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17世紀の英蘭について
17世紀後半になると、それまで英蘭戦争など対立していた英蘭は、協力してアウクスブルク戦争を起こしたり、オラニエ公ウィレムがウィリアム3世として即位するなど協力するようになったのはなぜですか?
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補足として 強力な陸軍を擁するルイ14世という脅威に対し、イギリスが国防上、最も必要とするのは海軍力です。英蘭戦争においてテムズ川をさかのぼり、ロンドンを砲撃したオランダ海軍の実力は、味方となれば、イギリスにとって頼もしいものだったでしょう。 なお、オランダが新教国だったこと、絶対王政に否定的な共和政だったことも、ルイ14世の絶対王政を模倣しようとするカトリックの王と対立していたイングランド議会にとっては、好ましい条件となったと思われます。
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- a-koshino
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イングランド銀行を設立したのは、フランスとの恒常的な戦争状態を前提に、戦費調達に迫られたからでしょう。 イギリスにお金が集まるようになっても、それだけでオランダからお金が逃げていくわけではありません。ロンドンのシティとアムステルダムは、国際的な金融センターとして共存します。 オランダからお金が逃げていったのは、 ・かつて主要貿易品だった香辛料の価格が大幅に下落 ・主要産品の毛織物に代わり、インド産(後にイギリス製)綿織物が大流行 ・フランス革命後、フランス軍に占領される などが原因と思われます。
- jk7
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外交関係は、各国の利害関係に応じて変化するのが当然です。 今回の場合ですが、イギリスがオラニエ公ウィレムを国王として招いた理由の一つに、彼が国王ではなく公爵であったということがあります(当時のオランダは王国ではなく共和国ですよね)。 つまり当時のイギリスとしては、王権を制限して議会主権を確立していきたかったわけですから、新国王としての彼は、まさに適切だったわけです。 そしてそれは、イギリス・オランダ両国にとって、共通の利益だったわけです。 すなわち、英蘭戦争で敗れたオランダは、ヨーロッパでの領土拡大をねらうフランスのルイ14世に対処するためにも、イギリスの後ろ盾が必要になりました。 一方のイギリスは、フランス(ルイ14世)と海外植民地をめぐる抗争(第二次英仏百年戦争)をしていく上で、オランダを味方にして、ヨーロッパにおける勢力均衡をはかる必要があったのです。 イギリスの外交政策の主眼は、常にヨーロッパにおける勢力均衡を保つことにありました。 これができたから、イギリスは繁栄を維持できたという側面もあるのです。
お礼
回答ありがとうございます。強大化するフランスに対して勢力均衡を保とうとしたのが大きかったのですね。
- a-koshino
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ピューリタン革命後の大混乱を経てイングランド議会は、フランスへ亡命していたチャールズ2世の帰国と復位を認め、王政復古となります。 ところがチャールズは、亡命中にルイ14世と結んでおり、オランダの仇敵ルイの意向に従って、第二次・第三次英蘭戦争を起こします。 次のジェームズ2世は議会と対立し、フランスへの従属を強めていきます。ジェームズがカトリックへの復帰を強行すると、議会はフランスに対抗するため、オランダの元首であるウィレムを、オランダ統領と兼任で国王に招きました(名誉革命)。 以後、イギリスとオランダはウィレムの下でフランスと戦います。協力というより、同君連合の関係だったのです。
補足
回答ありがとうございます。オランダイギリス双方の利害が一致したということですね。 ところで17世紀後半にはイギリス銀行が設立されますが、それ以前の覇権国家オランダに集まっていた国際資本が移り始めたとみていいのでしょうか?