- ベストアンサー
もう一度することがありえないことは現在完了では表せない(?)
「経験」を表す日本語であっても英語にするときに、「本人にとってもう一度することがありえないことは現在完了では表せない」というルールを私の知人はたてています。 例えば次の日本語は動詞は過去形にするのが自然であると言います。 1.(大人が)「私は保育所に通ったことがあります。」 2.「私は今は亡きダイアナ妃の通訳を務めたことがあります。」 私の疑問: (1) 彼のルールは正しいでしょうか? (2) もし正しいとすると、このようなルールは、何かの本かどこかで文字になっていることでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
新年明けましておめでとうございます、Gです。 この自己解釈は半分正しいと言えるでしょう。 なぜ半分正しいと言うと、と書く前に、完了形の経験を示す用法とは何を意味することでしょうか。 これを考えると何を私が言おうとしているのかが分かると思います。 経験を示す、とは、「したことがある」と訳せばそれでおしまい、と言うことではないはずなのです。 「したことがある」と言う表現でどんなフィーリングを表そうとしているのかをもう一度考えてください。 日本語の「したことがある」でも良いです。 なぜこの表現を使いたいと感じ事実使うのですか? ただ「した」だけではこのフィーリングを出せないから便利な表現として、また、I have an experience ofと言う言い方をしないで、現在完了形(現在経験形??)を使って表現しているのですね。 つまり、経験したことがある、と伝えたいのです。 よって、これから将来にまた同じ経験をしない・出来なくても関係ないことなのです。 I probably will never meet xxxx again, but the fact that I have met him can not be changed. Of course, I've been there, though it was the only time and I seriously doubt I will be able to go there again in my life. I don't think I will marry again or I will never find a woman who can put up with me 24 hours a day for the rest of her life. I have married once and I can deny how enjoyable it was. と言う表現はそのフィーリングを出したい人の口からは出てきますね。 これらの文章をご質問の例文に当てはめればいいわけですね。 もちろん過去形でも表現できます。 しかし、あくまでもフィーリングが違いを出しているのです。 Oh, yes, I went to preschool/was in a preschool. Oh, yes, I have been to preschool so I know how these kids feel at the first day of the school. どうですか、違うフィーリングを感じることが出来ましたか。 もちろん出来ましたよね。 そして、上で書いた半分正しいと言う部分ですね。 言葉のルールを作ると言うことは、自分の経験から作り上げる、もしくは、そういう一般論を作ることが出来る、と言うことに過ぎません。 文法ルールに例外があるように、個人ルールにも例外があることは避けられないと思います。 自分にとってもうかなえることは出来ないと感じる、と言うことは、自分にとっては「継続しない経験」なのです。 つまり、現在完了形が持ちがちの、継続は将来も続くと期待すること、つまり、今まで起こっていたけど必ずしも今終わらなくてはならない、と言うフィーリングはない、のです。 つまり、経験があればまたその経験は起きるだろうと考えがちなのです。 特に、状態をしめす継続、長い期間を示す経験(一回だけの経験は経験と呼びづらい)だと、これからも続くと暗に想像・期待するのですね。つまり、あれが最後だとは言いたくない、と言うフィーリングがあるわけです。 でも、いわなくてはならない状況では、完了形のフィーリングではなく、過去に起きた事実としか感じられないわけです。 ここが日本語の表現と英語の表現の違いともいえるとも思います。 更に自家製ルールとはどういうものなんでしょうか。 私は、多くの日本人はこれを毎日やっているけどそれを感じていないと99%断言できると思います。 日本語を使うときに、本当に書かれたルールに基づいて理解をしたりつかったりしているでしょうか。 ほとんどの場合は、日本語を今まで接してきてそれなりのフィーリングを積み重ねてきているだけですね。 書かれたルールではなく、確認したルールでもありません。 自家製ルール・自家製文法なんです。 これをやっていないと断言できる日本人は赤ちゃんか言葉の障害を持った方々か表現できない老人、しかいないはずです。 どうやって、~だ、~じゃない、~か、~かしら、~だわ、などこれらの表現が持つフィーリングを習ったのでしょう。 これは否定形で~~~、これは女言葉で、、、、これは、、、、これ、、、、と聞かれたらそう外人さんに説明するでしょう。 前にも書きましたが、~じゃんと言う表現はどうやって習ったのでしょうか。 個人個人が言葉の経験に基づいて理解しそのフィーリングや使用法を習ったのですね。 辞書にこの意味が載っているだろうか、と疑問に思います。 長くなりましたが、権威のある英語学者が言わないからと言って間違った理解や解釈だ、とか、本に書いてあれば正しい、と言うことでもないですね。 このことは、英語をもっと知るようになった人の数が多くなればなるほど、ルール作成も変わってくるでしょう。 また、正しいと思われていたルールが間違っている、具体性に書ける、例外が多すぎる、あまりに細かすぎる、などと言う批判も出てくることでしょう。 と言うことで、自家製ルール作りはみんな無意識にやっているんだから良いと思いますが、その人の経験や知識不足から例外もたくさんあると言うこともある可能性を持っていることが多々あるし、今回のようにその例外が状況とかフィーリングによって表面にでてしまうこともあると思います。 私自身、参考書の説明文章を鵜呑みにしたり、丸覚えしてそれに対して疑惑を持たずに居るよりは自分なりに理解をもち、それを深めていくようにする方が結局体で覚えるという一生ものになると信じています。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
その他の回答 (2)
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
自分の感覚としては、今後やることはないことを、現在完了で表すことはある、です。 実際、自分は、去年の夏、自分の飼っていた犬が死んでしまいましたが、 I have seen the dog die. と言えると感じます。 多分、まず、問いの立て方があいまいです。 「今後やることがない」と言っても、たとえば、 「トリュフをたべたことがある」というのを、「食べたことがある」だけを取り出せば、多分誰でも毎日「食べている」わけです。また、「トリュフ」でなく、「今朝の朝食」だって、二度と同じものは正確にはないでしょう。 次に、常識的に考えて、同じこと今後しないと言うことであっても、その影響を今受けていると言う状態は、普通現在完了で表すわけです。「彼らは月へ行ったことがあるんだ。」は、現在完了で表すわけです。
お礼
「常識的に考えて、同じこと今後しないと言うことであっても、その影響を今受けていると言う状態は、普通現在完了で表す」 なるほど。 ご回答ありがとうございました。
補足
お二人の方がコメントをしてくださいました。 回答#1の方からアドヴァイスをいただきましたが、もう少しこの問題を私自身の視点で考えてみることにします。 ご回答ありがとうございました。
- Mathematica
- ベストアンサー率22% (50/225)
質問をする順番として、あなたの相手が第1番ではないでしょうか? 上記の疑問を尋ね、その回答を得てから、それでも疑問が残る場合に、このサイトで質問するのが物事の順序というものだと思います。 自分でルールをたてるのは、かまいませんが、根拠のないルールを人に押しつけるのは、はた迷惑です。
お礼
「この自己解釈は半分正しい」、 「あれが最後だとは言いたくない、と言うフィーリングがあるわけです。...でも、いわなくてはならない状況では、完了形のフィーリングではなく、過去に起きた事実としか感じられないわけです] なるほど。 ご回答ありがとうございました。