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江戸時代の株仲間・仲買について
(1) 江戸時代の商品の流において、[株仲間→小売]とい う体制のなかに、新たに「仲買」というのが入り、[株仲間→仲買→小売]という流通ができた、というのが私の理解ですが、どうでしょうか? (2) それを前提にして考えれば、堂島の米市場(大坂)や日本橋の魚市場(江戸)などは株仲間なのか、仲買なのか流通体制のどこがこれらのポジションなのでしょうか? (3) また、大坂では二十四組問屋がいて、江戸では十組問屋がいたとききますが、これらもまた、↑のような流通体制のどこに位置していたのでしょうか? はっきりと理解できないので、知っている方、教えてください。
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株仲間とは今で言う同業組合であり、仲買は 生産者⇒仲買⇒問屋⇒仲買⇒小売 といったように流通の仲立ちをする業者で同列には論じられません。 仲買が株仲間を作って市場を独占したりすることもありました。