- 締切済み
言行不一致を心理学的に説明すると・・?
よろしくお願いします。 不思議で仕方ないのですが、大筋において、もっともなことを言う人がいます。 たとえば人を許しましょうとか、大きい心を持ちましょうとか、色々もっともなことです。道徳的に見てもっともなことを理路整然と言うので、知らない人は感心してしまいます。 ところが、これだけもっともなことを堂々と言うのだから、自分でも少なくともある程度は出来ているのかというと、ハタから見る限りにおいて、これがまったく出来ていない人がいますよね。やろうとしているのかもかなり怪しい・・。 言ってることとやっていることが、恐ろしく不整合な人というのがいますよね。 多くの人も、言行不一致の部分は持っているとは思いますが、同時にある程度自分でもこれを認識していますので、そうそう覚りすましたことも言えなくなりますし、言い方も相手の立場も考慮したものに変わってくると思いますし、得々と説教するという雰囲気でもなくなってきます。あまりにも言行の不一致を繰り返すことには苦痛や罪悪感、恥を感じることもあると思います。 しかし、自分の言行不一致を認識しない、もしくは過小評価する人もいるようで、その認識にはある意味うらやましさをさえ感じます。どこか視点が著しく欠如していて、我々が感じるものを徹底的に感じない、不都合な状況を徹底的に見ないように出来ているのではないかという風に見えます。人に、自分の心の醜いのを見ろと言っていても、自分だけは例外なので、言っている内容にはほとんど関係ありません。こういうのを心理学用語を使って、あるいは心理学的に説明できますか? 「お父さん、お母さんを大事にしましょう」と言いつつ、その横で、自分では姑いびりをしているとかいうのもそうです。こういう人いますよね? よろしくお願いします。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
お礼
ありがとうございます。 うーん、そういうことではないのですが・・・。