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キルケゴールの死に至る病について
「死に至る病」についてお尋ねします。この言葉の意味は絶望ということですが、私はずっと、人間は誰しも生きて死ぬわけだから、等しく死に至る病の病人である、という意味だと思っていました。そうにちがいないと。やはり絶望が正解なのでしょうか。そうすると、例えば突然死で亡くなるような場合、死に至る病にかからなかった、ということになるのでしょうか。 申し訳ありませんが、本書は全く読んでいません。このような哲学原書は一般人は読めるはずがないと私は思っています。先達のいる読書会に出ないと読めないのではないでしょうか。もちろん字面を追いかけて表面的に目を通すことは(それでも大変な苦痛とは思いますが)可能でしょうけれども。純粋理性批判など手に取りましたが1行も読めませんでした。残念なことですが、哲学書は読んだ気になると危険だとのことなので。 よろしくお願いします。
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- OKWave0630
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すいません。私も読んでいない口です。 ですが中島義道さんがこの書籍について自著で触れられていて内容に興味を持っています。 難解な書籍が多いのは仕方ない所もありますが、たとえ自分では理解できなくとも興味を持ってしまう。 そんな魅力が哲学になるのも事実だと思います。 ご質問の意味をお答えするのは私には無理なので憶測を述べて置きます。 「死に至る病」の病は絶望の事だと思います。 そして絶望とは「死んだほうが楽だ」と思えるほどの苦しみを持ちながら、「死んだほうが楽だ」と思えない状態だと思います。 すごく強引に例えると、「すごくオシッコしたいのに、オシッコしたいと思えない状態」でどうでしょう。絶望的でしょう? 「すごくおなか減ってるのに、ご飯を食べたいと思えない状態」でも構いません。余談ですがこれは一般的に拒食症と言う「死に至る病」ですね(笑)。 もう少し言うと「思えない」とは「思おうと出来ない(しない)」のか「思う事を知らない」のと2種類あります。 キルケゴールは絶望を3段階に分けているそうですが、どうもどちらも絶望に当たるみたいです。 ----------------------------------------------------- 一応お断りしておきますが書籍を読んでもいない私から聞いた話で知識とするのは、読んだ気になるより危険かもしれませんよ(笑)
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
読んだ気になると危険だから読まない。なるほど、面白い発想です。 しかし、実際全く読まないでの臆見(ドクサ)は、生半可な読みでの勘違いよりタチが悪いのです。より危険です。 まず読もうと努力することが理解しようと努力することですし、それを放棄する姿勢から始まっていては、全く理解できないで終わるでしょう。 幸いにして、「死に至る病」は「純粋理性批判」よりは断然難しくないと思いますよ。原書はさすがに無理(デンマーク語だったかな)だと思うので、翻訳で(ただしちくま学芸文庫版がよい)一度目を通すのも悪くはないと思います。 結論を言えば、hoso1093さんが思っているようなことは、この本にはないということになるかと思います。 随分前に読んだのであまり覚えていないけれども、おそらくhoso1093さんの思うような「絶望」ではないはずです。 キリスト教の「罪」という概念ともリンクするものですから。 >例えば突然死で亡くなるような場合、死に至る病にかからなかった、ということになるのでしょうか。 せめて目次くらいでも見ていただけるとわかりますが、自覚している場合や自覚していない場合というような場合分けがしてありますね。それだけでも、「死に至る病」というのは突然死などという具体的な死、死に様とは切り離して考えなければいけないものだということが見えてきます。
お礼
回答有難うございます。 いやいや”読まない”と宣言しているわけではありません。実際に手にとって読んでみる用意はあります。元の質問は”実際に読んでみるとしたときに”というのが前提であります。 結局実際に読めない、ということもあるだろうし、読み出したらはまって出てこられなくなるという危険もあるかも知れません。事前にリサーチしているというところです。元の質問に”読めるはずがない”と書いたのはもともと哲学者の意見です。本の解釈で生計を立てているのが哲学者なわけでアマチュアが、”はい、読んで分かりました”というのに反論があるのも分かります。 字面だけ追うと突然死は、目次としては”自覚していない場合”に分類されるように推察されます。 私は地方在住で読書会に気軽に行けないのが現状なのです。(それでも新幹線に乗って来て参加している人もいると言われそうですが...)
お礼
回答有難うございます。キルケゴールというカゼ薬のような名前の哲学者の”死に至る病”という本の存在を知ったのは高校の倫理社会のときでした。 そしてその名前をあらためて思い出させたのは、私の場合も中島義道さんの本でした。「危険」云々のところは実は中島さんの著書の受け売りです。 ”「死んだほうが楽だ」と思えるほどの苦しみを持ちながら、「死んだほうが楽だ」と思えない状態” なるほど。中島さん流に言うと、”人間は生まれたいと言わなかったのに生まれさせられ、死にたくないのに死ななくてはならない”という意味で人間の実相は絶望である、すなわち死に至る病である、という風に読めそうな気がします。社会は「死んだ方が楽だ」と思ってはならない!の大合唱であり、絶望を加速させています。 (ほらほら、危険だ、と言われそう。) 中島義道さんの本は多数あり、専門的な分野に踏み込むと私は振り落とされてしまいますが、軟らかいものは最高に面白くてズルズルと10冊以上いきました。哲学は切れ味の鋭い刃物のようなもので何でも分解してしまう危険なものだと思います。そしてそれを実践した人は没落し、不幸になるものだとのことです。 中島さんの本を読むと、「楽しい哲学」という矛盾が成立するような可能性が感じられてしまいます。