>着実な歩であると思っています.
>それが安定するまでの道がなかなかつかめないのです.
仰っている意味はよく分かりますし、何を考えていらっしゃるかも分かるような気がします。我々はそれほど上等に出来ているとは思っていません。あっちにフラフラ、こちによたよたなのではないでしょうか?初めからまっすぐな道を歩んで行ける方は尊敬するしかありません。迷い、迷いながら、一歩ずつ進んでいるのが私みたいな、いと小さき者だと思っています。
私は自分が哲学者だと思った事は一度もありません。ただ哲学とは考える事なのだと思っているだけです。ですから形而上学的な示唆に富んだ言葉などは出てきません。日常の事で精一杯考えるだけです。
ですから、「これが正解です。」、「それは誤りです。」と言う事はありません。どれも正しいのだろうし、どれも間違っているかもしれない。その中で、自分の感性にぴったり来るものに対して「私は、これを選ぶ。」としかいえません。それを他人に押し付ける事もしません。ただ疑問を投げかける事はあります。それはもっと違う考えがあるかもしれないと思うからです。
moushi_39様が仰る「宗教的観点.哲学的観点.」からははずれているとおもいます。“日常の生活の中で,どのように感じ,どのように行動すれば良いのかという事.”に対しては、“一体何を恐れておられるのか?”と問いかけてみたいと思います。何か立派な事でなければいけないのですか?犯罪は別にして、何か間違ってしまったら“ああ、矢張り違っていた。”と思われるか、“それでも私は・・・”と考えられても良いのではありませんか?moushi_39様はmoushi_39様でしか有り得ないのですから、自信を持って行かれたら如何でしょうか。開き直るつもりはありませんが、人間は間違えるものですから。
moushi_39様のご質問に合っていなければ、ミミズの戯言とお捨て置きください。
お礼
自信はあるところにはあるのですが ないところにはないのです. もしかしたら今の心情にどんぴしゃの回答かもしれません. 再度の回答ありがとうございます.
補足
足元を照らす 提灯のようです.