上杉謙信 生涯不犯の実情
上杉謙信は「生涯不犯」を称して一生正室も側女も置かなかったと言います。
実際、「謙信の正室・側室」や「謙信の実子」は存在が確認されていないようですが、「子供は多ければ多いほど良い」戦国大名が、女に生涯接しないとは極めて異常かつ損なことと思われます。現に、謙信の死後は相続を巡って「御館の乱」が起き、上杉家に著しいダメージを与えています。
ついては、
1. 謙信が「自分は生涯不犯を通し、婦人と接しない」と言明した手紙やそのように記した文献は存在するのか?「生涯不犯」という一般に流布している言葉は何が出典なのでしょうか?
2. 謙信は最初は仏門に入っていて、還俗して長尾家を継いだと記憶します。その後、「生涯不犯」を通したとされていますが、「謙信公が一度だけ当家の娘と懇ろになり、その結果のご落胤」といった伝承は存在しないのでしょうか?
3. 謙信はなぜ「生涯婦人と接しない」などという、戦国大名として極めて非常識なことを思いつき、実行したのでしょう?
宜しくお願いします。
お礼
ありがとうございました 確かに歴史上根拠の無いウワサだけ見解しか見当たらないようでした