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ウェストファリア条約がもたらした権力構造の変化
1648年のウェストファリア条約締結、その直後に起こったフロンドの乱の鎮圧がフランスにもたらした変化と、周辺諸国への影響を調べています。ウェストファリア条約のどういう点がフランスの権力構造にどういったシフトをもたらしたか、サジェッチョンをいただけたら私の思索もふかまると思います。よろしくお願いします。
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いまさら、と思われるかもしれませんが、基本的な確認から 国際的には ヴェストファーレン条約:「神聖ローマ帝国の死亡診断書」の異名通り、ヨーロッパの中心だったハプスブルク家の勢力失墜 →三十年戦争の戦勝国、フランス&スウェーデンの覇権:「ルイ14世」&「バルト帝国」 →軍事的脅威として周辺諸国に認識される →覇権国家vs諸国連合:「ルイ14世の諸戦争」&「北方戦争」 フランス国内 フロンドの乱、新教徒弾圧→絶対王政の確立(対外戦争と同時進行) まずは、基本の確認でした。主要な興味・関心について、もっと具体的にわかると、もう少しつっこめるかも。