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新生日本の誕生日:平和回復と主権回復
- 新生日本の誕生日(サンフランシスコ講和条約締結日)とは、敗戦後の日本が世界48カ国の承認のもとで主権を回復し、復興がスタートした日です。
- この日の平和と発展への基礎が始まる一方、当時の主権も自衛権も外交応力も喪失していた状況が、現在の周辺国との領土問題の原因となりました。
- 質問は、中国(国民党と共産党)、ソ連、および朝鮮(北朝鮮・韓国)を抜きにして、平和回復と主権回復を急ぐ選択がベストだったか、また他の選択肢とその後の展望の変化を考えるものです。
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敗戦により失っていたのは主権では在りません。統治権です。 主権を失うという意味は平和条約を結ぶ事が出来ないのは もちろんあらゆる国家活動の根拠を失う事です 主権が日本に在るからこそ通称、サンフランシスコ条約と呼ばれる 条約を結べたのです。その結果、統治権が日本に返されたのです。 ソ連と中国を説得する。北海道をソ連領土と認めるかわりに朝鮮半島 を日本が維持する。台湾の統治権を100年、中華民国に与えるかわりに 主権と権限が日本に属する事を認めたら中華民国を支援する。 ソ連と中華民国が認める可能性は高い。中共もソ連からの援助が欲しい のでソ連に続いて認めたでしょうが、 問題はアメリカですねえ~ 函館周辺の統治権をアメリカに100年任せるという案で説得する。 ソ連邦北海道と日本の間にアメリカを入れられれば良いけれど・・・ 日本海は日本とアメリカの勢力圏となる。ソ連と中共の争いにさいして 中共を支援して日本海に接するソ連領土を得る。かくして日本海は 文字通り日本の海と成る。国力が十分についた頃に台湾返還が行なわれ て人口数約2億5千万人の日本国が確立する。
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- kawasemi60
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当時のスターリンは北海道を領土にする計画で動いていました。 満州帝国や朝鮮半島への軍事侵攻は北海道攻撃の準備攻撃です 日本の敗戦が早すぎたので北海道攻撃が遅れました。 ソ連としては北海道が手に入れば妨害を受けずに太平洋に出られます。 当時として最大の新たな領土価値が在ったのです。 朝鮮半島からソ連が手を引けば中共国単独でアメリカと対峙する事に なりますがジェット戦闘機の製造能力が無かったので軍事対抗は不可能 でした。結果として中共国は朝鮮半島から退く事になる。 日本とアメリカの支援が在れば中華民国は大陸にいられる。 日本は朝鮮半島に莫大な国力を投入して建設した成果を無傷で本土復興 に用いる事が出来ます。戦後の食糧難などがかなり軽減されたでしょう。 もちろん朝鮮戦争は起きません。しかし大陸中国での代理戦争が起きる。 この時にアメリカ側に立つ勢力を日本が支援してソ連領土を得ます。 ソ連とアメリカが北海道で対峙する期間に日本海周辺を開発して国力 の基礎を固める。アメリカ側に立つ事で経済を拡大するのは現実と同じ。 ソ連とアメリカが疲れた頃に台湾復帰が実現して日本時代の成果が新たに 日本に加わります。蒋介石侵入の無かった台湾は無傷で日本に戻るのです。 もう一つの在り得た歴史の気がしてきますよねえ~ 当時の日本指導者は北海道放棄の決断に未来を賭けるよりもアメリカとの 関係重視による国力確立という確実性の高い道を選んだのです。 そして現在。日本は政治決断を可能とする国力を得ています。 現代日本人が決断すれば道は開くのです・・・
お礼
重ねての詳細な考証・解説を頂き、大変、ありがとうございます。 困窮と騒然とした時代、苦渋の選択&決断を、国体の復興・再構築に向け、当時の責任者は命がけで行ったのでしょうね・・・ 嗚呼、今、その勇気・気概・矜持を持つ政治家は何処に・・・ 嘆かわしい、(先人と後世の人に恥ずかしい)現政権の不見識・無責任・亡国売国政策etc。 こんな世の中に誰がした。 エコノミックアニマルと後に言われたが、今では損得勘定・拝金主義だけのチキンと蔑視されている。 例えば、 国旗・国歌法案に反対していた閣僚が8人(菅・千葉・原口・前原・小沢・赤松・枝野・福島)も・・・ さらに、就任式で、国旗にソッポの防衛大臣 党大会では日の丸を切り裂き党旗に流用 さらに、国旗掲揚や国歌斉唱に反対する日教組は最大の支持組織であり、組織内議員も多数。 これでは、政府要職・国歌公務員・公僕としての資質・使命感を有し職責を果たしてくれるのだろうか? 偽装マニフェストでの買収選挙も、未熟な政権担当能力、リーダーシップ欠落による混迷混乱から、今や支持率20%割れ寸前<私には未だに5人に1人が支持しているのが疑問・不思議ですが・・・> 関連記事 http://www.excite.co.jp/News/politics/20100429/Kyodo_OT_CO2010042901000452.html http://www.excite.co.jp/News/politics/20100428/Economic_pol_100427_035_4.html ありがとうございました。
- WPY11_4548
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あえて暗~いストーリーを仮想してみます。 まず朝鮮(韓国&北朝鮮)は戦時中に臨時政府などを立てて第三国に認められたことが無い、結果当然、連合国憲章に署名していない 。ので、いわゆる「連合国」対「日本」の平和条約に加盟することは無かったでしょう(これは史実もそのとおりです)。ですから急ごうが急ぐまいが、朝鮮半島問題は大差ないように思います。(ちなみにサンフランシスコ講和条約内での竹島の取り扱いは、(1)日本が放棄する→(2)日本が放棄しないで保持する→(3)日本が放棄しない。と転々としていますが、最終的には竹島は日本国領として認められたようです(少なくとも台湾と同じく「どこの主権も及ばない状態」ていどで落ち着くはず)長引かせると韓国の実効支配が既得権益になる可能性がありますね。 中国は講和条約の相手は国民党中国なのですが…当時は風前の灯ですね。日米講和がならないと日本を補給拠点として米軍が韓国で行動する上で支障があるので、対中共対策として止む無しといった感じでしょうか?この講和条約が成立する前に国民党中国がなくなって入れば、中国全土が空白地(どこの主権も及ばない)なんて空恐ろしいことになっていたことだってあり得ます。 主権が回復しないと正当な価格で資材を輸入して、正当な価格で商品を売ることが出来ない訳で、前後の困窮を考えると、ややこしい国は置いておいて、主権を回復してしまえ!というのは仰るとおりのベターな判断だったと思います。 逆に(日本にとって)ベストな解を得ようとするには、戦争前の政治的な手回しがもっともっと必要だったということで、当時の日本国は戦闘のことだけを考えて、戦争全体を見ていなかった、戦争の終わらせ方を考えていなかった、ということでしょう。
お礼
早速のご回答に深謝申し上げます。 また、具体的な分析・解説・推論を教えて頂けて、大変参考になりました。 仰るシュミレーションは説得力があり共感・賛同する所です。 本日は、そのような日本再生・新生日本の記念日であり、意味&意義深い出発日として→我が心に刻み、心中では祝日として歴史に学び明日の日本を考察する一日にしたいと思っております。 「四囲を豊かな海に囲まれ、美しい自然と変化に富み四季に恵まれた我が国です。しかし、資源は少なく、領土も狭いのが我が国です。 その中にあって、平和を愛し和を尊び異文化を是々非々、取捨選択し、たゆまない努力・勤勉さで創意工夫をして有為有用な商品&技術を創造して来たのが我が国・先人の知恵です。 それ故に、我が国の平和と繁栄を希求する道は、人類の幸福と快適な暮らしに資する商品・技術を開発・創造し、世界の平和と繁栄による自由な取引・交流・市場によって、支え支えられている。 その平和と繁栄を、ただ享受するだけでなく、積極的に寄与・貢献する事こそが我が国の務めであり存立の基盤・原点でもあると思います。」 その再生・新生<日本>の誕生日(サンフランシスコ講和条約発効)が、本日4月28日です。 私は、(ささやかな感謝・報恩の気持ちで)その意味と意義を平和の大切さを、子供・孫に語り伝えたいと思っております。 誠に、貴重な情報と見解を頂戴いたしまして、心より感謝とお礼を申し上げます。 誠にありがとうございました。
- jacta
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> 本日は 本日(4月27日)ではなく、明日(4月28日)では?
お礼
申し訳ございません、ご指摘の通りです。 (余計な弁解:就寝前の作成投稿で日付け感覚が先付け状態、私の頭では28日に日付け変更線を越えていました) ご連絡ありがとうございました。
お礼
懇切丁寧な解説と大胆な仮説をご回答していただき誠にありがとうございます。 また、主権と統治権の用語・用法の誤りを教えて頂き感謝申し上げます。 そして、時代背景等の解説と講和のジャッジに対しての大胆な仮説をその後の展開へのバーチャルな予想シュミレーションは、大変、興味深く面白いストーリーだと思います。 確かに、戦後の復興への緒についたばかりの日本で、最初の大きな岐路・決断だったのかもしれないと思います。 歴史にifは無意味だが、「戦後復興の決断ジャッジとその後の展開」は興味のあるテーマでもある。 ◇理想論だが、全世界の国と友好講和条約の発効。 ◇冷戦の激化が始まりつつあり、どちらかに属する事が求められていた・・・ ※西側グループ(現実的にGHQ、米国の意向に沿う?)との友好講和 ※台頭して来ており、周囲にも影響増大しつつある東側諸との友好講和 ※それとも、時間を掛けても、国内整備に専念し、理想論である全世界との友好講和 戦後の日本の復興の成否・進路への大きな決断・ジャッジメントであり、最初で最大の岐路に立っていたのが良く分かりました。 貴重な分析・解説をご意見を賜り、大変、参考になりました。 ありがとうございました。