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皆さんは、日本語で優越感にひたっていますか?

私は、アルファベットに代表される、表音文字しか使わない連中を見ると、「ああ、ひらがな、カタカナのたぐいしか読めない、劣った連中なのだな」と、優越感にひたります。では、中国人はどうかというと、「あんなに沢山の漢字を覚えなければならないなんて、可哀想な連中だな」と、やはり優越感にひたります。皆さんも私と同じように優越感にひたっていますか?

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回答No.10

このようなことで優越感を感じる人っているのでしょうか?常に自分が優れている、勝っていると思いたい気持ちがあるのでしょうが、優越感はひっくり返せば、劣等感の恐怖から逃れたいだけなのではないでしょうか? 言語は意思の伝達手段ですから、どのような文字を使おうと、どのように複雑な漢字が必要であろうと、伝えたい意思が正確に伝われば良いのです。 カタカナしか読めなくとも、そのカタカナによって優れた意思が伝達されるのであれば、あなたは優越感などに浸っている場合ではないのです。難しい漢字を覚えなくてはならない可愛そうな奴だと思っていても、その難しい漢字を使って、物事の繊細な部分や微妙な部分の表現が出来て、伝わる意思が正確になるなら、あなたは優越感になど浸っている場合ではないのです。 鈍ら(なまくら)な刀を持っている相手に優越感を持っていても、斬られてしまっては何にもなりません。みょうちきりんで、面倒くさそうな武器を持っている相手に優越感を持っているうちに、斬り捨てられたのであれば何にもならないのです。 手段や道具で優越感を持ってしまった時点で勝負には勝てないのではないでしょうか。ポイントは「その手段や道具」の使い方、利用法であり、「その手段や道具」を使う人の心だと思います。 優越感を持つのであれば、「その使い方、活用法、利用法の差」に対してであり、また「使う人間の心の状態の差」に対してではないでしょうか。

originalgangster
質問者

お礼

おっしゃるように、言語も道具である以上、優劣は有ると思います。世界の全ての国は全て平等であり、同様に世界の言語に優劣は無いと言うのは、理想であって現実では無いと思います。 もちろん、あらゆる点で日本語が優れているとは言いません。例えば、日本語を誰でもタイプで打てるようになったのは、英語などに比べれば最近の事です。英語などに比べれば活版印刷にも向いていません。これは日本が西欧に遅れをとった理由のひとつでしょう。 しかし、今では、このようにタイプ入力が可能です。パソコンへの日本語入力システムは、ノーベル賞級の発明ではないでしょうか?もっともスウェーデン人にとっては無意味な発明なので、ノーベル賞は無理でしょうけれども。 おっしゃるように、「使う人の心の状態の差」は重要です。「日本語というのは、世界でも優れた表記法を持っているのだ」という自信が有れば、自信を持って、日本語を使っていけるのではないでしょうか?それを、「優越感」と呼んで良いのかは、分かりませんが・・・

その他の回答 (12)

  • Riccota
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回答No.13

主観なので、社会的モラルはちょっと置いておいて、回答しますね。(通常会話では絶対言わないですが)私は日本語が大好きで、一番美しく、パワフルな言語だと(心の中で)思っています。 大和言葉にぐんぐん外来語を取り入れ、表記法まで借りてきて、そのあげく大和化する、という歴史を何度も繰り返してきているそのしなやかな強さと言ったら。文法も基本的大和語もほとんど残っていますし。漢字カナ表記もすごいですね。漢字を残さなかったハングルがかわいそうに感じることもありますが、本当に主観ですので、大きなお世話でしょう。 ただ、英語を読むとき、私は、一つあるいは複数の単語をビジュアルに知覚しているので、私にとっては、偏と旁の組み合わせの漢字なのか、アルファベットの組み合わせなのかの違いの様な気がします。ネイティブも一つ一つスペリングを気にするよりは、パターン認識をしているようです。表記では、あまり優劣を感じませんが、英語(多種英語)のようにもはや基準や国籍さえ超えた言語というのは、かわいそうなのか、世界標準なんだから良いことなのか、判断に苦しみます。今の時点では、日本人に日本語があって良かったな、とうれしい。 現在の日本語の高速な変化もスピード感があって楽しく感じています。ただ、変化について行けない世代に対しては使わない、という意識教育がもっとあっても良いのかなと思います。「日本語の乱れ」なんて、清少納言もぶつくさ言っていましたから、そう思うようになったのは、自分の年齢かも。

originalgangster
質問者

お礼

#13さんまでの回答を読ませていただきました。 実は、お叱りの言葉を受ける事を覚悟して質問したのですが、案外、賛同の回答も有り安心しました。 私は、「言語で優越感に浸るなど言語道断」などと洒落を言いたいが為に、このような質問をしたのでは無く、#10さんの言われるように、言語も道具である以上、優劣は有ると思うのです。世界の全ての国は全て平等であり、同様に世界の言語に優劣は無いと言うのは、理想であって現実では無いと思います。 もちろん、あらゆる点で日本語が優れているとは言いません。例えば、日本語を誰でもタイプで打てるようになったのは、英語などに比べれば最近の事です。英語などに比べれば活版印刷にも向いていません。これは日本が西欧に遅れをとった理由のひとつでしょう。 しかし、今では、このようにタイプ入力が可能です。パソコンへの日本語入力システムは、ノーベル賞級の発明ではないでしょうか?もっともスウェーデン人にとっては無意味な発明なので、ノーベル賞は無理でしょうけれども。

noname#17702
noname#17702
回答No.12

、 日本語に優越感は感じません。 現代日本語は明治政府の富国強兵政策の下、方言では軍の統制が取れないため整備されたもので、標準語の歴史も百年に満たないものです。 また、日本語はオノマトペ、外来語、テキヤ賭博用語、反転、を多用する極めて稚拙な言語だと思います。 それに欲求動詞や形容詞の活用欠落など欠陥も多い言語です。 食べたい・です 美味しい・です 楽しかった・です ありがとう・ございました こんな陳腐な言葉は他にありません。 習慣的な表現ばかりで、解って下さい言語というか……… 私はイタリアから帰国して改めて日本語の幼稚さに鮮烈なカルチャーショックを受けました。 、、

originalgangster
質問者

お礼

日本語を知る為に、私も外国語を学びたいと思います。

noname#34210
noname#34210
回答No.11

斬新な面白い意見です。 こう云う観点から日本語を考えた事はありませんでした。

originalgangster
質問者

お礼

ありがとうございました。これからもがんばります。

回答No.9

日本語は美しい言語だと思います。その日本語が乱れきっている現状を憂慮しています。正しい日本語を使わない、と言うよりは使えない人たちを憐れに思います。そして、憐れであることに気づかない彼らを愚かだとは思います。

originalgangster
質問者

お礼

国語教育の時間をふやすべきでしょう。

回答No.8

そういうこと一切ありません。思えば優越感というものを感じたことがもしかするとないのかもしれません。違和感ならよく感じるんですけどねえ。

originalgangster
質問者

お礼

人間が互いに理解しあうのは難しいですね。

  • pbf
  • ベストアンサー率16% (49/300)
回答No.7

 私はどちらかというと劣等感を感じています。ただしそれは、過去の日本語と比較してです。  明治維新のころの日本人は、日本が遅れているのは日本語の複雑さの所為だと考えたようです。英語なら26文字で全てを表せるのに、日本語では漢字を入れたら何十万という文字を覚えないとならない。それが学問の障害になっているのだと。脱亜入欧?まさに劣等感のかたまりですね。  そこでまず漢字を数万にまで減らし(現在、常用漢字は千の単位です)、たとえば一人称も英語の“I”に習って「私」という新語ひとつに統一してしまいました。それまでは「みども」「それがし」「小生」などなど実に豊かな表現があったのに。  敗戦など、さまざまな経緯でこのかたちに落ち着いた日本語ですが、世界に誇れる遺産でもある日本の古典文学をいま、私を含めてどれだけの日本人がそらで理解できるのでしょうか。

originalgangster
質問者

お礼

確かに、古文は外国語ですね。私は「今日の我をもて、昨日の我と戦う事を惜しまず」という言葉が好きです。かと言って、何でも捨て去って良いというわけでは無いのですが・・・

noname#15872
noname#15872
回答No.6

無意味な質問だなと思いました。自分の生まれた民族と地域と言語などの環境的理由によって、自分の母国語または母語というのが決まると思います。そういう天性の「国語」イコール母語を大切にするのは普通の事だと思います。生活上教育上、自分の生まれた環境(民族・地域・言語)以外の他の言語を学ぶことが要求されます。そのことから感性的な理性的とは言い難い、いわば歴史性・地域性・文化性・民族性などの、人間性の本質にに関わる根元的なことを無視し、言語の優越性を議論するのは、偏狭な一元論的な傲慢につながると思います。教条的なことですみません。

originalgangster
質問者

お礼

外国語を学ぶ事は重要だと思います。日本語を学ぶ為にも。

  • K-1
  • ベストアンサー率21% (832/3844)
回答No.5

中国語圏で外来語を無理矢理書いているのをみると、 どんな言語でも表音できる「カタカナ」は便利だよな~とは思いますが、 優越感を感じるほどではありません。 >古代文明の発祥地では文字が発明されています。日本には残念ながら在りません。 一応「神代文字」というものが存在します。してました。 ひらがなやカタカナは漢字の崩しというのが一般的ですが、むしろ神代文字が変化したものというほうがしっくり来る字体も多いです。

originalgangster
質問者

お礼

言葉や文字は、「特許」ではないのですから、便利だと思えば、どんどん使って良いと思います。

回答No.4

優越感に浸ったり、劣等感に苛まれたりです。 劣等感は、古代文明の発祥地では文字が発明されています。日本には残念ながら在りません。多分同一民族で構成されていて、文字を持って自分自身の神格化を図る必要が無い平和な民族だったのでしょう。ここから和を尊ふ気風が生まれる一方協調性を重んじる中で独創性が欠落してきた事に劣等感を禁じ得ません。 でも、その和を基本とする気質から世界各地の言語を明治維新後、上手に取り入れて、言語表現の多様性を一言語の中で創り上げてきていることに誇りを持っております。この点で、多少優越感を覚えます。

originalgangster
質問者

お礼

日本語にも、優れた点、劣った点が有ると言う事ですね。その両方を子供達には教えるべきでしょう。

  • donna13
  • ベストアンサー率19% (335/1753)
回答No.3

質問者さんの言われるような内容では優越感には浸りませんが、日本語は発音出来る言葉は辞書で引けることには優越感を感じます(笑) 英語は聞き取れてもしゃべれても、音で辞書を引くのは難しいですから

originalgangster
質問者

お礼

同感です。

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