そういう側面はあると思います。
周囲に適応するような人間のほうが、迷わず勉強が大事なものだと感じられるようです。今の世では勉強は大事だと一般に考えられてますから。
自分独自の考え方を持つ独創的な人には、勉強のような広く一般の考え方は体が受け付けません。ですから必然的に悪くなる傾向にあります。
例えば、1+1と言う計算を、2と素直に言えるか、赤いりんごと黄色いバナナは足し算できないから、2ではない時もあると言えるかで、学校の成績は決まります。つまり、「そうなんだよ」と言われた時に素直に従うか、自分で本当かどうか吟味し、それに抗うか、と言うことです。
でも今の世の中だと少しそれぐらいのほうが、結果的には社会に実質的に貢献しています。発想力もそういう人のほうがいいです。あなたの言う頭の良い人は、たいてい記憶力と今の社会でまとめられている学習体系の威力に依拠している傾向が強いです。
また、逆に勉強ができる人の中で上手く成長をすると、すごく性格のいい人になります。…少なくとも人当たりは、ね。
でもそれは礼儀作法がきちんとしている程度の判断材料でしかなく、本当に性格がいいかどうかはもっと親密に付き合わないとわかりませんよ。本当に良い人もいますけど。
ジャなんでそういう人が出世するかと言うと、社会ではそのうわべの人当たりで人間を判断するのが慣習になってしまっているからです。会社に入るための面接さえクリアすれば、あとは練習すれば誰でもできるような仕事だったりしますよ。ある程度までしか指標にはなりえないと思うんだけどなァ。
そしてそういう人はマニュアルさえあればすぐに吸収して動き出すので、会社のほうも使い勝手がいいのです。即戦力になりますから。
また今の社会は、誰でもマニュアルどおりにやればある程度のことができる社会なので、逆に皆でどう動くか、に焦点が置かれている時代です。そこでコミュニケーション能力が必要とされ、結果としてそういった優等生がその中心をしめ、重要なポストを得ると言う結果に陥っています。しかし本当にその人でないと駄目か、その人意外に優秀な人がいないのか、と言うのははなはだ疑問です。誰も比較実験して調べては居ないんですから。
ですから学校教育も、ある程度の成果を得ていますが、絶対的な学習方針だとはとても言えないものなのです。
私も高校時代、もっといろんな経験をしたり友達と遊んで、自律思考能力か、人間関係能力を築けていればな、といつも後悔しています。勉強至上主義な人間だったので。
お礼
ありがとうございました。 勉強や社会に対して人間のものの見方 捕らえ方は多岐多様だなぁとおもいました。 参考になりました。 御礼が遅くなりすみませんでした。