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参議の官位相当は?

中納言は従三位。大納言は正三位というように、夫々 官位相当がありますが、参議にはそれがないように思います。 参議に官位相当を定めた詔勅や宣旨など御存知の方があればお教え下さい。

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回答No.4

「参議には官位相当は無いように思われてなりません」そして「官位相当の無い参議では、それがありません」これが正解でしょう。ないのだと思います。律令制の中で厳密に創られた中で便宜的にあるタイミングで必要に迫られた前例ない職位だからこそ令外官です。よって古代での照らし合わせは無理かと思います。厳密な太政官制度に照らし合わせた以外の官職を時代の国情や推移に適応して不足を補う意味で置かれたという意味以外にはありません。便宜的に相当者に与えています。位階相当職ではありません。明治以降をご否定なされていますが王政復古では太政官制を厳密に踏まえています。士族が藩主を飛び越えて明確な「政治的位」が与えられなかったはず。だからこそ参議です。そこもお解かりだと思います。それは朝幕時代を超えても同じです。「これ位政治的に発言権・力・位のあるものに与えられる」職位と理解すべきでしょう。蛇足ですが、明治の爵位制度の中で公家はそこでの対面で候か伯爵で陞爵にかけまわった事例も幾つかあります。有職故実を従前に守ってきていた公家がです。

noname#7943
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 参議に官位相当を付与しなかったのは結果的に任用上、意義があったと思われます。四位でも二位でも参議に任用できるわけで、四位で中納言や大納言に任用出来ない慣例を補足する意味合いもあるかと思います。

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回答No.6

  貴方は、回答者の回答の意味を汲み取らないで、自分が想定している回答ばかりを求めているので、maris は、 >> 何を質問されているのか、これまでの質疑を見ると、よく分からないのですが。 このように述べているのです。maris は、何故事実上「正四位」相当か、明確に述べているはずです。詔勅や宣旨はおそらくなかったのであろう、またはあったとしても、特例的なものと判断され、それが前例として相当官位の規準としての典拠にはならなかったのだろうと述べています。もし、典拠となっていたなら、『有職故実』等で根拠が述べられているからです。しかし、見つからないので、詔勅や宣旨はなかったか、またはあったとしても、先例としての根拠にならなかったのだろうと述べているのです。 そのように明確に記していませんか? 「何を根拠に「正四位」か不明であるが」というのは、金田一氏が辞書において、どういう典拠で「正四位」に相当としているのか分からないと云っているのです。maris が述べているのは、その根拠は、「見習い太政官」であるという「参議の実質の地位」から答えがきているということです。 実質の太政官で朝議のメンバーであった中納言が「従三位」であり、太政官の序列の中で、実務官吏の最高官職の大弁が「従四位」であれば、「見習い太政官」であり、朝議にも加わる資格のある参議の官位は、中納言以下、大弁以上で、これはまさに、「正四位」になるのです。そのように書かれていませんか? また、「宰相中将」という呼び方が『源氏物語』で一般で、また近衛中将で参議を兼職するものは普通であったとも言えるのであり、近衛中将はというと、正四位相当です。 「見習い朝議メンバー」であって、普通は別の官職との兼職が多い参議は、必ずしも「正四位」と決まっていた訳ではないが、太政官の序列から云えば、「正四位」相当でなければ、おかしいということが、maris の回答のなかでは明確に述べられています。 「参議は正四位に相当する」とか「参議は、特に相当官位を定めず」とか、そういう詔勅や宣旨を示せば、それが回答になると考えているのですか? それに対しては、「なかったのだろう」と答えているのです。また、あったとしても、先例的慣習的有効性を持ったのではないだろうと述べています。 大納言、中納言などは、定員が厳格に2名です。だから1名しかいないと、「欠員」があるということになります。また2名しか任官できないので、「権官」があるのです。それに対し、参議は最大8名で、この8名という数字は、先例があるので、そうなっているので、8名いなくとも、「欠員がある」とは云わないのです。 参議は柔軟性があったのであり、それは「見習い太政官」という立場であるからで、定員についても、厳密な規定はなく(最大8名というのが先例的に出てきていますが)、相当官位も、実質的にはあったが、厳密に規定されていた訳ではないので、明治維新において、五位程度の位でも、参議に任官することができた、という説明が先の人の回答にあるのです。それらを、踏まえた上で、maris は回答を書いているというべきでしょう。柔軟性があるので、「令外官」なのです。 8名の最大定員にしても、最初は6名であって、それから8名となったので、これを先例に、最大8名です。この人数は、直接か間接かは別に、天皇の承認を得た人事です。 中宮は詔勅において冊立するもので、1名しかいないはずですが、藤原道長は、自分の娘を中宮にするため、中宮定子を「皇后」にして、娘を中宮に冊立しました。ではこれを先例として、中宮と皇后と2名が一人の帝においては冊立されるようになったかというと、そういう事実はないはずです(道長が、自分の娘を一条天皇の中宮に冊立したことも、天皇は不本意であったとしても、冊立は詔勅に基づくのです)。  

noname#7943
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。私の質問は、参議に官位相当を定めた詔勅や宣旨など御存知の方があればお教え下さい。ということですので、参議に官位相当を定めた詔勅や宣旨などが明示されない以上、参議には官位相当が無かったと考えざるを得ません。参議に補任された人々の位階は幅が広いし、定員も不定です。そういう意味でも議政官の中でユニークな存在であることは言うまでもありません。なお、近衛中将は従四位相当の官職と認識しております。

回答No.5

  何を質問されているのか、これまでの質疑を見ると、よく分からないのですが。 >参議に官位相当を定めた詔勅や宣旨など御存知の方があればお教え下さい。 そのような詔勅や宣旨はなかったと考えられます。仮にあったとしても、制度的慣習としては定着しなかったのだと思えます。英国には、明文憲法はなく、代わりに Common Law があり、伝統的慣習法が憲法の代わりをしています。日本古来の律令制も、明文規定のある部分と、ない部分で伝統的慣習的に決まっている部分が当然あったと考えられます。 結論から云うと、参議(宰相)には、伝統慣習的に「官位相当」はあったと云うべきです。ただし、明文的な規定はなかったのだと考えられます。他の古語辞典ではどうなっているのか知りませんが、三省堂の初版昭和28年、新版修訂版昭和42年の金田一京助・春彦監修の『明解古語辞典』の付録の「公家官職対位表」では、太政官として、大納言(正三位)、中納言(従三位)、参議(正四位)、大弁(従四位)となっています。 何を根拠にして、参議を正四位としているのか不明ですが、「官職対位表」とは、「官職」と「官位」の対比表のことです。これに従えば、参議は「正四位」になります。 これはおそらく、伝統的慣習的に、正四位相当の官職についている人が参議を兼職するのが歴史的に普通であるということと、参議職の人は正四位が多く、また正四位相当と見做されていたという歴史的な経緯に基づくのだと考えられます。 太政官の「公卿」は国政の決定会議にあずかるのですが、その定員は大臣4名、大納言・中納言各2名+1名、合計4名+2名で、これだけで、8名+2名になります。これに参議が、『有職故実』では定員(最大数)8名で、全部で最大16名+2名になります。(+2名は、権官です)。 国政の最高決定会議の参加者が最大18名というのは多すぎます。諸部門の閣僚を勘定してなら、これぐらいの人数かも知れませんが、各省は別にあり、その長官(卿)以下の役人も別にいます。 参議は、「見習い太政官」であって、中納言以上の実質国政決定に与る役職に就く可能性のある人が、「見習い」として賜る官職だという考えが妥当と思えます。定員最大8名というのは多すぎると言うべきです。五位以上の上級官吏は、普通、左右職2名しかいないのであり、8名もいるのは、「名誉職」という以外に、「見習い職」というのが納得の行く考え方です。 (大弁などが、国政官僚の実務職の指揮官で、この下の中弁・少弁などが、大弁と共に、実務を実際に動かしたのでしょう。弁官出身の参議は尊重されたというのは、それは実務官僚が、最高国政会議の一員に昇進したからで、単なる「見習い」ではないからでしょう)。 (明治時代の「参議」は特殊なものなので、この場合、考慮する必要はありません。明治の五等爵決定の際のごたごたも、この場合、関係がありません)。  

noname#7943
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。何を根拠にして、参議を正四位としているのか不明ですが、と回答されておりますが、その根拠が知りたいわけです。参議が四位で補任される傾向もあるわけで、あたかも四位相当の官職と認識されていったとも考えられます。

  • d-y
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回答No.3

直接の回答ではないのですが・・・ >従二位でも参議従二位。正四位下でも参議正四位下と書くので、行や守を入れることは無いと思われます。 これについては、「官位相当がない」という言い方ではなく、「参議は捧物だから、必ずはじめに言う」という言い方で説明しているのを見たことがあります。 官位相当していない場合、通常は、位階を先、役職を後にして、その間に「行」または「守」を入れて言うわけですが、「捧物」の場合は必ずその役職をはじめに言いますから「行」「守」の出る幕がないのだと思います。 結局参議に官位相当がないのかどうかは分かりませんが、参議のほかに「捧物」とされている役職(「摂政・関白」「将軍」「参議」「蔵人」「検非違使」)の例もお調べになれば、ヒントがあるかもしれません。 ピントはずれだったら、ごめんなさい。

参考URL:
http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_kanshoku.html
noname#7943
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 御指摘の摂政、関白、征夷大将軍、蔵人、検非違使なども官位相当はありません。これらに官位相当をするとなれば、どのような位階をあてはめればよいのか?が問題になると思います。例えば、正一位には太政大臣があるので、その序列の上位に位置する摂関を充当するわけにもいかないと思います。参議は序列上、中納言の下位にあるわけですが、そうなると従三位では中納言と同位になるし、正四位上乃至正四位下では、一部門の長たる従三位相当の左右近衛大将、弾正尹、大宰帥などより国政を議する議政官が下位になってしまいます。

回答No.2

参議は大宝律令以降に生まれた「令下官」で基本的は有名無実なものです。内覧・征夷大将軍、検非違使などもそれらに該当します。大納言の官位相当は正三位ですが、権位・追贈権位で二位も三位もあります。例えば徳川家康の実父である松平広忠は家康の征夷大将軍就任以降に追贈位三位で権大納言です。近代に至っては明治新政府で参議がありましたが、従五位から従三位でばらつきがあります。つまり朝議に参加できるという意味では五位から三位相当職とお考えになるのが適切かと思われます。宣旨は征夷大将軍などのものが参考になると思います。

noname#7943
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 前の御回答の方にも申しましたが、官位相当があれば守や行を位階に応じて添えなければなりません。しかし官位相当の無い参議では、それがありません。 明治以降の参議と古代の参議とは別物と考えており、私の照会は古代に限定していることは、大納言や中納言を例示している時点でおわかりのことと存じます。 結局の処、古代の参議に官位相当を定めた例えば、詔勅なり宣旨なりが無い以上、参議には官位相当は無いように思われてなりません。

回答No.1

参議の相当位は、正四位下もしくは従三位。位によって氏姓の順が変わり、四位であれば姓名の後に朝臣、三位であれば姓-朝臣-名とされたようです。 残念ながら、詔勅や宣旨までは存じません。

noname#7943
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 大納言の官位相当は正三位。よって、大納言正三位と書きますが、従二位で大納言の場合は従二位行大納言。 もし、従三位で大納言なら、従三位守大納言という書き方になります。 参議の場合は、官位相当が無いので、従二位でも参議従二位。正四位下でも参議正四位下と書くので、 行や守を入れることは無いと思われます。

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