た事です。 1949年には中華人民共和国が成立。 米国は日本を改革するよりも先ず、自分達の陣営に取り込む事を優先させたのです。 天皇制の維持も、そのひとつです。 GHQにとっては農地開放、財閥解体といった経済T改革と新憲法発布が優先事項であった。
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- ブレイブ(@bravest)
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自分達以外の宗教を認めようとせずに弾圧したりする行為は野蛮な事です。 中世ならいざ知らず、科学的先進国を自認するアメリカがそのような愚を犯さなかった事は不思議ではありません むしろ、現在も靖国にクレームをつけている連中のほうが前時代的な野蛮人なのでしょう
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ご回答ありがとうございます。 中国当局の宗教弾圧の実態も確かに知っています。(キリスト教の地下教会、すなわち当局公認以外の教会への迫害など) 一方、民主主義が一応確立されている韓国でここまで反靖国になっている理由は、戦時中の「皇民化運動」が影響していると考えています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E6%B0%91%E5%8C%96%E6%94%BF%E7%AD%96 この時神社参拝を強要されたことも反靖国運動に影を落としていると考えていますが。
- dulatour
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諸外国が、靖国神社を問題にしているのは、A級およびB級戦犯を合祀しているからです。 戦争を遂行した責任者であるA級戦犯などが靖国神社に合祀されたのは、1978年(昭和53年)です。 これは、戦後30年近くたち、戦争への直接的な意識が薄れ始めた頃に、戦没者という大票田を得るために同時の中曽根首相が行ったことでしょう。 この時点から、中国などからの風当たりが激しくなりました。 なぜ、靖国神社問題に対して、今回のような議員の歯切れの悪い答弁はこの時点から続いています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 つまり2の質問については戦犯の合祀問題もなく、アジア諸国とのトラブルもなかったと理解して良いですね?
- buchi-dog
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「なぜGHQは解体を指令しなかったのか?」 GHQは、靖国神社の撤去、あるいは廟堂化(無宗教化)を検討していたそうです。 しかし、ローマ法王庁の在日代表(カソリック聖職者)が 「戦争に負けた国であっても、その国のやり方で戦死者を祀る権利がある」 とマッカーサー元帥に進言し、靖国神社はそのままとすることとなったそうです。2日ほど前の産経新聞に、下記Webに書いてあることと同趣旨のことが書いてありました。 「戦後マッカーサーが靖国神社焼却を考えた時、反対意見を述べたローマ法王庁駐日バチカン公使代理ビッテル神父の言葉を思い出す。「いかなる国家も、その国家のために死んだ人に対して、敬意を払う権利と義務があり、戦勝国、敗戦国を問わず平等の真理である。信仰の自由の中で、どんな宗教を信仰している人であろうと、国のために死んだ人は靖国神社で追悼されるべきである」と。」 http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2004/0406/sitei1.html
お礼
ご回答ありがとうございます。上坂冬子さんの本にも同じ事が書かれていましたね。 ただビッセル神父も、まさか戦争指導者(いわゆるA級戦犯)が合祀されることまで想定していなかったのではないかとは思いますが…
お礼
ご回答ありがとうございます。 >米国は日本を改革するよりも先ず、自分達の陣営に取り込む事を優先させたのです。 天皇制の維持も、そのひとつです。 ありがとうございます。1の疑問については完全にすっきりできました。 たしかに「軍国主義者」を排除しながら、政府を解体しないで維持するという政策にある程度、合致できますからね。 当時の世論が急激に左傾化するのを避ける配慮かもしれないですね。