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寛政の改革についてと19世紀のヨーロッパ

 歴史の本ではないのですが、"ストイックな寛政の改革で知られる幕府の老中松平定信は~"という文がでてきたのですが、ストイックな寛政の改革とはどういうことですか?松平定信がストア哲学を学んでいたとか、禁欲的な思想を持っていたというようなことでしょうか?    同じく、"19世紀のヨーロッパのように性に対する社会的な制圧の厳しい社会では、性行為そのものが快楽希求の逸脱であった"という文についてですが、具体的にどのような社会的な制圧があったのか、その背景を教えてください。19世紀というと宗教的な背景があったのでしょうか?

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  • 123garia
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回答No.2

松平定信の前の時代が田沼意次による重商主義です。 貿易を重視して日本の金所有量は飛躍的に増加しました。 しかし、資本主義化した日本では貧富の差が激しくなり、また金銭による賄賂も横行しました。 それを改革したのが松平定信です。 この場合のストイックというのは資本主義に毒されない幕府体勢の構築というニュアンスでしょう。 重農主義に立ち返り、贅沢を禁じ、米を備蓄する囲米制度を敷いたりしました。 彼の政策は朱子学に則っており、ストア主義とは縁遠かったと思われます。 むしろ田沼の方が蘭学を奨励して、平賀源内などと親交を持っていました。 田沼が辻善之助による「田沼時代」のせいで賄賂政治家としての側面ばかり採り上げられているのは残念です。 19世紀のヨーロッパといえばナポレオン、ウィーン体勢そして崩壊、市民革命といった流れが思いつきますが。 性に対する社会的な制圧というのはピンと来ませんね。 19世紀だけを切り取らなければわかるような気もしますが、前後の文章を読まないと何とも言えません。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。田沼意次と松平定信の考え方を比較する形で説明してくれたので、とてもわかりやすかったです。

その他の回答 (1)

  • ycat0816
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回答No.1

寛政の改革についていえば、華美に流された風潮を引き締め、江戸初期、また祖父吉宗時代のような質実剛健の社会に戻したいということがありました。町人の髪結いを禁じたり、武家の俳諧を禁じたりといった、風俗に関する取締が多かったことから、当時の人たちは、「世の中に かほど五月蝿き ものはなし ぶんぶぶんぶと 夜も眠れず」と皮肉ったといいます。 禁欲的というにかんしていえば、この時代になって、男女の混浴が禁止されました(それまでは先頭は混浴が当たり前でした)。 下の方は、わかりません。さらなる回答者の良回答を期待します。

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質問者

お礼

寛政の改革は禁欲的な生活を遅らせるような改革だったのですね。町人の髪結いや武家の俳諧を禁止するような例を挙げてくれたので分かりやすかったです。ありがとうがざいました。