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拝上帝会についてと中国の伝統的信仰の関係性は?
- 拝上帝会はキリスト教と中国の伝統的信仰を融合したものです。
- 中国の伝統信仰とは儒教のことですが、太平天国は儒教を敵視していました。
- 儒教の思想には平等な世の中を理想とする一方、上下関係の秩序を重んじるという二つの要素があります。
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中国には文字を読める知識階級の為の宗教と、文字を読めない土民の為の宗教と二種類あるのです。仏教、儒教、道教は前者です。拝上帝会は後者です。中国の歴史では、一握りの知識階級と、大多数の土民の二種類の人物が現れます。知識階級は10万人に一人しかいない。まあ正確な数は分からないけど、圧倒的多数の土民は文字が読めないのです。中国共産党が1960年台に簡体字を制定するまでは、恐ろしく字体が複雑で、恐ろしく文字の種類が多い漢字しかなかったのです。土民には論語も春秋も誰も読めないのです。いわば特権階級の宗教が儒教です。 だから拝上帝会が儒教を敵視したのは当然です。毛沢東が文化大革命で孔子を悪人と位置づけたのは土民に迎合し土民の支持を得るためだったわけです。 「拝上帝会はキリスト教と中国の伝統的信仰を融合したものだ」の伝統的信仰というのは、まじない、占い、迷信の集まりです。経典も何も無い。文字が読めない土民の信仰に経典など存在しない。伝統的信仰とは例えば下駄を投げて裏になったら明日雨が降るといった類の何も根拠が無い迷信の集まりのことなのです。 洪秀全はそういう土民を支持基盤にして勢力拡大に成功したわけです。 欧米列強が太平天国の乱に中立だったのはなぜか。深入りしたくなかったからです。中国は滅茶苦茶に広く、滅茶苦茶に人口が多いのです。下手に介入すると泥沼に巻き込まれた挙句、万一負け組に加担すると元も子もなくしてしまいます。 結果的に鎮圧されて「乱」という風に歴史では位置づけているけど、こんな風に倒れた王朝は中国の歴史ではいくらでも例がある。誰にも未来のことは分からない。当初は乱で終わるのか、逆に清朝が倒れるのか、誰にも分からないのです。 何が悲しくて、介入しようと考えるでしょうか。欧米列強は、ライバルの顔色を見ながら、どっちに転んでも利権を手放したくないと考えていたのです。 戦前の日本は、日露戦争の勝利で満州に利権を得た。それを守ろうとして泥沼に巻き込まれてしまった。 血を流し、汗を流したが全部パーです。 百戦錬磨の欧米列強は、戦前の日本のような愚は犯したくなかった。実にずるがしこくというか、要領よく立ち回るわけです。 とりあえず、こんなところで。
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- kuroneko3
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中国の伝統的信仰というのは,儒教のほか仏教と道教が挙げられます。拝上帝会は,初めのうちはキリスト教の教えに忠実な宗教を目指していたようですが,布教が上手くいかなかったため次第に現実と妥協していったということでしょう。妥協の産物のような宗教に分かりやすさを求めても意味はありません。 欧米諸国は,当初太平天国がキリスト教徒であることから,歓迎すべきか脅威とみるか見解が分かれていたところ,洪秀全が欧米諸国を朝貢国扱いしたなどの原因で外交が不調に終わり,さらに太平天国が欧米諸国の既得権を侵害する動きに出たことから,最終的に清朝側での介入を決意したようです。
お礼
丁寧にありがとうございます! とてもわかりやすいです。助かりました\(//∇//)\
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丁寧にありがとうございます! とてもわかりやすいです。助かりました\(//∇//)\