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無条件の愛についてです。

悪の心は、一切認めては、いけないと自分では思っています。無条件の愛とは、どのような愛ですか?

みんなの回答

  • tk1113
  • ベストアンサー率53% (97/180)
回答No.3

 私たちはよく人を判断するときに、その人の外見や考え方、雰囲気、過去の行いなど様々なことを考慮して判断しますよね。時にはその人の財産や仕事などが判断材料になることも・・・  無条件の愛とは、そういったあらゆる判断材料も好みもフィーリングも、あらゆる全ての判断材料を放棄して、相手の存在そのものを受け容れるということではないでしょうか。無論相手は人間だけではないと思います。  「この子は言うことをよくきくイイ子だ」とか「自分の産んだ子はかわいい」というのは無条件の愛とは言えません。 私はクリスチャンではないので正確な記憶ではありませんが、神は良しとしないものは存在させない、それが在るということは神が認めたからだというような事を聞いた事があります。つまりは悪の心も、弱い存在である生き物の哀しい行為、思いですから過ちをも赦すのが無償の愛ではないでしょうか。

zzennshinnjp
質問者

お礼

回答有難うございました。参考になりました。

  • 1961aug
  • ベストアンサー率55% (30/54)
回答No.2

無宗教の一般人ですが回答させていただきます。 『死』と『老い』を受け入れることではないでしょうか? どんなに若く美しく、また地位も金もある人でも、またその逆の人にも死と老いはそれこそ無条件にやってきます。 ちょっと切ないですが、人が必ず迎えざるを得ない、「死」と「老い」を受け入れることで、万物・万人に対して慈愛をもつということではないでしょうか? ロールズという政治学者の話を借りると、 「不平等性は自然的事実であって、不公正ではない」 「誰も・・・自分の場合どれほど恵まれているかも知らされていない」とあります。 生まれとか、様々な機会や不遇を不公正と嘆いては、「無条件の愛」からは遠ざかりそうです。 そして自分自身も、そして誰もが、老いと死という人生のゴールにむけて「どれだけ自分が恵まれているかわからない」存在にすぎません。 誰しもがその生・死について、無知・無力であるから、同じ無知・無力な存在どうしとして慈しむことができる・・・というところではないでしょうか?

zzennshinnjp
質問者

お礼

回答有難うございました。参考になりました。

  • jyamamoto
  • ベストアンサー率39% (1723/4318)
回答No.1

「母の愛」です。・・・今は少し頼りない愛もあるようですが・・・。

zzennshinnjp
質問者

お礼

回答有難うございました。参考になりました。

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