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江戸時代の地下水路の作り方。
歴史で質問するか土木で質問するか迷いましたがこちらで質問してみます。 江戸時代、富士吉田に水を引くため、堤防上に拡がった溶岩地層の上の池から、柔らかい溶岩の下の洞窟を掘り進めて地下から池に水路を通した話がブラタモリで出てきました。 そこで疑問なのが、トンネルより標高の高い池の底にトンネルを通した瞬間、工夫は水で溺れ死にますよね。どうやって最後に開通させたのでしょうか?
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いろいろなやり方があると思いますが、簡単なのは貫通する前にその池の繋がる部分を岩などで仕切って水を搔い出しておく方法です。こういう方法は橋脚を造るときなどにも使われてきました。
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- kagakusuki
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回答No.2
池の底に直接トンネルを開通させるのではなく、一旦、池の近くの陸上部分に開通させた後、そのトンネルの入り口から池のすぐ手前の所までの間の地上に水路用の溝を掘っておき、最後にその水路用の溝と池との間を仕切っている部分を切り崩す事で水路に水が流れ込む様にしたというだけの事です。 下記のURLのページを御覧頂ければ解ります様に、トンネルの取水口は池の底ではなく、水路の先に設けられています。 【参考URL】 伊東市 > 生涯学習課 > 業務案内 > 指定文化財 > 吉田隧道(市指定史跡) http://www.city.ito.shizuoka.jp/shougai_gakushuu/html/shiteibunkazai/20140328160741.html
質問者
お礼
そういった方法もあるでしょうが、池とトンネルが深い場合はあまり効率的ではないような? ご回答ありがとうございました。
お礼
なるほど、ご回答ありがとうございました。