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どんな状況でも人は生きるのはなぜ?

例えば、頚椎損傷で首から下が動かない、不治の病で残りの一生を苦痛と共に過ごす、精神異常で絶対に治らない、など絶対に死んだほうが楽だろうというような人をテレビで見たりします。実際その本人も死を望んでいたりします。 人間にはどうにもならない状況というのがあると思います。それでも人間が生きる(生かされる)必要があるのはなぜですか?少なくとも日本では安楽死は認められてないですよね。どんな状況でも生に執着する、あるいは人間を生かす理由は何でしょうか? ちなみに、私がそういう状況であるわけではありません。

みんなの回答

  • pocha322
  • ベストアンサー率19% (11/57)
回答No.4

私も同じようなことをずいぶん長い時間をかけて考えました。 結果、ですが それは「人間が必ずいつかは死ぬからだと思います」 あと100年もすれば今生きている人間のほとんどはこの世に いません。 たった100年でみんな死ぬんですから、生きることに こだわるのは自然だと私は考えます。

  • les-min
  • ベストアンサー率41% (269/644)
回答No.3

こんにちは。。  個人的で、あやふやな回答で申し訳ないですが・・・  「生きているから」だと思っています。  茶化しているわけではないのです。自分は仏事関連の業者で働いておりまして、葬儀にも関わっています。日常的に、生きている方にも、そうでない方にも、大切な方を失った方にも接しています。  普通に生きている人(ある種の達観のようなものを得ている人などは別かもしれませんが・・・)にとっては、やはり「死」は「絶対」なのだと思います。  「絶対」であることで、死は畏怖の対象であったり、禁忌であったり、生への執着(と思われる)感情を生んだりするのだろうと思います。  実際に、周囲から「楽になった」と言われる方、さらには亡くなることを望まれているような方も、もちろん見受けますし、そういうご遺族の心情をどうこう言おうとは思いません。  亡くなった方を前にして「この人の人生は終わったんだな」と思うとき(あまり感情移入するとキツいですが・・・)、人間は「生きているうちは、(どんな状況であれ)生きておいた方がいいな」とも思います。  ことさらに人間の尊厳や倫理や「命の大切さ」などを考えたり、意識したりすることはないですし、理屈とか、きちんと考えを説明できるとかいうものではないので、答えになっていないですけど。では。

  • biwako1215
  • ベストアンサー率13% (177/1302)
回答No.2

意識はなく、生命維持装置で、無理矢理心臓だけを うごかしている、所謂脳死の状態の場合、本音を言うと、皆安楽死をねがっているのですが、安楽死を制度的に認めてしまうと、それを悪用する人間が出現する可能性があるので、どの国もなかなか踏み切れないのです。脳死のばあい、本人は生に執着なんかしてないですね。

回答No.1

難しいですね。私が思うに「周りの人が生きていて欲しいと願うから」だと思います。 また、医師はその立場上「患者を救う義務がある」という話を聞いた事があります。

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