少し長いですが、条文を記載します。
21か条の内訳
第一号議案(山東省に関する件四条)
日本国政府及支那国政府は偏に極東に於ける全局の平和を維持す、且、両国の間に存する友好善隣の関係を益々鞏固ならしめんことを希望し茲に左の条款を締約せり。
第一条 支那国政府は、独逸国が山東省に関し条約其他に依り支那国に対 して有する一切の権利利益譲与等の処分に付、日本国政府が独逸国政府と協定すへき一切の事項を承認すへきことを約す。
第に条 支那国政府は山東省内若くは其沿海一帯の地又は島嶼を何等の名義を以てするに拘はらず他国に譲与し又は貸与せざるべきことを 約す。
第三条 支那国政府は芝罘又は竜口と膠州湾より済南に至る鉄道とを連絡すへき鉄道の敷設を日本国に允許す。
第四条 支那国政府は、成るへく速に外国人の居住及貿易の爲、自ら進て山東省に於ける主要都市を開くへきことを約す。其地鮎は別に協定すへし。
<第一号議案は、山東省の旧ドイツ利権を日本が受け継ぐことを、中国が承認するという要求です。>
第二号議案(南満州及び東部内蒙古に関する件七条)
日本国政府及支那国政府が南満州及東部内蒙古に於ける日本国の優越なる地位を承認するにより茲に左の条款を締約せり。
第一条 両条約国は旅順大連租借期限並南満州及安奉両鉄道各期限を何れも更に九十九ケ年つつ延長すへきことを約す。
第二条 日本国臣民は、南満州及東部内蒙古に於て各種商工業上の建物の建設又は耕作の為必要なる土地の賃借権又は其所有権を取得することを得。
第三条 日本国臣民は南満州及東部内蒙古に於て自由に居住往来し各種の商工業及其他の業務に従事することを得。
第四条 支那国政府は南満州及ひ東部内蒙古に於ける諸鉱山の採掘権を日本国臣民に許与す。其探掘すへき鑛山は別に協定ふへし。
第四条 支那国政府は、南満洲及東部内蒙古に於ける鉱山の探掘権を、日本国臣民に許与す。
第五条 支那国政府は、左の事項に関しては豫め日本国政府の同意を経へきことを承諾す。
(一)南満洲及東部内蒙古に於て、他国人に鐵道敷設権を輿へ又は鐵道敷設の為に他国人自り資金の供給を仰くこと。
(に)南満洲及東部内蒙古に於ける諸税を担保として他国より借款を起すこと。
第六条 支那国政府は、南満洲及東部内蒙古に於ける政治財政軍事に関し顧問官教官を要する場合には、必す日本国に協議すへきことを約す。
第七条 支那国政府は、本条約締結の日より九十九ケ年間日本国に吉長鉄道の管理経営を委任す。
<第二号議案は、(1)旅順・大連と満鉄・安奉両線の租借期限を99年まで延長すること(2)日本人は南満州と東蒙古で自由に土地を貸借し所有する権利を持つこと(3)日本人は、その地では、自由に居住往来し、各種の商工業その他の業務に従事する権利を持つことなどを中国が承認するという要求です。>
第三号議案(漢冶萍公司に関する件に条)
日本国政府及支那国政府は日本国資本家と漢冶萍公司との間に存する密接なる関係に顧み且両国共通の利益を増進せんが為左の条款を締約せり。
第一条 両締約国は将来適当の時機に於て漢冶萍公司を両国の合弁となす こと並に支那国政府は日本国政府の同意なくして同公司に属する
一切の権利財産を自ら処分し又は同公司をして処分せしめざるべ きことを約す。
第二条 支那国政府は、漢冶萍公司に属する諸鑛山附近に於ける鑛山に付ては、同公司の承諾なくしては之か探掘を同公司以外のものに許可せさるへきこと、并其他直接間接同公司に影響を及ほすへき虞ある措置を執らんとする場合には、先つ同公司の同意を経へきことを約す。
<第三号議案は、漢冶萍公司(漢陽の製鉄所・大冶の鉄山・萍郷の炭鉱を経営する会社=公司)を日中合弁(共同経営)にすることを中国が承認するという要求です。>
第四号(沿岸島嶼不割譲に関する件一条)
日本国政府及支那国政府は支那国領土保全の目的を確保せんか為茲に左の条款を締約せり支那国政府は支那国沿岸の港湾及島嶼を他国に譲与し若くは貸与せさるへきことを約す
<第四号議案は、中国の港湾や島嶼を他国に割譲・貸与しないことを中国が承認するという要求です。>
第五号(懸案其他解決に関する件七条)
一、中央政府に政治財政及軍事顧問として有力なる日本人を傭聘せしむる こと
二、支那内地に於ける日本の病院、寺院及學校に封しては其土地所有権を認むること。
三、從來日支間に警察事故の発生を見ること多く不快なる論争を醸したることも尠からさるに付、此際必要の地方に於ける警察を日支合同とし、又は此等地方に於ける支那警察官庁に多数の日本人を傭聘せしめ以て一面支那警察機閥の刷新確立を図るに貧すること。
四、日本より一定の数量(例ヘは支那政府所要兵器の半数)以上の兵器の供給を仰き、又は支那に日支合辮の兵器廠を設立し日本より技師及材料の供給を仰くこと。
五、武昌と九江南昌線とを聯絡する鐵道及南昌杭州間、南昌潮洲間鐵道敷設権を日本に許輿すること。
六、福建省に於ける鐵道鉱山港湾の設備(造船所を含む)に関し外国資本を要する場合には先つ日本に協議すへきこと。
七、支那に於ける本邦人の布教権を認むること。
<第五号議案は、特に秘密にしてくれといった部分です。
(1)中国政府に、日本人の政治・財政・軍事顧問をおくこと
(2)中国内地にある日本の病院・寺院・学校に対して、その土地の所有権を認めること
(3)中国の警察を必要な地方では日中合同として、そこでは中国警察に多数の日本人をやとうこと
(4)中国政府の兵器の半数以上は、日本が供給するか、又は中国に日中合弁の兵器廠を設立して、日本より技師・材料を供給すること
(5)武昌と九江南昌線とを連絡する鉄道及び南昌と杭州間、南昌と潮洲間の鉄道敷設権を日本に与えること
(6)福建省内の鉄道・鉱山・港湾の設備(造船所を含む)については外国資本を必要とする場合にはまず日本に相談すること
(7)中国で日本人が布教することを認めること>
これらを含めて二十一条あるということで、単一の問題についての条文ではなく、5つの別の課題に対する条文が二十一ある上に、最後の五号議案は秘密条文となっていました。ですから、これら二十一条をまとめた公式名称は存在しないのは当然で、ましな言い方として『対中(華)二十一か条』といっています。歴史を知っている人相手なら、この言い方で間違う人はいないでしょう。
お礼
さっそくご回答および詳細な情報をありがとうございます。これで、第1点については、「中国に通知した時点での正式名称はない」ということは明らかになったと思います。第3点については、根拠となるものは何かありますか? そして、残りの、第2点はいかがでしょうか? なお、第3点ともかかわりますが、間違うはずはないから、名称はあまり重要ではない、というようなお考えは理解できます。例えば、「対袁21か条要求」でも「対北京政府二一箇条通告」でも意味はわかることでしょう。「二十一ヵ条」だけでも、例え「加藤高明対華通告」でも何とかわかるはずです。しかし、私のような素人が言葉を使う場合であれば「相手にわかればいい」ですむのでしょうが、政府や専門家はそうはいかないはずです。たとえば、日本の首相や外務大臣が、中国政府に対して、あるときは「対支21ヶ条要求」と言い、あるときは「加藤高明対華通告」と言う、というようなことは考えにくいのではないかと思います。それだけで外交問題になりかねないからです。発言ではなくて、外交文書ではなおさらでしょう。何か、日本政府には日本政府の「きまり」があり、一方、中国政府には中国政府の「きまり」があるはずです。また、専門家(学者等)は、それぞれ、自分にとっての呼び方を決めておられることでしょう。どんな呼び方でも構わない、と、そのときそのときで、いい加減に呼び方を決め、自分の著書でも記載がばらばら、という状態になっているとは思えません。 ところで、引用なさっている、「21ヶ条」ですが、恥ずかしながら原文が手元になく確認できないのですが、1号から3号までは「第一条、第二条・・・」と書いておられるのに、5号は「一、二、三・・・」と漢数字だけになっています。これは、原文でも、書き分けがなされているのでしょうか? そうだとすれば、何か意味があるのでしょうか? とりあえず以上ですが、第2点と第3点(の根拠)につきまして、他の方でも結構です、ご回答を、よろしくお願いいたします。
補足
第2点に関して、特にご回答がないので、以下、個人的な憶測を書いてみます。 個人的には、「21」という数字に昔から違和感がありました。ご回答でわざわざ書いていただいたように、正式文書は、あくまでも「全5号」であり、常識的に見ると、何か特別な意図がなければ、「号」の中まで入り込んで、わざわざ「21」という数字を出すとは思えません。「対支全5号要求」でもいいわけですし、「5」という数字すら必要ないかもしれません(例えばときの外相の名前でも使って「加藤対支通知」と呼ぶとか)。「21」もの要求(しかも、日本にとって一方的に都合のいい要求)をしているなどと、わざわざ自分から大きな数字を挙げるでしょうか? とここまで書けば、何かお感じになる方も、おられるでしょう。そうです、私の憶測は、当時の中国政府(ひいては中国マスコミや中国国民)が、日本を糾弾し、かつ、国際的な輿論を味方につけるために、意図的に「5」ではなく、はるかに数の多い「21」を選び、「21ヶ条要求」と呼び始めたのではないか、そして、日本は、中国の意図を考えずに、安易にその呼び方を踏襲してしまったのではないか、というものです。現在、英語では、この要求を「Twenty-One Demands」と呼んでいるようです(ドイツ語でもフランス語でも同じように「21」という数がでてくるようです)ので、結局、日本は、この点について、外交的に中国に負けたのではないか、というのが結論です。そして、現時点における問題点は、なぜこのような名称になっているかの正面からの検討をせず、その結果、当時の反省がまったくなされていないのとともに、検討をしないことの背景として、「どうせ日本が悪いのだから」と、臭いものに蓋をするという極めて日本的な発想が露骨に出ている点だと考えています。 以上、憶測にすぎませんが、これと関係するしないにかかわらず、第2点と第3点に対するご回答を、お待ちしております。