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ここはどこ?
ここはどこですか?場所じゃありません。水や空気があって、動物とか植物も生きていて、そしてあなたや私もいるこの世界です。私は当たり前のようにこの世界に生まれてきたけど、ここは一体どこなんですか?周りにいる親とか友達とかと名のつく人たち、あれは誰?平安とか江戸を生きていた人たちはどこへ行ったの?周りにいるのは「知らない人」ばかりで、私だけ一人取り残されたような気がして…。「知らない人」といっても普通の人にとっては「知っている人」なんでしょうね。だって今までずっと一緒にいた人だし。でも私はあの人たちが誰かわからない。だから「知らない人」。これからもあの「知らない人」たちと生きていくのかと思うともう訳がわからなくて…。私の知っているひとはどこにいるのか。これからどうしたらよいのかも、前も後ろも知らない世界に一人置いていかれたようで、涙が出てどうしたらよいのかわからないんです。私の言っている事は訳がわからないかもしれません。でもどうか、私の質問に答えてください。
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たとえば、あなたの周りにいる人も同じかもしれません。 あなたの周りにいる「知らない人」にとって、あなたはやはり「知らない人」で、みんな自分以外はみんな「知らない人」。 他の生き物たちが何か考えているかどうか分からないですが、そうやって理由付けをして考えていくのは人間だけだと思います。 不安になることも、安心できることも自分で考えていくんです。 >私の知っているひとはどこにいるのか 「知らない人」だらけの世の中なのでいるはずはありません。 これから「知らない人」たちを「知っていく」コトが大切なんだと思います。 母親のおなかの中から出た時点で、個体としてはみんな他の人とは違う、唯一だとします。 当然赤ちゃんは母親や父親、外界の影響を受けながら成長していきますが、自分でそれが何か知っているわけではありません。教えられて、そうだと思っていくんです。(本当はすべてウソかもしれませんが) 前も後ろも分からないとしても、手探りでひとつ確認する。 言葉だって、態度だって、ひとりひとり受け止め方が違うんだからみんな同じ納得の仕方なんて出来ません。けれど、自分でひとつ受け止めれば、その先のひとつに今度は手が出せる。 …そんな風に思いました。 なんだか書いていて分からなくなりましたが、知らないことだらけの世の中だから、知る喜びに満たされているんだな、と自分で改めて思いました。
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- toshi-boo
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「哲学」と言ったとき、多くの日本人は 「訳のわからない、小難しい学問」と思うのではないでしょうか。 しかし、人が、ヨリ善く生きようとしたときに直面する様々な問題に対して どう考え、どうしようとするか迷ったときに哲学は重要な意義を持つことでしょう。 peacemakerさんは、今、まさに哲学の入り口に立ったわけです。 では、いかなる哲学が問題になるのでしょうか。 ヘーゲルの「精神現象学」っぽく言えば、 諸個人は常に消滅の危機にさらされていると言えます。すなわち、国家、社会、道徳、法律、一般常識…のようなものの中には一人一人の生きた人間はいません。 いるのはただ、抽象化された個性のない「人間」だけです。 しかし、現実世界に生きる人間は抽象化されていない、血肉を持った「個人」しかいないのです。 一人一人の人間を普遍化・抽象化しようとするものと、それに抵抗しようとする個人との間の矛盾を通じなければ、本当の意味での「個性」は確立できないのかもしれません。 そのためには、現実の「いま・ここ」を知り、それに実践的・能動的に動くしかないと思います。 とりとめのない話になってしまいましたが、最後に少し長いのですが、魯迅の散文詩の紹介をさせて下さい。 「私はひとりで、この空虚の中の暗夜に挑むほかない。よし身外の青春を探し出せずとも、みずからわが心中の遅暮だけは振り棄てねばならない。それにしても暗夜はどこにあるか? 今は星なく、月光なく、笑いのかそけさと愛の乱舞もない。青年たちは安らかである。そして私の前に、ついに真の暗夜さえないのだ。 絶望は虚妄だ、希望がそうであるように!」
お礼
回答ありがとうございました。訳のわからない質問にも変わらず答えてくださる人がいるというだけで勇気がわいてきました。私にとって、いま・ここを知ることは難しいです。ここ1週間は一人になるとこのことばっかり。授業中も上の空。こんな私が前進できるのかわかりませんが、とりあえず魯迅の詩を大切にします。
- summer_lunch
- ベストアンサー率7% (1/13)
今日は授業をサボったランチです。 以前、私の彼も、同じ質問を、私に問い掛けたことがありました。 「我々は同じ世界に住んでいるのか?」 って、。 で、わたしは思ったわけです。「なに?じゃ、私はなんなの?同じ世界に住んでない?」 なんてひどい事を言うんだと思ったものです。まじ?私にそんなこと言う?って、。 しかし、彼は愚痴っていたのではなく、問うていたんですね。 彼は、私の愚痴を聞いて、「いや、この問いは必要やねん。ごめん。」 男とはこういうものかと思いました(泣。別に私にきかなくてもいいじゃない! でも彼は、孤独な者など無いと、知っていたのかも知れません。だからこそそういう問いを、必要としていたのでしょう。 「何故なら、皆がしんがりであるから。」 私は、また彼と逢うことが、今はわかっています。何故、こんな信頼が生まれるのか、。私はまだまだ至りませんが、去った者の代わりにいいます。 人が孤独であると言うのは、皆が、しんがりだからです。人の目は前についており、後ろを見る事はありません。皆が、皆の後ろにいるので、人は独りであると錯覚します。これほど満たされた者なのに、孤独であると感じるなんて、さみしすぎます。彼は「僕はしんがり。」といっていました。 ほんとはゼンゼン、まったく、頼りないんですが(笑 皆は、ドコに向かうためのしんがりなのでしょうか。 「すでに行って、来たもの。僕らはそういうものです」と、書いていたのを見ました。ドコに向かっているのかが、彼にはわかっているように思います。 私の彼なら、きっと、「今に向かう」とか「すでに行って来てる」とか、わかりにくいこと言いそうですが、(笑 ハァ。。←私のため息(笑
お礼
回答ありがとうございました。訳のわからない質問にもかかわらず答えてくださる人がいるだけで勇気がわいてきました。私はランチさんの彼がうらやましいです。こんな質問、本当に信頼してるに人しか、理解してくれる人にしかできません。彼はランチさんのことを本当に信頼してるんですね。私も孤独じゃないって信じれるようになりたいです。
- cse_ri
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うーん、いい質問だ。 私達はこの世界で、起きて・働いて(勉強して)・遊んで・寝る 生活を しているのだけれども、私達が「どこから来て」「どこへ去っていくのか」 そして「この世で何をすべきか」については、ほとんどの人が知っていません。 今を生きることが楽しかったり、はたまた今の生活が大変だったりして、 結局は目先のことに追われて生きている人がほとんどです。 peacemaker1さんのようなことを考える人はあまりいないのが実情です。 結局のところ、人は孤独なんだ。多くの人が気づいていないだけ。 あるいは気づいていても気づいていないフリをする。 ある程度自覚している人は、寂しさをまぎらわそうとメル友をたくさん 作ったりするね。知り合いが多いと孤独じゃなくなるような錯覚があるから。 でもね、本当は人は孤独じゃないんだよ。人は守られて生きているんだ。 真理に目覚めれば、人はそのことに気づく。 智恵の光で周囲を照らせば、世界をとりまく光の網が心の目に見えてくる。 だから絶望しないで、真理と真実を求めて努力して生きて欲しいと思います。 今は私が何を言っているか半分もわからないかもしれないけれど、 その時がきたら全部わかるようになるよ。たぶん。 #似たような思いをもったことがあるので「経験者」としました。
お礼
回答ありがとうございました。訳のわからない質問にもかかわらず、答えてくださる人がいるだけで勇気がわいてしました。周りの人がどうしてこういうことを考えないのか、不思議に思ったことはあります。私が真理に目覚めるのはいつのことでしょう?努力もします。だから一刻もはやくその時が来て欲しいです。
- gelgel
- ベストアンサー率16% (4/24)
恐ろしい質問ですね。昔はコギトというものを使って、その不安を打ち消してきましたが、無意識や多重人格の存在が明らかになってからは、自己さえも信じることはできなくなりました。 思うに、人は環境に投げ出された生物です。環境からインプットされた情報を元に、世界(像)という幻想を作り上げ、その幻想に頼って生きていく珍しい生物です。しかし、時にその幻想を幻想と見抜いてしまう人がいます。 特に、自我が固まり切らない内に異文化体験を強制されたものは、そういう文化の狭間的な状況に陥ることがあります。どれもが信じられない不安定な状況です。人間の脳は素晴らしい柔軟性を持っていますが、余りに柔軟なため、一度に大量の情報を入力されると、不安定になって落着かない状態になります。 そこから脱却するには、基礎づけから出発することを、哲学では教えます。コギトが信じられない以上、私にとっての出発点は「肉体」です。熱い冷たい、悲しい嬉しいといった身体に起因する事柄が、ただ私には信じられるものです。心は主人を裏切りますが、身体は裏切らないからです。 その上にたって再び世界(像)を再構築すれば、私とはこの感覚の総合体、私がいるこの世界とはこの感覚のあり方を合理的に説明する仮説、江戸時代の人もまた、様々な遺物を合理的に説明する理論、知っている人は私の記憶に多量のデータがインプットされている何か、ということでしょう。
お礼
回答ありがとうございました。訳のわからない質問にもかかわらず、答えてくださる人がいるというだけで勇気がわいてきました。やっぱりこの世界は幻想なんでしょうかねぇ?もしそうならいつになったらこの幻想から抜け出せるのでしょう?そう考えると恐ろしくなります。自分のした質問に対してもなぜ自分がこんなことに気付いてしまったのか憎らしくもなります。難しいです。
- jume
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ここはどこですか? なんて苦しい問いだろう…。哲学の根っこにはいつも「死」の問題が横たわっている、と誰かが言ってました。平安や江戸を生きた人どころか、わたしのおじいちゃんはどこへ行ったのでしょう?天国?地獄?涅槃?来世?いやいや、それどころかこのわたしは?わたしはどこへ行くのですか? タレスやヘラクレイトス、ソクラテスの昔から…、いや人類の歴史と同じだけ人は哲学をしてきたのでしょう。でもpeacemaker1さんが陥ってしまった問いに答えきった人はいない。近年、発展が目覚しい科学は、それを考えることを止めた。止めたから前へ進める。根っこが、足元が気になって仕方がない人はいつも他の人から遅れてしまう。これも誰かの受け売りですが、哲学は病気みたいなものです。学問であってもっとも学問らしからぬ学問です(とわたしは思います)。 アリストテレスの第一哲学であるところの形而上学は、存在について考える学でした。「存在者」ではなく、「存在者」を「存在者」たらしめているその「存在」ってなに?と問うたのです。その問いは20世紀に入ってからもフッサールの現象学やハイデガーの形而上学でまだ問い直され(ハイデガーは傑出したアリストテレス学者でもありました)、21世紀に入った今も検討に次ぐ検討が繰り返されています。もちろん彼らの哲学には反論が山のようにあり、結論は出ていません。それは下でsongbookさんがおっしゃっている「哲学の迷路」のようなものでしょう。 ここはどこですか?…このわたしが存在している地平はどこで、わたしに関わる多くの人たちはいったいなにものなのでしょう?そして、わたし自身はなにものであるか、それがあるいは最大の難問かも知れません。
お礼
回答ありがとうございました。訳のわからないことを書いているのも関わらず答えてくださる人がいるというだけで勇気がわいてきました。昔の人もこの答えのない問いに苦しんだんでしょうか。そんな昔から多くの人を悩ませてきた難問…。でももしかしたら答えがないから、俗に言う「神秘」なのかもしれませんね。
- abichan
- ベストアンサー率56% (225/397)
>ここはどこですか? 「あなたの意識している世界そのもの」です。したがって全ての人にとって世界は違うということもできます。 >周りにいるのは「知らない人」ばかりで、私だけ一人取り残されたような気がして…。 それもあなたの認識している世界そのものです。 「自分とは何か」を考えてゆくと「自分とは今、自分が考えていること、感じていることそれ自体です。」自分が幸福で心がわくわくしているようなとき、それが自分です。自分がみじめで、不幸で、どうしようもないと感じているとき、それが自分です。自分が何かよいことを考えている時、「その考えが自分」です。 したがって、「自分」という固定したものは本当はありません。 わたしたちは常に「選択」をせまられているのです。自分がいつも「よいことを考え、幸せを感じている人」なのか、「悪いことを考え、不幸と感じている人」なのか、どちらにせよ、[自分で選んでいる]のです。 >前も後ろも知らない世界に一人置いていかれたようで、涙が出てどうしたらよいのかわからないんです。 悲しまないで、泣かないで・・・ あなたはひとりではありません。現にわたしもあなたと関わっています。 「近づかなければ近づけません」自らオープンマインドで周りに関わりましょう!また「一期一会」です。
お礼
回答ありがとうございました。訳のわからないことを書いているのにもかかわらず答えてくださる人がいるだけで勇気がわいてきました。周りの人の感じている世界がどんな物かはわかりませんが、少なくとも私の中では最高の世界であるように、そう信じてオープンマインドになれたら嬉しいです。
- songbook
- ベストアンサー率36% (334/910)
あなたがそのように感じるならば、ここは 「哲学の迷路」 ここの入り口にはソクラテスのような人がいて、「おお、私は何も知らないのだ、何もわからないのだ。それが今、わかった」 知らない人ばかりが周りにいる。では、自分のことは知っているのか。そもそも自分とは何か。 哲学は、時にショッキングで、つらいけども、同時に、新しいあなたを発見させてくれる、魅惑に飛んだ道しるべです。時々勘違いして、おかしな宗教にはまっていく人もいます。 もう一度いいます。ここは、哲学の入り口。あなた自身への旅の入り口です。そして、私もここに時々ふらっと立ち寄る旅人です。
お礼
回答ありがとうございます。訳のわからない質問にもかかわらず、答えてくださる人がいるというだけで勇気がわきました。哲学ってなんだか難しいように思っていたけど、知らないうちに入り口までたどりつきました。考えている時は本当に苦しかったけど、新しい自分を発見できる哲学を好きになれそうです。また立ち寄ってみようかなぁ。
お礼
回答ありがとうございました。訳のわからないことを書いているにもかかわらず、回答してくださる人がいるということだけでも勇気がわいてきました。「みんなを知らない」と悩むだけじゃなく、「みんな知ってる人」と安心できるようになれたら嬉しいです。自分なりに知る喜びに満たされるよう、精一杯手探りしてみます。