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靖国神社とは?意味や軍事目的、会津・西郷の祀り方について
- 靖国神社は、戦争で日本側として戦い死亡した人々を祀る神社です。
- 明治政府が造り、軍が管理した軍事目的の施設でもありました。
- 靖国神社はA級戦犯が祀られるようになったのは死後20年以上経ってからであり、会津や西郷を祀らないのは靖国にその気がないためです。
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日本の神社では、お祀りする対象についての決まりがありません。だから誰をお祀りしても構わないのです。京都の伏見稲荷大社では、小説家の阿佐田哲也(色川武大)さんが「ギャンブルの神様」として祀られています。神田明神の主神は、表向きは天照大神となっていますが本当は平将門公です。かなり皇居に近いところで逆賊が祀られています・笑。 んで、靖国神社は「国(明治政府)のために戦って死んだ人たちを祀る施設を作ろう」ということから始まった神社です。神社としては非常に最近の神社なんですね。 会津や西郷は明治政府からすれば「敵」になるわけですから祀る対象にするのは差し障りがあるということになりますね。それは明治政府から「敵認定」された人たちもあまり望まないことだと思います。第二次大戦では、日本兵として戦争に参加して戦死した朝鮮人の人たちが何人もいます。本来は彼らは日本兵として参加したわけですから靖国神社のお祀りの対象となりますが、それをやったら韓国の人たちは感情的に猛反発することでしょう。 >多くの国では、自分の国を守るためという愛国心で十分に戦います これは多くの国では独立戦争を経て自分たちの国を作ったという歴史があるからです。オランダやアメリカもそうですね。一方の日本はどこかの国の支配を受けたという歴史がありませんから、戦争というのは戦国時代のような身内でやる内戦か、朝鮮出兵や日清・日露・日中の各戦争のようにヨソに攻め込んでやるかのどちらかなのです。 >では日本人はどうだったのでしょうか?愛国心が足りなかったから「戦死したら神様」ルールを加えることで士気を補おうとしたのでしょうか? だから明治政府が大変苦労したのがそれだったのです。江戸時代でいうところの農民や町人が「お前たちもこれからは徴兵で兵隊になるように」っていわれたら、猛反発したんです。「そういうのって、武士がやればええやん。なんでうちらがやらなあかんねん」て。徴兵制度をどうするかっていうのは明治政府内においても侃々諤々の大論争にもなりまして、これはこれで面白い話がありますが今回は割愛。 それで明治政府がやったのが、「尋常小学校で子供たちを教育する」だったのです。天皇陛下は君たちのお父さんと同じなんだよ。だから、天皇陛下のために大人になったら兵隊になって忠誠を誓うんだよ、と洗の・・・、いえもとい、教育をしたのです。 ちなみにこの教育システムをまんま真似したのが北朝鮮です。 そしてもうひとつの宣伝(プロパガンダ)として、「戦死したら靖国神社で手厚く祀られて神様になる」というのを用意したのです。ほんで「こんな立派なおやしろに神と祀られもったいなさよ母は泣けます嬉しさに」なーんて宣伝ソングも用意したのです。 ただ、そういう人たちをまとめて祀る神社というのはどのみち必要なものだったと思いますよ。どこの国にも戦死者を弔う施設はありますからね。
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- kitsunetoneko
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14番目の回答者です m(__)m 御礼を頂きまして ありがとうございます..すいません 私の回答上の記載にあった,会津=賊魁に関する拠出が,明治時代の靖国神社の宮司の文章からという部分は,間違いで,Web上で確認しますと,明治新政府(軍)の,奥羽総督による,『奥羽人民告諭』という文章;通達の文言からの,私の解釈でした..当時の日本各地の百姓;一般市民達の多くは,天皇という存在などに関する,はっきりとした認識や理解などがなかったらしく,明治新政府側が,天皇を中心とした中央集権国家を,形成して行く為に,当時の,日本各地の,各県などに,天皇の尊さなどを記した訓戒などを発布し,天皇への忠誠を諭したようです..その一つの,『奥羽人民告諭』では,天皇は,会津が,賊魁でありながらも,命を助け,滅ぼさずに,家名を存続させたと,天皇の慈悲深さなどを,説いているようです..又,明治新政府が,日本国民に,天皇や,天皇大権(主権),それに伴う国体に関する認識を,隅々まで浸透させ,忠勤させる為の,教育手段が,尋常小学校での,教育勅語の,学校長の音読や,各学校内にもうけられた,神社にある,天皇・皇后両陛下の御真影だったりしたようです..教育勅語自体は,道徳的には,確かに,良いことを言っているのですが,やはり,当時の,天皇大権や,天皇崇拝などといった,日本の神話的な部分も多く,戦後は,国会で,廃止されたようです..又,小学校などの授業にあった,修身という科目にも,教科書には,『日本ヨイ国 キヨイ国 世界に一つの 神の国 ‥』などと書かれていたとかで,いわゆる,当時の,国家神道や,皇国史観の表れのように思えます..靖国神社の唱歌も,明治から昭和にかけて,数多く作られ,歌われたようです..会津藩に関しては,戊辰戦争当時の会津藩士などを,靖国神社に,合祀する案は,戊辰戦争当時などの,明治新政府側に対抗した,輪王寺宮(東武皇帝?)様の擁立などの説もあるので,難しいかもしれませんね‥‥
お礼
なるほど。「会津=賊魁」という記述は靖国の文書ではないものの、明治政府軍側の文書にあったのですね。 今考えれば「天皇は人間じゃありません、神様です」なんて、狂った時代だったんですよね。靖国は狂った時代の遺産なのかもしれませんね。 それにしてもすごい資料を読んでいらっしゃるのですね。 参考になりました。ありがとうございました
- kitsunetoneko
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幕末期などの日本人にも,いわゆる愛国心や,国を想う心は,あったと思います..特に,『墨夷(アメリカのこと)』のペリー艦隊が,日本に来航した際には,異国の驚異に,てんやわんやしながらも,それぞれ,尊皇攘夷派,尊皇佐幕派,佐幕強硬派,尊皇開国派などの,思想的な派閥に分かれながらも,各藩の人間達などは,日本という国の将来を憂い,それぞれのやり方で,日本の為に闘っていたと思われます..ナチス=ドイツの時代にも,ナチス=ドイツの軍人として活躍した軍人などには,十字勲章のような,プロテスタントの信仰にちなんだ十字架のマークの勲章や,ペンダントが,もらえたりしたようですので,日本の旭日勲章のような習慣と似通っているような気がします..日本には,今でも,叙位・叙勲の習慣は,ありますね‥ (1)靖国神社は,もともと,明治新政府の重鎮である,伊藤博文氏や木戸孝允氏,山県有朋氏や井上馨氏などを産んだ安芸毛利氏の長州藩の意向などで建てられた,招魂社が起源のようで,長州藩のお抱え軍政家の故大村益次郎氏を祀る為の神社だったようですが,後に,戊辰戦争で亡くなった長州藩士や,公家,朝鮮半島や台湾への出兵などで亡くなった日本人,日清・日露戦争や,柳条湖事件から始まった日中戦争で亡くなった日本人や,太平洋戦争で亡くなった日本人など,朝鮮系や台湾系日本人の戦没者なども含めて,たくさんの人々の慰霊が,まとめて,祀られているようです..靖国神社自体は,聖君と言われた明治天皇が主体となって建てられた神社ですが,日中戦争や太平洋戦争中などには,近衛兵が参拝したり,国民学校の初等科の音楽の授業では,『靖国神社』という歌が歌われ,当時の日本人は,小さい頃から,天皇の為に勇ましく戦い,たとえ亡くなったとしても,靖国神社に,その魂は,帰って行く?(意訳しています m(__)m)みたいに教えられていたようです‥ガダルナカル島などでは,ほとんどの日本人が,餓死だったみたいですが‥ (2)旧内務省と旧日本軍が管轄していたようです..太平洋戦争中などは,戦意高揚の為に利用されたようです.. (3)他の神社と違って,多くの日本人の慰霊が,全部まとめて祀られている点が,靖国神社独特のようです.. (4)明治時代の靖国神社設立の際の宮司?の文章などに,会津=賊魁とありますので,明治新政府に,反旗を翻した人々は,祀られ難いのかもしれませんね‥宮司さん次第かもしれませんが‥
お礼
>戦意高揚の為に利用された やっぱりそうなんですかね。 >全部まとめて祀られている点が,靖国神社独特 そうですよね。 ありがとうございました
補足
>靖国神社設立の際の宮司?の文章などに,会津=賊魁とあります なるほど。靖国の文書に明記されていたのですね。そしてそれを今でも継承し続けているという事なんですね。もしその文書が何という名称なのかなど、その文書に関する情報がありましたら教えていただきたいです。よろしくお願いします。 今検索したらこんなニュースがありました。こういう動きも少なからずあるのですね。 靖国神社に会津藩など「賊軍」も合祀を 亀井静香、石原慎太郎両氏が申し入れ - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/161012/plt1610120024-n1.html 2016.10.12 18:04 靖国「賊軍」合祀計画に会津出身者 「戊辰戦争の総括が必要」│NEWSポストセブン http://www.news-postseven.com/archives/20161005_453252.html 2016.10.05 07:00
- ichikawa2017
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No.5.11です 補足を頂戴しましたので補足説明します。 価値観等の推移につきましては、靖国神社を主体としていますので日本全体の歴史的な経緯としては欠落した部分が多々ありますので誤解なきように願います。 靖国神社創建期(明治初期) 〇国民には統一国家というものがどのようなものかという知識も意識もなかった。 〇国民にとっては国というのはあくまでも自身が所属する藩であった。 〇藩の存亡にかかわる争いで亡くなった家臣であってもその慰霊は仏教に基づいて各遺族が所属する寺院で行っていた。 靖国神社の目的と意義 〇統一国家の主権者であった天皇が、明治政府設立の際の戦で亡くなった臣下の霊を祀るための施設として設けられた。 〇霊を慰めるという趣旨から当初は東京招魂社とされた。 〇明治政府設立され以前まで強い影響力を持っていた仏教寺院を政治の場から排除する必要があり、慰霊にあたり寺院に代わるものが必要であった。 (江戸時代には統治に不可欠な戸籍は寺院が管理していました) (幕府をはじめ大名家では政治顧問として多くの学識のある僧侶が採用されていました) 〇慰霊に当たり神道を模したことから祀られる者に神格があたえられた。 台湾出兵以降 〇旧武家層に相当する士族は旧藩に対する責務は認識していても統一国家の国軍は評価せず就任を嫌忌していた。 靖国神社の意義 〇台湾出兵で戦闘を行ったのは徴兵によって全国から集められた兵員であった。 〇戦死した兵員が明治政府の設立を阻害した藩に所属していた人間であっても明治天皇の家臣として慰霊するために靖国神社が用いられた。 〇これ以降国軍に所属する人が内外の戦闘で戦死した際の慰霊施設として位置づけられるようになった。 明治中期 〇藩という考え方が衰退し日本国対諸外国という考え方が常識となった。 〇日清戦争後の三国干渉を切っ掛けに外国に対する警戒感が強くなり同時に国軍の充実が求められた。 〇日露戦争後には日比谷焼き討ち事件のように民間人による政治運動も行われていた。 靖国神社の意義 〇従来は主権者である天皇に対する忠霊とされていたものが日露戦争以降は国家に殉じた英霊とされるようになった。 明治末期~大正 〇ロシア革命に触発されて社会主義、無政府主義などが広まっていった。 〇大逆事件などのような政治活動もおこなわれていた。 〇同時に大正デモクラシーと言われるように民本主義も広まっていた。 (大日本国憲法では主権者は天皇であったことから民主主義という言葉は使われませんでした) 〇米騒動のように民間人による社会運動もおこなわれていた。 〇第一次世界大戦後の国際的な軍縮政策から軍人の社会的地位は低下していた。 〇天皇は国家を統治するための一機関にすぎないという考え方が学会をはじめ社会的な常識だった。 靖国神社の意義 〇明治神宮が創建されたこともあり、国家的に主要な施設とは見なされていなかった。 昭和初期 〇昭和恐慌による混乱から議会を超越した軍部による政治介入が強化され軍事政権化していった。 〇政党の党利党略優先で政府が機能不全となり国民の軍部への期待が強くなっていった。 〇全体主義が徹底され国民の間でも個人の主義主張よりも組織の大小を問わず組織全体の意向が優先された。 靖国神社の意義 〇国論の統一ということを目指していた軍事政権が国家神道を優先しその中核をなす施設と位置付けられた。 (国家神道という考え方は明治初期からありましたが、これを優先して国家運営の中核にまで引き上げたのは昭和初期の軍事政権です) 第二次世界大戦中 〇戦争遂行が目的化された。 (戦争というのは外交上の一手段であって目的ではなかったものを目的化した時代でした) 〇戦争遂行に協力することが国民の義務と考えられていた。 〇嫌な義務だとは考えても拒絶したり廃止しようという考えは持っていなかった。 〇治安維持法が制定され社会主義思想は徹底的に弾圧された。 靖国神社の意義 〇戦争を遂行するのに必要不可欠な施設と位置付けられた。 〇国民の間でも戦死者の霊を慰霊し遺族を慰める崇高な施設と考えられ靖国神社を尊崇するのは正しいことだとされていた。 〇軍人軍属のための施設に止まらず、徴収された民間人にとっても必要な施設とされていた。 戦後 〇全体主義は否定され個人の主義主張が優先されるようになった。 〇政府に対する批判批評は自由になった。 〇国家神道は全面的に否定された。 靖国神社の意義 〇単なる一宗教法人の施設とみなされるようになった。 〇昭和60年以降に政府の要人が参拝することが問題として取り上げられるようになった。 〇それ以前は、個人の信教の自由とされ問題視されることはなかった。 個々の用語についてはネットに沢山掲載されていますのでそちらをご覧ください。
お礼
>霊を慰めるという趣旨から当初は東京招魂社とされた。 >従来は主権者である天皇に対する忠霊とされていたものが >日露戦争以降は国家に殉じた英霊とされるようになった。 >国論の統一ということを目指していた軍事政権が >国家神道を優先しその中核をなす施設と位置付けられた >戦争を遂行するのに必要不可欠な施設と位置付けられた。 この変遷だけでも、靖国が性質や解釈を軍の都合で短期間に変更させられてきたということが分かりますね。 中国などが「靖国神社は軍国主義の象徴だ」などと言っているのを、昔は「あいつら何を言っているんだ」と思ってきましたが、中国人の主張・認識の方が正しいように思えてきました。 ありがとうございました
- Michael-M-Peter
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靖国神社は東京招魂社と言いました。招魂社とは霊廟、神道でいうところの祖霊社です。 墓とは別に霊を祠るところで、神道では墓ではなく通常は祖霊社で故人や先祖の祭事を行います。 当初は明治天皇発案としていますが、明治政府が徳川の仏教に重きを置いた(と政府が思っているだけ)政治に対し、神道を中心とした日本を作ろうと考えて作ったものです。でも明治政府の考える新党の中心はあくまで伊勢神宮(アマテラス)であり、天皇ですから東京招魂社はあくまでも霊廟です。 しかしやがて軍部が力を持ち政治にかかわるようになって日本も軍事政権国となっていきました。このとき軍政府が伊勢神宮に代わって中心としたのが靖国でありそれが国家神道と呼ばれるものになるわけです。軍事目的というより日本人の心の中心にしたのでしょう。 だからGHQは国家神道を解体し、国の神道に関する組織をなくし、しかし直後に神社本庁の設立を許可しているわけです。 神社本庁はさほど明確な意見はありませんでしたが、昭和25年頃より政治的発言が増え、国家神道復古運動が始まっています。その中で神社本庁は「靖国神社は国家鎮護、国家が管轄すべき神社である」との姿勢から神社本庁統括とはしない。しかし終戦直後は官幣中社であったはずだと思います。 靖国はあくまで明治政府に都合のいいものが祠られています。だから関係ない坂本龍馬がいたり明治天皇が親しく思っていた西郷は反乱を起こしたから居ないのです。会津に関しては禁門の変で長州藩勢との戦いで戦死した会津藩兵らは、朝廷(天皇)を守護したとして祀られています。 会津は敵ではないです、昔宮司に会津松平家の13代だったかな?が宮司にならないかと打診されましたが、会津藩氏がほとんどいないことを理由に断っています。靖国がどうのこうのでは哭く、いまだに明治時代の妄想を継承しているのでしょう。 しかし戊辰戦争において偽勅と偽の御旗で幕府軍を退け、京都に入って朝廷を脅して勅を得たことはもはや公然の事。しかも江戸城が開城したにもかかわらず、その後も戦争を続けたことは国際法に照らしても恥ずべき行為でしかありません。 靖国は政治的な目的で作られた神社です。しかしだからこそ、靖国神社が自発的に誰を祀るかではなく日本が関係する戦いで亡くなった人を全て祀るべきだと考えます。 西郷や会津兵士が靖国の敵なのではありません。靖国にわずかな勇気がないからできないだけなんです。 私は靖国が「銃後の兵」と言われて頑張った第二次大戦中の日本人犠牲者を魔売っていないことが気に入らず、靖国は重視していません。靖国に行くくらいなら各地の護国神社や慰霊碑を詣でた方が遥かに慰霊になります。東京では合同慰霊祭があれば十分なんです。 しかし解決法はいくらでもあります。合祀しないまでも戦争犠牲者は全て境内社として祠ればいいんです。簡単ですよね。それだけの事です。 それができない以上、靖国なんてそんな特別なものじゃないです。
お礼
>神社本庁は「靖国神社は国家鎮護、国家が管轄すべき神社である」 >との姿勢から神社本庁統括とはしない。 >しかし終戦直後は官幣中社であったはず 経緯や意図がはっきりとはわからないのですが、とにかく神社本庁は、靖国神社は性質が違うからうちの管轄じゃないと判断したということなのですね。なるほど。 >いまだに明治時代の妄想を継承しているのでしょう。 >西郷や会津兵士が靖国の敵なのではありません。 >靖国にわずかな勇気がないからできないだけなんです。 やっぱりそんな感じですよね。 ありがとうございました
補足
>軍政府が伊勢神宮に代わって中心としたのが靖国でありそれが国家神道 >軍事目的というより日本人の心の中心にした 「日本人の心の中心」というのは、通常は「日本人」が自然に形成していくものだと思います。政府が「日本人の心の中心」を造り替えたという点はとても違和感を感じます。軍事目的でないというのなら、何のために「日本人の心の中心」を造り替えたのですかね?
- ichikawa2017
- ベストアンサー率54% (452/836)
No.5です 補足を頂戴しました。 説明に舌足らずの点があり失礼しました。 「日本には古来国家や組織に著しく貢献した人に神格を与えれて祀る」 日本の神社の祭神には天照大神のように元々神格を持った人格神を祀るものと坂上田村麻呂の田村神社や平将門の神田明神のように人を神として祀るものとがあります。 例 八幡宮・・・応仁天皇、神功皇后 武内宿禰 三翁神社・・・平清盛 白幡神社・・・源頼朝 豊国神社・・・豊臣秀吉 日光東照宮・・・徳川家康 湊川神社・・・楠木正成 etc これらのことを一括して古来あるいは習慣と表現しました。 「ただの末端の兵士が戦死して神と祀る風習は少なくとも日本にはなかったと思いますが」 当初の説明にもありますように、上記の人を神として祀った宗教的習慣を末端兵士にまで適用したのが靖国神社であったということです。 末端兵士を神として祀る習慣があったとは説明していません。 「あくまでも幕末から明治頃にかけて造った新興宗教ルールではないでしょうか?」 ご指摘の新興宗教に相当するのが靖国神社です。 当初の説明にもありますように靖国神社の末端兵士を祀る様式は他の神社には類例がないので靖国教のご本尊と考えたほうがいいのではないかとしています。 お礼の中に「日本人を分断させるような価値観の神社にも感じますよね…。」とありますが、当初の説明にもありますように靖国神社の意味づけは時代時代で変わってきています。 歴史的な事象を現代の価値観で評価しますと誤解や混乱が生じます。 寺院や神社などを継承されている方々はご自分達が受け継いできたものを可能な限り継承しようとされます。 靖国神社問題が面倒なのは、マスコミなどがこのことを無視して現代の自分達の価値観で批評批判することから起きています。 数年前に安倍首相が靖国神社参拝の意向を表明した際にアメリカの国務長官が靖国神社に隣接する千鳥ヶ淵戦没者慰霊碑を敢えて訪問したことがあります。 アメリカの価値観に基づいた行動です。 このように国際的な政治問題にも巻き込まれています。 広島の原爆慰霊碑についても同様のことが度々あり核兵器廃絶運動も分裂を繰り返してきていました。 今回オバマ大統領が訪問する際もアメリカ政府内に慎重論がありました。 原爆投下を正当化しているアメリカ政府としての慎重論です。 質問者さんのご意見を批判するものではありませんので誤解なきように願います。
お礼
ありがとうございました
補足
>現在とは価値観が異なりますので誤解なきように願います。 >時代時代で意味づけが変わっています。 >靖国神社の意味づけは時代時代で変わってきています。 とありますが、価値観や意味づけが、「異なる」「変わった」という言葉だけでなくどう違うのか、どう変わったのかなど、その内容についても教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
多くの兵士、東京に住んだこともない田舎もんの兵士達にとっては靖国神社と言われてもピンと来ないものだったのでは。
お礼
ありがとうございました
私は日本人ですが、古い時代から、権力者の国民道徳コントロールに輪廻転生の教えと神が使われたのです。お天道様は見ているから規律道徳を守るという習慣で、それが今も残っており外国人もびっくりするのですね。 死をもって戦って欲しいと望む権力者が考えたせめてもの償いが靖国神社ですね。これはよい悪いではなく、時代の流れと受け止めるべきです。
お礼
輪廻転生派仏教です。それは普通です。戦死したら神様は靖国神道だけです。そんな考えは明治になって作られた世界的に珍しい宗教なのですよ。 ありがとうございました
- 久保 泰臣(@omi3_)
- ベストアンサー率24% (254/1030)
兵士がためらわずに死ぬための、軍政府による偶像です。 民を想う天皇は、その政府に利用され続けた怨念があるので、 子孫も参詣しません。 外国では慰霊なされてます。 国会議員は、悪だった政府側の人間なので参詣します。 中国の内政干渉に反発して参詣するほどのものではありません。 境内には放射能を発する花崗岩を敷き詰めています。 すこし浴びた方が、遺伝子修復力が増すそうですが。
お礼
> 兵士がためらわずに死ぬための、軍政府による偶像です。 ありがとうございました
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5118)
>靖国神社とはどのような意味があったのでしょうか? 靖国神社は、明治政府が建立した「官営神社=国家神社」です。 幕末の「倒幕戦争」で死亡した「官軍兵士」を神として祀る神社です。 ですから、討幕側の長州藩兵戦死者などは靖国神社に神として祀られています。 反対に、佐幕派の兵士(会津藩兵士・新選組・白虎隊など)は祀られていません。 つまり「時の為政者の為に、戦死した兵士を神として祀る神社」です。 先の大戦で死亡した兵士・兵士に準じる方も、自動的に靖国神社に神として祀られるのです。 「靖国(神社)で会おう」は、命を懸けて日本の為に戦う決意を述べる言葉ですね。 >靖国神社は軍事目的の施設だったのでしょうか? 軍事施設では、ありません。 終戦までは「国が管理する神社」でしたが、軍事施設とは認識されていません。 >なぜ今だに神社本庁に属さないのか? 国家神道・軍国主義との関係ですね。 軍事色が強い神社ですから、神社庁(民間組織団体)でも靖国神社が加盟していない事を喜んでいます。 神主の資格は「神社本庁」が、認定しています。 毎年莫大な上納金を納める義務が発生する上に、神社独自の行動が出来ないなど色々な制約があります。 多くの有名神社は、神社本庁を脱会していますよ。 ※神社庁は、戦前まで「国家神道の元締め」でした。 ※敗戦後、国の組織を離れて民間団体になり継続中。 >会津や西郷を今でも祀らないのはなぜか? 先に書いた通り、「天皇・朝廷・国に対しての、逆賊扱い」だからです。 国=天皇の為に死んだ者を神として祀るのが、靖国神社です。 >靖国神社にとって会津や西郷は今でも敵なのか? 靖国神社次第です。 日本政府も中国政府・韓国政府も、一切命令する事が出来ません。 旧会津藩主子孫の松平宮司が「東条英機など」を、神として靖国神社に祭る事を決定しましたよね。 この時点から、昭和天皇は靖国神社への参拝を中止しました。今上(平成)天皇も、昭和天皇の意思を継ぎ参拝していません。 誰も、いち民間宗教法人に対して法的な命令を出す事は出きません。 余談ですが・・・。 自衛隊員が殉職しても、遺族の意思は無関係に靖国神社で神として強制的に祀ります。 「亡父は、クリスチャンだ。靖国神社に祀るのは止めてくれ」 「遺族に無断で、神として祀るのは止めてくれ」 遺族が訴訟を起こしましたが「誰を神として祀るのかは、神社の自由裁量」 最高裁でも、遺族は敗訴しています。 つまり、神社は「問答無用で、自由に活動できる」のです。 政教分離・宗教信教の自由は、憲法で保障です。 個人的には、遺族の意思は尊重する必要があると思いますが・・・。
お礼
会津や西郷は靖国にとっては今でも逆賊なんですね。 靖国神社は今でも、日本の神社というより政府軍の神社なんですね。 ありがとうございました
補足
さすがに靖国神社に自動的に祀られるってのはありえませんよ。靖国神社にはきちんと手続きがあります。また自衛官に関しては合祀された例はありませんし、今後も合祀しないと靖国神社が明言しています。地方の護国神社と勘違いされてるのではないでしょうか?護国神社と靖国神社は別の神社ですよ。 >多くの有名神社は、神社本庁を脱会していますよ。 現在99%の神社が会員のようですが、「多くの有名神社は脱会」というのは本当ですか? もし本当なら具体的にはどこでしょうか?
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
いろんな理由を付けても、いまのどういう政治家、財界人が神道政治連盟に入っているかを見ると分かります。 戦前、戦中、戦後のプロパガンダを排除して実態をつかむと、政治、外交のプロだった江戸幕府から、「大政奉還後」に実権を奪うための新興支配階層の集まりであることが分かります。 江戸幕府は、士農工商の身分制度で、政治に工商が関わるには士の建前が必要だった。また、外交や国内統治に関われるのは親藩でした。 大政奉還後に尊皇藩がやらかしたのはケンカ外交でしたし、まともな政治はできずに、明治天皇が慶喜に外交を委任してしまい幕府統治が続きそうになったです。 幕府の支配機構を破壊して、天皇の意向を無視して統治するための基準か必要になった。 そのため、担いでいる皇室の宗教である神道とは混ぜられないし、何よりも幕府の支配力だった神仏混合をぶち壊していく過程に巻き込まれるわけにもいかなかった。 この新しい支配階層が利用した統治機関が靖国神社です。 実態として仏教ではないし、尊皇からもっとも遠い存在でもあります。日本の共産党の方がまだ、天皇を支配に必要な機関としてみなすだけ尊皇に近い。 会津が祀られないのは負け側だからではなく、親藩だから。 西郷というか島津が祀られないのは、島津の政治力や経済力を排除したい支配階層が作ったソサエティだからです。
お礼
ありがとうございました
- 1
- 2
お礼
なるほど。武士じゃない人を集めて戦わせようとしたから、「愛国心が少ない」「士気が低い」ということで困っていたのですね。それを補う仕組みとして靖国が利用されたのですか。それは確かにありそうですね。 ありがとうございました
補足
創建当時明治政府にとって敵だったのは当たり前です。それから100年以上経って政府管轄から外れ自由になっているわけです。だから今でも祀っていないのは靖国神社の価値観ということになると思いますが、靖国神社としては今でも、会津や西郷を逆賊扱いしているということですよね。 >本来は彼らは日本兵として参加したわけですから >靖国神社のお祀りの対象となりますが、それをやったら >韓国の人たちは感情的に猛反発することでしょう。 「本来」という言葉を使っているのでもしかしたら祀られていないと思っていらっしゃるという事でしょうか?朝鮮兵も当然祀られていますよ。