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文化・文政・天保期について
こんばんは★おたずねしたいことがあります。。 文化・文政・天保期は、1804~1843の時代です。天保期は、老中水野忠邦が天保の改革を行った時代なので、そうよぶことはわかります。しかし、文化・文政期は、老中松平忠邦の寛政の改革(1787~1793)のなかに含まれているのに、なぜ「寛政期」と言わないのでしょうか。また、文化・文政期とわざわざ名づけるには、それなりの文化が発達したからなのですか。。 よろしくお願いします。。。
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- dulatour
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回答No.1
文化・文政時代というのは、江戸時代の文化を考える上でのキーワードです。 寛政・天保というのは、財政的な改革の時期で、むしろこの時代は緊縮財政のために、文化はあまり発展しませんでした。 江戸時代の文化を考えるときには、元禄と文化・文政という特徴的な時代を押さえる必要があるからです。 【文化文政時代】‥クワ‥ 徳川第11代将軍家斉いえなり治下の、文化・文政年間を中心とした時代。綱紀弛み風俗頽廃、江戸市民は遊楽を事としたが、町人芸術は爛熟の極に達し、小説(山東京伝・式亭三馬・滝沢馬琴)、戯曲(鶴屋南北)、俳諧(小林一茶)、浮世絵(喜多川歌麿・東洲斎写楽・葛飾北斎)、西洋画(司馬江漢)、文人画(谷文晁)などにすぐれた作家を輩出した。また地方文化も盛んとなった。化政期。 (広辞苑より)
お礼
dulatourさん、とても丁寧な回答をどうもありがとうございました!!おかげさまで、理解できました。 日本史がんばります!