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平安時代の通い婚において、父親の確証はどう得られていたのか?
- 平安時代の通い婚では、DNA判定などはなかったため、父親の確証を得る方法は限られていました。母親は赤ちゃんの顔立ちや生年月日から推測することがありましたが、それ以外にも女性の交友関係を調べて自分以外の男性の影がないことを確認したり、女性の申告を信じるしかありませんでした。
- 一方、父親(男性)は女性の申告を信じる以外に確証を得る方法はありませんでした。当時の社会では、女性の交友関係や言葉を信じることが一般的でした。ただし、子供の成長過程で顔立ちが似ていないなどのトラブルもありました。
- 平安時代の通い婚では、DNA鑑定や科学的な方法は存在せず、父親の確証を得ることは難しかったです。そのため、女性(母親)の申告を信じるか、赤ちゃんの顔立ちや生年月日から推測することが一般的でした。しかし、これらの方法でも確かな証拠とは言えず、トラブルや疑念も多かったです。
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基本行われてていません。 当時は父親が誰だ基本気にしません。 まず平民の場合は当時夜這いの風習が強く、女性は村の多くの男性を性交渉をした上で一番気にいった男性と結婚する場合がほとんどです。 当時の世相はまず女性は『子供を多く生む事が』条件ですので多くの男性と性交渉をすることが当たり前の時代です。 大切なのは家の存続ですからね。又戦や疫病も多く、血縁なんてあまり気にする余裕はありません。大切なのは家名を残すことですから 子供がいなければ養子を取るのもまったく躊躇はしませんし、当時はDNAという概念はなく遺伝というのも当時の書物にはほぼ皆無です。 子供は天からの授かりもの・・・という概念が一番ですので父親なんて気にしてません。 村では暇なときは器量のよい娘に対して夜這いをしかるのが普通ですし、年に数回の祭りの後は村人総出で乱交パーティです。 当時は子孫繁栄がなにより大切ですからね。今のような子作りに関してはかなりOPENです。 実際 源氏物語の光源氏も母親だろーが、自分の娘だろーがSEXしまくりですからね。
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- nogul2n
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日本史の学者で特に平安時代の女性について研究している人で、 埼玉学園大学の服藤早苗(ふくとう さなえ) という先生がいらっしゃいます。今もこの大学にいらっしゃるかどうかわかりませんが、10年位前にはそうでした。小柄ながら元気はつらつな先生です。(個人的に、日テレの『世界一受けたい授業』にこの先生が出ればいいのになぁ、と思っております。) この先生の著作に 『平安朝 女性のライフサイクル』など、 平安時代の女性について書いた一般向けの本が何冊かあります。 もしよかったら図書館などでめくって見られたら御参考になられるかと思います。 以前、NHKラジオで平安時代の女性について5回か、8回くらいの講座をやってらっしゃいました。 確か、貴族の女性はちゃんと結婚式もやってたようなことをおっしゃってました(記憶違いかもしれませんが)。結婚式をやってたら、夫だ、妻だっていう認識がありますね。 貴族の離婚についての話もありました。 平安貴族の女性については記録が少なくてわからない部分が大変多いそうです。 庶民の女性についてはなおさらで、とにかく資料が少な過ぎてよくわかっていないと言ってました。
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ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >平安貴族の女性については記録が少なくてわからない部分が大変多いそうです。 庶民の女性についてはなおさらで、とにかく資料が少な過ぎてよくわかっていないと言ってました。 そうですね・・・慣例として通い婚や戸籍の問題、医学的に遺伝や避妊の知識の無い時代ですから、父親とされても、少なからず実子かどうか、不安や疑問があったでしょうし、幾らオープンな時代とかであっても嫉妬や片思いは有るでしょうし、親子の情の薄さや認知とか世襲とかを巡る争いの一因に成るのは容易に想像されますね・・・
- fedotov
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昔は雑魚寝なので、人間がガードしています。 明かりを消した暗闇で、何人も雑魚寝している中、他の人の 体に足を引っ掛けずに、目当ての女性にたどり着くのは困難。 庶民は、家族が同じ部屋で雑魚寝なので、気付かれます。 やんごとない姫君は、几帳・衝立で仕切っただけで、女房が 囲んで寝ています。 なので、物語では女房が公達を手引きして夜這いが成立。 女房は、将来を見込んだ公達でないと買収されません。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >昔は雑魚寝なので、人間がガードしています。 庶民は、灯りの部分で夜には闇夜、衣装も開放的でしたからね・・・ 何処かの国でお嫁さんを兄弟共有で共同生活しているのを見た事がありますが、昔の庶民の暮らしには仰るような現実&形態があったのでしょうね・・・ >やんごとない姫君は、几帳・衝立で仕切っただけで、女房が 囲んで寝ています。 なので、物語では女房が公達を手引きして夜這いが成立。 良く分かりました。 確かにそれで無ければ、例えば十二単の脱ぎ着付けを自己責任で行うのは無理でしょうし、家事を行えるとも思えませんね・・・
- mizukiyuli
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基本的に平安時代は自由恋愛ではありません。 女性の地位が高かったとされていますが、あくまで政略の道具として利用価値が高かったというだけです。 父親が許可していない男が娘のところへ通ってくることはまずありません。 なので確信は「通っている女性の両親に婿として認められている」という条件で成り立ちます。 我が子であろうとなかろうとたいして関係ない気もします。 大事なのは女性の父親の財力や権力ですから…。 女性に後ろだてがなくなった瞬間子供ごと放り出すということもよくあったと思います。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >父親が許可していない男が娘のところへ通ってくることはまずありません。 なので確信は「通っている女性の両親に婿として認められている」という条件で成り立ちます。 なるほど・・と言う部分と、その割には嫡流や長子や母親の家筋が家督争いや権力継承並びに兄弟の序列に影響するのは、頷く面と矛盾も感じます。 清盛の落胤説や保元・平治の乱での骨肉の争い、美濃の斉藤龍興の道三殺し、戦国大名の家督を巡り起こる世継ぎ問題も、天一坊事件の背景も、本当は誰の子かと分からぬ部分や疑惑が影響しているのかも知れないと思います。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 ソウデスネ・・・オープン&フリーだと言えば、何となく明るく開放的なんですが、実際の当事者意識はどうなんでしょうね? 兄弟や肉親間の殺戮や離反が数多く起こる原因には異母異父兄弟や同居していない事による親近感や信頼感が薄いのかもしれませんね? 保元平治の乱の骨肉の争い、源頼朝の兄弟への冷酷な仕打ち、子供を人質にする和平や同盟、御家人のお家騒動の多さによる共倒れ他→希薄な肉親の情・同腹で同居していない続柄や系図上の兄弟姉妹の関係が大いに関係し起因なのかも・・・