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愛は憎しみに変わるのか?
愛は憎しみに変わると言いますが、私は愛は愛でしかない様に感じます。 それとも逆に相手を愛しすぎて憎しみに変わるのでしょうか?私にはそこが理解できません。 例えば愛する人が他の人を愛して結婚したとしましょう。その時愛は憎しみに変わるのでしょうか? 愛は愛と言う形でしか表現できない。本当に心から相手を愛していたら、命がけの愛だったら、憎まないと思うのです。 皆さんはどう思われますか? それから愛を言葉で表現しろといわれたら皆さんは相手に説明する事が出来ると思いますか?
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その通りだと思います。 愛が愛のままであったら どんな状況に成っても憎しみに変わらず、愛し続けるでしょう。 しかし、 それは相手の幸せのみを願った愛の場合だけです。 純粋に相手の幸せが自分の幸せだ。と思っていなかった愛が、 信じていたものを裏切られた時、 自己愛を傷付けられた時に憎しみに変わるのだと思うのです。 そして 愛という[関心]がソレを増幅させてしまう。 つまり [愛]と[憎しみ]は逆の物なのですが、 両方が[関心]というカテゴリーに属している為に表裏一体とも 言えるのです。 くっ付く力の強ければ その分、反発する力も強い。 磁石の様に。。 愛が終わった時に残る現象は そのまま愛し続ける。 憎しみに変わる。 関心が無くなる。 この3つです。 愛は[真に相手を思いやる心]だと今の私は思っているので 昔の憎しみを 現在は持っていません。
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- nama777
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逆に、そもそも愛のない所に憎しみは発生しないのでは? 愛というより愛着といった方が的確ですが。 最初に愛着がなければ単なる無関心。何か嫌なことをされても無視、どこで何をしてようと放っとけばよい訳ですから、そんなに酷い 「憎しみ」 までには発展しません。 人を憎むのは、その人にそもそも何か深く期待する所があって、それに相手が応えてくれない時に発生する訳ですから、前提として過去に何かしらの愛着が必要です。 要は、憎しみは愛の裏返しということです。 >本当に心から相手を愛していたら、命がけの愛だったら、 別に好きでもない人が他の誰と結婚したって、「どうぞご自由に」 てなものでしょう。執着してるから、その人に逃げられた時にキーと嫉妬に狂う訳です。 >それから愛を言葉で表現しろといわれたら皆さんは 「愛」というのは複数の意味があるのでは? 例えば愛情と愛着は微妙に違う。慈愛と執着となると、これは全く違いますね。この場合は男女間の恋愛のことを言っておられるようですから、少なくとも 「慈愛」 の意味ではなく、「愛情」 と 「執着」 の中間くらいであるように思います。
- zz400n
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例えばストーカー行為をしている人は相手を愛していると言えるのでしょうか? 相手が嫌がる行為をして自分の欲だけに忠実に行動をして犯罪を犯してしまう。 この様な行為に愛すると言う言葉は使って頂きたくありません。 ※行きすぎた嫉妬心、携帯を見る心理もその行為に近づいているような物にも見えます。 愛情とは 自分のパートナーを支えて、互いに高めあう物だと思います。 一方的な物ではいけないですし、お互いを信頼して行動をする物です。 一方向だけは愛情もありますが、ストーカーや犯罪に発展する危険性大です。
- debukuro
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可愛さ余って憎さ百倍 なんていいますね そうなると 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い となるのです
- ho_orz
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手酷く裏切られたら、どんなに深く愛してても憎しみに変わるよ。 大事なのは嫌われただの振られただのじゃなく、裏切られたらって事。 そんでもって裏切られた場合、下手すりゃ殺意を抱くのは別に愛に限らずって所だ。
- takabo1026
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愛が憎しみに変わるというのは、相手に裏切られたり振り向いてもらえなかったりした時に変わるのです。 普通の状態で愛が憎しみに変わるわけではありません。 好きな人と結婚したのに浮気をされた、長い間不倫関係にある異性がいた、としたらあなたはどうしますか? 愛は愛のままですか? 許せますか? ということなんです。 もちろん愛する人のすることなら何でも許せるという人はいるでしょうが。 愛を言葉でするとしたら… 昔の映画にありました。 「愛とは決して後悔しないこと。」
- 6750-sa
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愛は自己犠牲です、たとえ嫌われたとしても見返りが無かったという理由で憎むのは「愛」ではなかった、ということだと思います。 愛は永遠だと思います、愛を誓った夫婦が数年後に離婚、愛ではなく本能に従った結果です。 所詮男女の愛なんて「発情」表現のひとつです、きれいに飾った言葉でしかありません。 しかし、ごく稀に「本当の愛」を持っている人もいます、その類まれな愛の持ち主が「自分だ」と考えるのが普通の人の発情の特徴というだけなのに。