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伴善男と源信の太元師法問題について
平安時代(貞観7年)、大納言・伴善男と右大臣源信の間で、太元師法に基づいて仏像や仏具などをどこかからどこかへ移すの移さないのと論争が起きたそうですが、その出来事について詳しい事を知りたいので、知っている方教えて下さい。 あと、太元師法が何なのか、詳しく教えて下さい。恐らく密教用語だと思うのですが。
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伴善男と源信の仲が悪かったことは、後年の応天門の炎上につながりますが、論争については、知りません。 太元師表は「太元帥表」のことだと思います。口伝では「たいげんのひょう」と読み「帥」の字は読みません。真言密教の大法で、怨敵、逆臣の調伏、国家安寧を祈る法で839(承和6)年、常暁が唐よりもたらし、以来毎年正月8日から17日間、宮中で行われました。臣下の修法は許されませんでした。
お礼
回答有り難うございました。 伴善男の伝記(かなり古い本)で論争の事を知ったのですが、あまり有名な話ではないのですね。 太元師表については分かりました。 また何か分からない事があったら、教えて下さい。