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愛を感じて育ちましたか?
真剣に悩んでいます。。。 メンタルヘルスのカテゴリではなくここに質問したのは気軽にたくさんのお答えをいただきたいからです。 みなさんは親やその他の方から【無条件の愛】を感じて育ちましたか? 愛された方は、どのような時にその愛を感じましたか? また、親の立場にある方は、子どもさんをどのように愛されていますか? 別に愛されていないと思う方は、他の人を愛する事ができていますか? 自分自身そんなことを考えたこともなく、恵まれた環境だと思っておりそんな悩みとは無縁だと思っていたのですが、甘えたことも無いですし、むしろ親を拒否し続けていて、かなり多いほうだった友達も考えてみれば心を開いたことも無く本音を言ったことも無く、異性との交際も全く望まない状況(同性愛とか興味が無いとかではなく、一種の精神障害の症状みたいです)で、もし親になれば愛し方など全くわかりません… ちなみに、愛とは子どもが「愛されている」と感じるか否かであって、親が愛したと言い張っても意味がない、ということを知り、自分の親が悪いなどというつもりは全くありませんが、恥ずかしながら質問させていただきました。 どのようなご回答でもかまいませんので、できるだけたくさんいただければ嬉しいです。 よろしくお願いします。
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- dell_OK
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私は、親やその他の方から無条件の愛を感じて育ってはいません。 親と生活したのは4才ぐらいまでで、その頃は愛と言う言葉を知りませんでしたので、無条件でない愛も感じてはいません。 それからは、施設にあずけられたりしましたが、その時にも、愛と言う言葉は知らなかったし、そのようなものも何も感じてはいません。 それから、祖父母に育てられましたが、一緒に生活できない親にかわって祖父母ゆえに育ててくれていたと思うので、無条件ではなく、血縁と言う条件のもとの愛情はあったと思いますが、私がそれらを愛として感じていたわけではありません。 子供が親の愛情を知るのは、いくつか年をとってからか、親になってから、育ったあとで、気づくものだと思います。 よっぽど「子供に愛している」と言う言葉で伝えていたのなら別ですが、そうでなければ、愛など知らずに愛の中にあったりするものです。 もちろん、まったく愛情のかけらもそそがない親もあるでしょう。 少なくとも私の親はそうではなかったので、愛されていた事を知っています。 ただ、それは、成長してから、そのように知ったのであって、子供の頃には、愛などみじんも感じてはいませんでした。
- glossa
- ベストアンサー率33% (3/9)
家族愛って意地悪な言い方をすれば、自分の家族さえよければ、他はどうでも良いというエゴと表裏一体ですよね。 エゴでつながっている家族はちょっとしたことですぐ壊れる家庭だと思います。 日本語で愛って言うと色んな意味がありますからね。 自分の子供を抱き締めるとき、アフリカで飢え死にゆく子供達のことが頭を過り、しかし我子にとって親は自分達だけとだ、強い責任感に駆られる位でないと、ここで言う愛とは言えないかと。 愛って生まれつき持っている物ではなくて、愛を学ぶ環境にある人が後天的に知るものだと思いますよ。
私は愛されて育ったと思っています。 でも、夫は親に愛されていたとは思っていませんし、今も愛されてるとは思っていません。 夫の親は酷い親でした。 今なら逮捕されるであろうほどの虐待を父親から受け、母親は育児放棄、あげくに子供を捨てて男と出て行ったそうです。母親には食事を作ってもらった記憶もなかったそうです。 父親は再婚し、夫は継母に育てられましたが、そこにも愛情は無く、毎日『お前は家から早く出て行け』と言われていたそうです。 大人になった今でも、肝心な所で夫を拒否するような言動をします。本人達はそこまで夫を傷付けているとは思っていないでしょうけどね。本当に人の感情に対して鈍い人達なんです。 そんな夫と結婚して26年、46歳の女ですが、夫は今、愛情いっぱいの夫であり父親です。 私達が結婚したのは、まだ幼さの残る年頃だったので、私の父親が提案し、夫がそれを強く望み、私の両親との同居から始まりました。 私の両親、特に父親が本当に夫を可愛がってくれ、夫は親の愛を私の両親から感じ取ってくれたそうです。 その時の父親を見ていた私は、やはり父親に愛されてると強く感じていました。私を愛してくれてるから、夫をこれほど可愛がってくれるんだとね。 私は、その時の嬉しさが忘れられず、息子達の彼女達にも、なるべく愛情をもって対応しています。 夫は子供達に、色んな経験をさせたいと思って生活してくれました。最初は自己満足の為だったかもしれません。でも、子供達の成長と共に、夫も段々本物の父親になっていってくれたように感じています。 なかなか、夫のような育ちをした人は居ないように感じるのですが、そんな夫でも、これだけ愛情豊かに幸せに生活してくれている事を思うと、あなたのような人でも、『愛』を感じるのは、それほど困難な事ではないのかもしれませんよ。
- shi1959
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No.1 です。 >ということは回答者さまは気付いていなかっただけ、ということでしょうか? そうですね… 気付いてなかったと言うか、親の愛なんて考えた事もなかったですね。 >愛を受けずに育った人間は子供を育てるのも困難なようです… そうでしょうか… 自営業なので忙しい母でしたから、カギっ子ではありませんでしたが、 何か親に相談した覚えもなく、甘えた覚えもありません。 なんでも一人で解決が当たり前のような子供でしたね。 そんな家庭でしたから 私は専業主婦を選びました。 多分淋しかったのかしらね。 (その分、外で発散できるタイプでしたから、実際、淋しいとハッキリと感じてはいなかったように思います。) ですから、自営を継ぐ事もなく、サラリーマンに嫁ぎ(出戻りましたがw) 家で子供の帰りを待ち、 子供が学校から帰った顔を見て、今日は楽しかったのか、何か嫌な事でもあったのかしら?など、わかってあげたいと思いました。 今年息子26娘20ですが、他の親子よりも会話のある関係のようです。 娘とはよく外出して「仲がいいです~」と よく言われます。 当時は、自分の家庭を反面教師のように、自分は自分の家庭を作る!って思っていたように覚えています。 子供を授かって、子供を育てる大変さを知って、親の愛に気づいたのでしょうね。 私の親はあまり愛情表現をしなかったという事なのでしょうかね。 ですから、私は子供達には言葉にして伝えています。 常にかわいい存在である事、愛しているとまでは言いませんが、 大事である事を伝える努力はしています。 今は亡き私の母の愛と、私の子供たちへの愛が違うだけのように 思えます。 質問者様は質問者様の愛でいいのではないでしょうか? これが「愛」だという 教科書はないと思います。 そして、いつの日か素敵な男性にめぐり会えたなら また違ってくるとも思います☆
>愛を受けずに育った人間は子供を育てるのも困難なようです… 何故、new_clasic様はそのようにお考えになるのでしょうか。 「親の愛」とは、形に見えるものばかりではないと思います。 また、「親の愛」とは「こういうもの」と決め付けることも出来ないと思います。 「愛を受けずに育った」と言う子。 どの親も、子からそんな言葉を聞いたら悲しむと思います。 確かにいろいろな親がいます。 子を疎ましく思う親。 子を顧みない親。 子を手にかける親。 どんな子でも子であり、どんな親でも親です。 子が「親から愛されたことなど一度もない」と考える。 親が「子を愛したことなど一度もない」と考える。 そんな親子はいるかもしれない。 「愛したこと・愛されたこと」にお互いが気づかなかったのかもしれない。 そんな親子にもどんな形にせよ、ほんの一瞬でも愛はどこかにあった、と 私は思いたいです。 new_clasic様が将来、子を持ったら、new_clasic様なりの愛し方で 子を愛せばいいことだと思います。 子のために何かしてあげたい。 子が笑っていたら、一緒に笑ってあげたい。 子が泣いていたら、あやしてあげたい。 子が悲しんでいたら、その悲しみを取り除いてあげたい。 そう考えることが愛ではないでしょうか。 愛されてなかったから、愛し方がわからないのではなく、 愛されてなかったとしても、愛することはできる、私と思います。 愛とは教わるものではなく、自ずから湧き出てくるものであり、 自ずから気づくものだと思います。 愛とは受けるだけではなく、与えるものでもあると思います。 今はnew_clasic様に愛し方がわからなくても、きっとわかるときは 来る、と私は思います。 質問に沿った回答でなくてすみません。
愛されていたとは思うが、愛の存在なんて信じていませんでした。 捻くれてるな。
不器用で奔放な親でしたが愛されていました。 小・中学生の頃、5時の門限を守らないとぶっ飛ばされもしましたが・・。 私が眠っている間(起きていたけど)風邪をひかぬようにはだけた布団を セッセと直していたり、入院をした時は面会時間を過ぎて看護婦さんに 怒られても傍にいて話をしてくれました。「何が食べたい?」と何度も 聞いて・・。 親は有り難いですね。
- tips
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こんにちは。 自分の父親とは、20年以上会っていないので どうかわかりません。 母親とは、一緒に暮らしていた約20年くらいの間には しつけや一方的な感情を受けたことは記憶にあります。 でも、母と離れて暮らしている今、メールなどでやりとしていて 自分も大人になって(笑)母なりの愛情を感じます。 第一子だったので、母も気負う部分や不器用な部分が あったと思いますが、がんばってくれたと思います。 感謝しています。 無条件の愛というと、抽象的で限定的な感じを受けますが 子どもを生み、育てていく中で、弱いものを守ろうとする心は どんな人間でも、あるのではないか、とおもいます。 今自分が、母を含め兄弟や家族に、無条件の愛を 感じてもらえるような生き方や接し方をしているかどうか、 それは、周りの人の判断することなので、断定できないけれど 少なくとも自分のできる範囲での、思いやりや優しさは 失っていないと思います。 これから、自分も含め親が高齢になったとき、自分が 今度は、親を精神的に支えられるような人間でありたいなとは 常に思っています。 父親と母親が自分が物心つく前に、離婚しているので 父親の現在の環境や心境については、類推するしか手立てが ありませんが、少しでも私のことを思い出してくれる瞬間が あれば、いいなとおもっています。 とりあえず、父親が生きていることだけは、公式な書類で わかっているので、それはなんといえばいいかわかりませんが うれしいと思っています。
40代♂です。 かなり厳しい上に複雑な両親でしたが「愛されていた」と思います。 幼稚園の頃に仮面の忍者赤影ゴッコをしていて塀から落ちちゃって左腕の肘を皮を突き破って骨が飛び出すような複雑骨折をしてしまい、手術が終わって医師から「この子の左手はもうきっと曲げる事もできないでしょう。」と言われて母親が泣いていて「大事にされていたのに大変な事をしてしまった。凄く怒られる。」と布団の中で怯えていた覚えがあります。 その後、怒られずにいたことが逆に辛かった事も合わせて。 (ヤブ医者だったのか大げさだったのか小学生のうちに左手はいつの間にか動くようになってましたが。) 小学生の時に両親が別居して兄弟の中で私だけ父親に預けられ2年間父親と二人で暮らしましたが大きくなって考えてみれば仕事をしながら(父親は経営者でした。)の家事は相当大変だったと想像できます、しかし、よく怒られてはいましたが父親の口から弱音の類は一度も聞いたことありません。 愛が無ければ誰がこんなガキの世話などするでしょうか。 私自身は一度結婚に失敗してどうしても離れたくなかった息子達2人と6年間シングルファザーをやりました。 父親ほどの強さは持てない出来の悪い私ですがそれでもなんとか男3人で6年間支え合ってきました。 そして、今の配偶者と出会い4人で幸せになるために結婚しました。 この3人を守るためなら私はなんでも出来ます。 口で言うのは簡単だと言われればそれまでですが、私はあの両親の子どもである。という意地と誇りもあり、覚悟はあると自負しています。 こんな過去体験でよかったかな・・・と思いつつ。 あ、蛇足ですが自分の子どもに対する愛し方なんて現在、お考えになる必要はないと思いますよ。 トンボが羽化してすぐに羽ばたけるのと同じだと私は感じています。 私の子どもが生まれたときにガラス越しに対面した我が子は凄く可愛い赤ちゃんだと思い、横に並んでいる他の赤ちゃん達を見て「気の毒ながら猿みたい。」とこっそり思っていましたが、後年、写真で見ると私の子どもも猿みたいでした。(笑) 「それなら何故、自分の子どもを殺すような犯罪があるの?」と思われるかもしれませんが、あれは数百万分の一(数千万かな?)くらいのレアケースです。 稀であるが故にマスコミが殊更大きく報道しています。 ご質問者さんはもう少し肩の力を抜かれてはいかがでしょうか。 今の状況が永遠に続くわけでは有りません。 ゆっくり前に進まれれば聡明さが窺えるご質問文を書けるご質問者さんなら大丈夫だと私は感じました。 私も同じですがまだ先は長く楽しい事も嬉しい事も沢山あるでしょう。 オッサンの駄文、長文となりましたこと申し訳ございません。
- asebi-0806
- ベストアンサー率39% (1265/3233)
難しい質問ではありますね。 子供の頃って、一生懸命親の愛情を引こうと本能的にいろいろやるものですけど、じゃあどんな事で満足したのか?って聞かれるとはっきり記憶できてるような事象はないものです。 ただ、印象的だった出来事はいくつか覚えています。 たぶん3歳か4歳くらいの頃だったと思いますが、ある晩のこと、母親がうたた寝していました。 家は昔ながらの漆喰壁で白い壁でした。 そこに私はクレヨンで落書きを始めました。画用紙よりも大きな大きな白い壁が魅力的で、気が付くと壁一面に落書きしていました。 ふと、母親が起きました。 しまった、叱られる!と私は心で身構えました。 ところがです。あまりあきれ果てたのか、母親は落書きを見て「あ~あ…」と言っただけで叱られませんでした。 少し笑ってもいたと思います。 叱られずに済んで私は肩すかしを食らった気分でしたが、次に言いようのない嬉しい気持ちになったのです。 なんだか自分が認められた気分だったのだろうと思います。 その落書きは古くなった家を建て替えのため取り壊すまでずっと残っていましたので(家具で隠したりしていましたが) 見る度に私はその晩の事を思い出して気持ちが安らいだものです。 親にしてみればたわいない子供のいたずらを許しただけの事でしょうけれど、私に大きな安心感を与えてくれたのは確かでしょう。 私は絵が大好きになり、後に美術関係の学校へ進むことになりました。 さて、時は移り私にも娘が産まれました。 当時は賃貸なマンション住まいだったので、白い壁紙に落書きを許すわけに行きません。 そこで模造紙を買ってきて壁一面に張り、どれだけ落書きしても良いようにしました。 娘が私と同じ事を感じたわけではないと思います。でも、母にもらった愛情を今度は私が与えてやりたいと思ったのは事実です。 それが通じたか通じてないか確かめようがありませんが、やはり娘もこの春、美術科のある高校を受験します。 母には物理的にいろいろ面倒をみてもらいもしました。 中・高と6年間続いたお弁当作り。制服のブラウスにはいつもアイロンをかけてくれた。 なのに反抗的な態度ばかりとっていました。 そうそう、やはり3歳くらいの時に私が猛犬に襲われました。 その時の母の勇ましさったらなかったです。履いていたサンダルのかかとでその犬の頭を思い切りひっぱたきました。 これはたまらんとばかりに犬は噛みついていた私から離れ、逃げて行きました。 仁王立ちした母の必死の形相を覚えています。頼もしかったなあ…(笑) まあ、そんなところです。何かをしてもらった、というよりそんな日々の出来事から母の愛情を感じる瞬間があったのですね。
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お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 とても参考になりました。 >日々の出来事 その通りと思いますが、それを理解されている回答者さまのような方が親になるのと、そうでない方が親になるのとでは子供の育て方に絶望的な差があるわけで、その『日々の出来事』が全く違ってくるわけです… 私はそうではありませんでしたが、精神的におかしい両親に育てられた、しかも繊細なパーソナリティーを持った人物などは、一生子供も生めなくなるか、生んでしまうと子供の未来はほぼ確実に破滅です。。 世の中には莫大な数の、負の連鎖による人間が存在します。 回答者さまはその逆で、良質の連鎖が起きているのです。 私も回答者さまのような愛情ある人間になりたいと思っています。 とても素晴らしいお話を聞かせていただきました。