先ずどの時代にあっても「権力の所在」が1人の人物に帰することはありません。言い換えるならば「1人の人物が全権を掌握した時代」などなかった、のです。「権力」を別の表現で言い換えるならば「権力組織」或いは「システムとしての権力装置」でしょう。
「律令国家」といっても初期から末期に至るまでの幾つかの段階があるので、一言で括ることも難しい。
御質問の背景から推測して「律令成立期」の説明をするならば、権力装置を構成する機関は「太政官」と呼ばれる官僚組織であって、ピラミッド構造に喩えるならばその頂点には「太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣」の職があります。このうち常設のポストは左大臣と右大臣であり、「太政大臣」は「有徳の者がその職責に相応しい」として該当する人物がいない場合には不在でも可、として常設ではありません。
また太政官という表記も「個人を表す指標」ではなく、一般的には「○○内閣」に相当する機関と理解しても差し支えはありません。ですからそこには様々な「官庁」が存在することになります。
官庁であるからにはそこに「大臣」やそれに続くポストがあって、それぞれ「大納言」「中納言」等々のポストがあります。
また「貴族」ですが、これは律令に詳細な規定があって「五位以上の者」を指す語で、このうち上級貴族(三位以上)を貴、四・五位にある中・下級貴族を通貴と呼び分け、職務としての太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣を公、大納言・中納言・参議、三位以上の者を卿と呼び、両者を総称して公卿と呼びます。位階と官職は「1対1の関係で」対応します。
位階と官職の関係は「位階相当制」として詳細な内容が「国史大辞典」(吉川弘文館)や「岩波日本史辞典」などに図示されていますので、そちらを参照していただければよく分かります。
次いでですが、『吾妻鏡』に記されている「二品」がなぜ源頼朝を示すか、などを調べてみても「武家と公家」の関係を位階(序列)の視点から考察する等の研究は山ほどあります。関心がおありでしたら、それらの研究論文をお読みになることをお薦めします。
お礼
長々とありがとうございます。参考にさせていただきます。