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フロイトの
イド、自我、超自我について、日常の中の人の行動で説明するにはどのような説明がいいでしょうか。。。、悩んでます!
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- ponchan816
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質問者様の求めに沿う回答ができますかどうか自信がありませんが、自分の勉強のためにも回答させていただきます。より心内語に近い表現を用いますので、ちょっと下品になりますが、ご勘弁ください。 イド =(しょんべんしてえー)という誰にも遠慮のない、概念・言葉になる前の欲求。 Sエゴ=好き勝手そこらで粗相してはいけない。 エゴ =・「トイレはどこかな」 ・「先生、おしっこ」 ・「商談中だから、今はまずいよなあ」 などの例から、 「湧き上がるイドに対し、身につけてきたSエゴとそのイドが起きている状況に応じて、私たちのエゴは様々な行動を選択している」という説明は、いかがでしょうか。 NO3さんが指摘している通り、あくまで仮説構成概念ですのでどんな説明でもできるのですが、質問者様の言う「日常の中の人の行動についての説明」であれば、より分かりやすい場面を取り上げると、説明される側も理解しやすいかもしれません。 食事の時の「いただきますという挨拶」や「手づかみでなく箸を使うこと」なども、説明に使いやすいかもしれません。「欲求充足行動」と、それに「待ったをかける慣例や習慣、常識、儀式」の組み合わせで考えるといろいろ思う浮かぶと思われます。 それでは失礼いたします。
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
#3です。 回答の中で「イド」と「エス」を混在させてしまいました。 「イド」はラテン語,「エス」はドイツ語ですが,同じものです。 いずれも英語の“it”に相当する語です。 失礼しました。
お礼
ありがとうございます!!itなんですね、知りませんでした・・。ありがとうございました
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
期末の課題か何かでしょうか。 すでに参考になる回答が寄せられていますが,少しだけ補足を。 イドやら自我やら超自我やらといったものは 神経症の理解のためにフロイトが作り出した仮説的概念装置であって, これらを持ち出すことでどのような行動についても後知恵的解釈ができますし, もっともらしいストーリーを創作することも可能です。 (なので現代の心理学者はこのような説明を採用しません。) 超自我なるものは エディプス的葛藤を乗り越える過程で 親(的存在)との同一化&取り込みによって形成されるとフロイトは考えました。 超自我は道徳観,倫理観の源泉とされますが, 必ずしも「善良な」存在ではなく, 独善的な価値観を押しつけたり過度の禁欲を課したりすることで 自我をがんじがらめにしてその健全な機能を損なうこともあるのです。 たとえば 「若い男性がムラムラと沸き起こる性欲の捌け口を求め(エスのはたらき), 合コンで知り合った女性を口説いてデートを重ねます。 3回目のデートで暗黙の合意が成立して,いざベッドイン(自我のはたらき)。 ところが彼の身体は勃起不全を起こしてしまい,若い二人は気まずい朝を迎えました。 性的なものを嫌悪する過度に禁欲的な超自我が彼の性交の成功を邪魔したのです。」 なんていうストーリーが描けます。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
素人の独学的解釈です。 イド(エス)=無意識の本能的欲求。 自我=意識的な自己実現欲求。 超自我=無意識的・意識的に拘わらず他者への配慮に基づいた意志。 といった感じではないでしょうか。 非常に好きな異性に遭遇した時、イドは性交による合体を望み、自我は子孫を作り円満な家庭を築きたいと考え、超自我は一緒になることが相手にとっても幸せなことだろうかと考える。 感情の赴くままに従うのがイド的、その感情を自己実現的に昇華させようとする意志に従うのが自我、他者の存在に配慮しようとする倫理性が超自我、といったような見方もできるでしょう。
お礼
回答ありがとうございます!!そのような流れ、とてもわかりました。もっと勉強します!有り難うございました
- vzb04330
- ベストアンサー率74% (577/778)
たとえば,次のようなことではいかがでしょう? イド:わがままなお子様 自我:成熟した大人 超自我:昔風の頑固オヤジ つまり,次のような考え方です. イドは,衝動や抑圧した記憶などが留まっており,快感原則にしたがって働きます. 快感原則とは,要するに,欲求の即時満足という原則で働くということです. つまり,何か欲しくなったら,すぐに欲しいという,我慢なしの状態を意味します. 超自我は,生後に受けたしつけを内在化(外からあえ足られたものを徐々に自分のものにしていくこと)してできた領域で,理想の追求や良心の禁止という働き方をします. つまり,“~しなければならない”,“~してはならない”という働き方ですから,昔風の頑固オヤジのイメージでしょう. これらに対して,自我は,生後,いろいろな人との出合いなどを通して,形成されていきます. その働き方は,現実原則です. つまり,現実世界に適応して生きていけるよう,イドと超自我の間の調整や仲介をします. 心の中が,イドと超自我だけであれば,片や“我慢なしで,すぐに欲しい”と騒ぎ,片や“ダメだ,我慢しろ”というばかりで,いわば,しょっちゅう“ケンカ状態”で上手くいかなくなります. そこの間を取り,現実の世の中でうまくいくように,間を取り持ってくれるのが,自我の働きです. このようにお考えになってはいかがでしょう?
お礼
回答ありがとうございます!!とてもわかりやすいたとえで納得いたしました!!生きていくにあたっていろんな経験が育てられていくということも納得。有り難うございました!
お礼
回答ありがとうございます。食事もたとえとかもとってもわかりやすいですね、きづかせていただきました・・。ありがとうございました