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『和泉式部日記』当時和泉式部の身の回り

『和泉式部日記』当時の事を知りたいのですが。。。 その頃、和泉式部は独身ながら、家を持ち、お付の人もいるようです。彼女は位の高くない貴族のようですが、誰からどのようにして収入を得ていたのでしょう? 当時貨幣は流通していなかったかもしれませんが、歌を書き留める筆、硯、紙、その他着物、食材、燃料など生活雑貨一般はどのような形で得ていたのでしょうか? いわゆる高校古文にタイトルが出てくる本にはその辺の記述が見当たりません。 ご存知の方、よろしくお願いします。

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  • -mizuki-
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回答No.1

和泉式部は独身ではありません。二回結婚しています。 子供もいます。(小式部と永覚ですね。) 和泉式部に関しては、以下のページが詳しいですよ。 http://www14.u-page.so-net.ne.jp/dj8/monamin/ 和泉式部は大江氏の出で、受領と呼ばれた中流貴族です。 確かに位はそんなに高くないです。 平安時代後期において、貴族の収入を支えていたのは知行国制度です。 知行国制度は院政期から盛行し、特定の皇族・貴族・寺社に対して一国の収入の大半を与える制度のことです。 これには国司も選ばれることがありました。 また、それ以前にも荘園制度というものが収入を支えるわけですね。 また、官位を持っていればちょっとはお給料が出ます。 また、位の低い人は人に雇われれば衣食住は保証されたりもしますしね。 真面目な人ほど貧乏していたようです。

Midway
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 いいかげん時間がたってしまい、申し訳ございませんでした。 もう少し勉強しないとわからないことがよくわかりました。 この分野でまた何かあった折にはよろしくお願い致します。 敬具

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