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「悟り」とは何か。
悟りの状態とはどのような状態になることでしょうか? また悟りとは何か? 哲学はもちろん、生物的や物理的など、また個人的な体験(主観や直感、確信的)様々な分野、観点から、お聞かせくださいると幸いです。
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- tokytime
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「悟り」とは何か。 とても難しいご質問ですね。 「悟った」ことが無いもので、よくわかりません。 が、何となく想像はできます。 私は、この世は原因と結果の法則によって成り立っている、と思っているので、「悟る」とはこの法則の理解を進めていくことだと思っています。 多分原因と結果の法則を理解していくと、この世が何故この様であるのか、未来はどうなるのかが分かっていくのでは・・と思っております。 人の運命もしかりです。 原因と結果の法則を理解していくと、人や自分の過去から未来を見通して、何故そうなっているのかが手に取るように分かるのでは・・と想像します。 なぜ、その様な条件、状態に生まれ、困難や障害を体験するのか・・それがどういう意味があるのか・・ どうすれば乗り越えられるか・・ 自分が体験する人間関係から自分自身のどういうことを客観的に読み取れるのか・・・ 仏陀は、自分の弟子の過去生と来世を見通すことが出来たといいます。 原因と結果の法則つまり因果応報を理解することこそ、この宇宙の摂理を理解することなのでは・・と思います。 又、悟るためには、精神的には、自分自身の人格を向上させることで、世の中、人生に対する視野を広げ、自分自身の感情のエネルギーを浄化し(物質的な執着を無くしていく)、自分とって最も大切なことを物質的なことから精神的なことにシフトさせていくことが大切だと思います。 方法としては昔から一般的な「瞑想」があげられると思います。 その個人的な体験としては、瞑想するときに、奉仕、献身、つまり自分を世の中に役立てたい・・という感情をどんどん高めていくことです。 そうすると何らかの高いインスピレーションを得ることが出来ます。 場合によっては、瞑想することによって、自分の直面している困難に対する、自分では持ち得ないような、精神的に高いアドバイスを得ることもあります。 そんな時には心が浄化され、何か聖なるものに触れた気がします。 もっと色々な方法があると思いますが、何といっても、自分をもっと人格的に高めたい・・という感情が最も有効な気がします。 又、私の場合は色々な書物から実に多くのことを学びました。 そしてそれを実生活に応用し、役立てることができました。 いつもそのときの自分にとって最も必要な、役立つ書物が次々出現することが幸運でした。 ご質問に誘われて、大変個人的な、他の方々からは理解不能な支離滅裂のことを述べているかもしれません。 そのときはどうかパスしてください。 もし、もっと興味がお有りでしたら、補足要求されましたら、出来るだけ回答させて頂きます。 参考になれば幸いです。
- solaz
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悩みを悩みと思わなくなることではないでしょうか。 わかりませんが・・
お礼
ご回答ありがとうございます。 この煩悩が消えたらどれだけよいか・・・。自分への執着をどれだけ切り離せるかは人間にとっての命題ですね。
- kyoutoukyo
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わからない事を「分からない」と堂々と言える状態が悟りかな、と
お礼
ご回答ありがとうございます。 謙虚さ、ですよね。「無知の知」という言葉がありますが、知らないことも知らないと言える謙虚さは確信犯的な知性ですね。確信犯とは聞こえが悪いですが、客観性ということです。知らないことを堂々と知らないと言えるからこそ、情報はおのずと向こうからやってくるのではないでしょうか。さらにそのような事実を包括的に認識できるからこそなのでは?
さとりには2種類あるそうです。 1.覚り(菩提)は、 宇宙から人間の物質的な成り立ちを 理論的に明らかにし 無知(無明)を脱したこと。 2.悟り(涅槃)は、 自らを制して 感情的、情緒的な煩悩を明らかにし 愚痴を滅したこと。 両者を併せて 四苦八苦を克服して 平安の境地に至ると 「解脱」するという。 解脱は 常人には及びのつかない境地です(勿論私を含む;)。 異次元世界です。 宇宙人になることです(謎)。 地球人も宇宙人だと思いますけどね。 現代人も原始人もいますし(笑)。 未来人が現代にいますでしょうか? メルロポンティは後2世紀ぐらいで 人類が一往に高次元になると計算しました。 信じられない、そんなに待てないって! 人類は不自由な物質世界を脱しているのでしょうか?
- o-sai
- ベストアンサー率19% (199/1001)
お釈迦さんの「悟り」とは、 当時既存の宗教の戒律や修行に疑問を持ち、 自然を静かに深く観察して得た知、 すなわち「人間も含めた食物連鎖の原理」ではないでしょうか。 今では小学生でも知っている生物学の基本ですが、 科学的な考え方も何も無い時代にその知を得たのですから凄いことです。 お釈迦さんはそれを輪廻とし、苦悩と考えます。 そしてその輪廻の輪の循環(食物連鎖)から脱却するには死体を燃やして灰にすることだと考えたのでしょう。 現代の生物の定義のひとつとして、 物質エネルギーを運動エネルギーに変換して空間に放出する「熱エントロピー(としての拡散)」というのがあります。 ビッグバン以来、拡大している宇宙の法則にのっとった存在=生命、という意味です。 これに当てはめてしまえば、 たとえ死体を燃やしてもエネルギーは拡散されただけで、宇宙の原理からは開放されません。 さて、現代にお釈迦さんが生まれていたら、「悟り」はどうなっていたんでしょうね。 案外、理論宇宙物理学が悟りへの道かもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「人間も含めた食物連鎖の原理」 あるがまま、ということでしょうか。仏陀というか仏教については詳しくはわかりませんが、創造主ではないのですよね。とすれば彼も創造主に対峙する生身の者としてあるがままに全てを観た、そこで悟ったと悟った、のでしょうか。 >死体を燃やしてもエネルギーは拡散されただけ 私もそう思います。肉体は魂の借り物という説を支持します。肉体のエネルギーというよりも、その内側の魂からのエネルギーが原動力となって生きられるのだと思います。「人はパンのみに生きるにあらず」、でしょうか(笑)。 この哲学カテゴリでも「熱エントロピー」についてはよく触れられますよね。やはり哲学は万物のベースとなっているのでしょうね。 >現代にお釈迦さんが生まれていたら、「悟り」はどうなっていたんで>しょうね 面白いアプローチだと思います。複雑な時代だからこそ、お釈迦様ならずとも諭される機会も多々あるのではないでしょうか。
個人的な解釈なんですけど、いろいろな種類の悟りがあると思うんです。 ・アラハンみたいに自分の力を最大限に引き出せるようになる悟り ・自我をなくし、宇宙的な物の見方をすることができる悟り ・精神世界で自由に時間、場所をコントロールできる悟り などいろいろあると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに悟りの定義も色々あるようですね。 たとえば今読んでいる本が説明している「悟り」とは ●自分という「殻」から抜け出した状態 ●自分に対する執着から離れること ●自己犠牲 ●「虚像」(苦しみ、悩み、迷い、幸福感)に囚われている自分自身から抜け出し、自分自身の本質を体得すること ●アートマン(純粋自我)=ブラフマン(宇宙自体の本質)を体得すること だそうです。 自分を失くせ、ということなのだろうが、煩悩を抜き出し、悟ることをしている自分を残すという状態になるにはどうすればよいのでしょう・・・。もちろんこの疑問は私見なので、まったく自信はありません。誰か悟して(笑)。
- 8942
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じゃ直感で・・ 自分に素直になれる事かな? 理屈じゃなくて細胞レベルで
お礼
ご回答ありがとうございます。 理屈は理屈ですよね。私のこれから「生きる」テーマは「書を捨て町に出よ」です(笑)。人から「あまり考えすぎないように」と言われましたし(笑)。脳は考えるよりも先に肉体で感じたことを前提として働くのですって。 机の前でじっと考えすぎるよりも、散歩をした方が閃くというのはよく聞く話です(凡人にも天才にとっても同様に適用されます)。そして直感というのは特別な人のための特別な作用ではなく、顕在意識や潜在意識、集合的無意識と同様に平等に与えられた神様からのプレゼントです。 私ももっと右脳を使うことを心がけていきたいです。そして細胞レベルで感じたほうがはるかに幸福なことかもしれません。
- wajyurou
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「ひらめいたこと」がありました。日常的自分・自我というものは外界を「感覚器官」で受け取り「作り上げた」ものです。日常生活はそれらによりまぁ左右されて生活しているわけです。嫌いなことは感情的に忌避したり、好きなものに没頭したりして生活しているわけです。その「感覚器官でつくりあげた」と自覚すれば実体はあるけれども「空」といえるわけです。「空」とわかれば「あぁそうだったのか」と「とらわれのない自分」に気づきます。一喜一憂しない自分に気づき「平安な心」を磨き続けるのが「修行」だと思います。世界の中にいながら世界を超越した自分が「仏」ではないか。生きながら「成仏」するのが「悟り」ではないかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今読んでいる悟りについての本にあるのですが、現実というのは自分の主観や欲望によって見えているだけである。例えば車に乗った経験があれば「車」という言葉を聞けばそれは頭の中にある車の残影が車を車たらしめる。 それが「空」なのですよね。 自分が絶対的な存在でない以上、というより生きる以上相対性から逃れることはできないため、外の世界に感覚を浸さないとまず何も見えてこない。しかし同時に見えているものも「空」である。そしてそれに囚われている、悟ることはその煩悩の姿を直視すること、とあります。 よく「何でも心の持ち様」と言いますよね。あれは激励の言葉やなぐさめではなく真理を表しているのだと思います。 この言葉はことわざではないのですが、蛇足ですがことわざというと、昔の人の知恵というよりも、時を経ても変わらない普遍的なもの、煩悩の真理なのでしょう。根源を示したものではなく、日常的な生活レベルのためのものですが、相対世界においての小さな真理を表していると思います。 >生きながら「成仏」するのが「悟り」 人は皆多かれ少なかれ「小さな死」を経験していると思います。また生をさらに大きく俯瞰したとき、輪廻によって実際の死は新たな生が与えられるきっかけにすぎなければ、それすらさらなる悟りを得るための小さな「死」である。肉体の死は精神や魂の生と死の更新制度のようなものかも・・・。と考えています。
悟りとは、「全てを見通す境地に達すること」。 が、所詮は、人間は人間レベルの認識しか持つことが出来ない。 例えば、究極とも言える賢い猿の認識も人間で言えば幼稚園生のそれ。 仮に、人間の脳構造を遥かに凌ぐ生物が存在すれば、デカルトやカントの思考も彼らにとっては幼児レベルかも知れない。 まあ、こういう認識の相対性を考えれば、悟りとは「見果てぬ夢」と言える。
お礼
ご回答ありがとうございます。 大変おもしろい見解と思いました。 >人間の脳構造を遥かに凌ぐ生物 たとえば宇宙人ですよね(笑)。 >悟りとは「見果てぬ夢」 賢人にとってもさらなる悟りとは「見果てぬ夢」なのでしょうか。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
「悟りとは何か?」 いろんな段階の悟りがあるのでいちがいにはいえないが、最大のものの一つは「宇宙の成り立ちが手に取るようにわかる」ことですね。これには「人間とは何か」も含まれますね。つまり仏神の根源の思いにさかのぼることに他ならないだけ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「>根源」というのが揺るがない真実のものとして明確にわかるのか、それとも「>思い」のように漠然と「感じる」ものなのか。悟りというのは客観なのかそれとも主観なのか。悟ったというのは誰が証明してくれるのか?・・・難しいです。・・・
補足
お礼が遅くなりすみません。 「瞑想」なされているのですか?私も時折ある方法によって実践していますが、実際心がすうっと落ち着きます。でもそれで悟ったとは思わないんです。もちろん実践回数が足りないせいでしょうけれど・・・。 ヨガも瞑想ですよね。最近東洋思想が流行っているようで心身の健康のために使われて身近なものになってきました。一億総悟る人になる?のでしょうか。 悟るにも色々な方法があって、取捨選択(?)するのも大変ですけれど(笑)、いきつくところは魂というのは共通ですよね。東京駅に主な路線が集まっているように。 例えば瞑想って静の状態じゃないですか。その状態で悟りに導かれるときその混沌の中で何かが動いている、もしくは動かされているのでしょうか? 私は雑用をしているとき、例えば掃除をしているときなど、ふと「来た」と感じることがあります。まぁ無論悟りと呼べるような高尚なものではなくアイデア的なものなんですが(笑)。 書物はあくまでヒントにしかならないんですよね。まさに「参考文献」。tokytimeさんのように実践とリンクさせないと。そしてそれは完璧に対応できるものではない、いずれが一方を参考にさせる程度のものだと。偏りはよくないことなんです。バランス感覚が悟りにも求められるのではないかと考えます。そして熟慮しているときって案外答えがでないんですよね。机から離れたときに反作用としてそれがクルのではないかと。例えば作家や詩人も散歩をしているときにインスピレーションが降りてきたとはよく知られている話です。それは単に物理的な外と内ということではなく、静と動、個人と社会とか精神と物質という万物との相対するもの同士の往還にも通じていると思います。 >大変個人的な、他の方々からは理解不能な支離滅裂 いえいえ、より個人的なご意見を伺いたくてこのトピを立てました。皆様の悟りとはどういうものか、このような環境でなくてはなかなか訊けない世界ですから。私こそ支離滅裂ですね。能力の限界です(笑)。