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ネイティブにこだわる実質的意味
昔から不思議なんですけど、英会話学校がはじめなのか分かりませんが「ネイティブ」を売りにしたり、一般人でも気にしてるような気がします。英語を使うのは母国語として習った人達だけじゃないし、母国語として習っても声がしわがれて聴き取り難い・発音や文法が間違っていて分からないとか方言がきついとかあるだろうから、色んな環境で育った色んな人と言葉だけでなく表情や身振り・文字を使ったりして話した方がいいような。母国語として話す人としか話さないなんてありえないと思うし。 英語を教える知識が全くない人に教わるのはよくないとしても、日本人は型にこだわり過ぎてかえって話せないような(ただ昔、ある大手予備校の留学準備講座の見学をしたら来ていた人達は、帰国子女か独学なのか私以外全て考えがあるか・主張する気持ちがあるかは別として少なくても流暢でした)。私は、自分で考え・組み立てて主張や説明したり相手を説得したり、交渉・駆け引きが出来るように小さい頃から教育・訓練する事が重要な気もするんですが、ネイティブにこだわる利点がほんとにあるのか・無いのか?ある・ない、どちらとしてもどんな事だと思いますか?
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アメリカに37年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 まず、日本人だからと言って日本語を教える事ができるかと言うと必ずしも「外国人」の向上を高める教え方を知っているとはいえないですね。 英語でも同じです。 日本人でも英語圏の人でもネイティブだからと言ってその人の言う事が正しいともいうことでもありませんね。 さらに、アメリカに37年住んでいるからといって正しいと言う事でもありません。 日本人ネイティブでもアメリカ人ネイティブでも知らないことはたくさんあります。 聞いた事がないといってもそれはその人がその経験がないというだけのことですしそれが悪いとか言う事でもありませんね。 「へぇ、知らなかった」"Gee, I didn't know that!”と言う表現はただあるのではなく使われているわけです。 ただ、意識して経験をつんだ人と、ただ生きてきただけと言う人の知識のレベルには格段の差があります。 言葉に対しても同じ事です。 何も考えずに使ってきた言葉と使いこなすように・教えられるように意識して使ってきた言葉と言うものはその使い方の説明に重みがあると私は信じます。 これは生まれつきもった能力が同二人の人がどれだけ自分を向上させることが出来るかが違ってくる大きな要因とされています。 スポーツでも同じです。 生まれつき同じすばらしい運動神経を持っていても、それに満足してほかの人を見下げてきた人と、自分はもっと向上させることが出来る、と感じている人とは数年で違う結果がでてきます。 それがプロのレベルのスポーツマンの違いとして大きく出てきます。 できる人はそれだけ練習する、ということでもありますね。 ちょっと横道にそれましたが、西洋人の顔をしているからと言って英会話教室に雇われ「ネイティブの先生方が親身になって教えます」なんていうのは単なる宣伝文句であるしまたそれにのってしまう日本人がいると言う事なんです。 日本語の仕組みを知っている英語を使う人の教え方と、英語だけを知っている人の教え方では違うはずだと言う事でもあります。 しかし、西洋人にあこがれている人であれば確かに英語に興味がわくでしょうし、興味がない人と比べたら伸びる率も違うでしょう。 しかし、言葉と言うものは文字だけではなく、いろいろな要因が重なり合って作り上げられていますね。 文化の違い等は大きな要因でしょう。 また、慣用句などもそのまま覚えてしまった方が良いときもあるでしょうし、雑学的な情報を元に説明してくれれば覚えやすいと言う事もあるでしょう。 それらも踏まえて考えると、教える事が出来る、習う人の向上率を高める事が出来る人はネイティブでなくても良いはずです。 言葉を使いこなせない人を使いこなせるようにさせるには、教える方もその人の理解力やレベルをいち早く見届ける能力も必要としなければならないでしょう。 母国語をしゃべれるからと言ってこれらの能力を持っているとは限らないのです。 とかく日本人は、(こう言っては怒られるでしょうが)できる人に習いたい、と言う考えを持ちがちだと私は考えます。 ゴルフのできる人から教わりたい、英語を使いこなしている人から教わりたい、と言うフィーリングですね。 生まれつき持った能力でできるようになっただけの人に出来ない人の壁が分かるのは難しいでしょう。 更に、その壁を突き破る方法をどうやって知っているのでしょう。 言葉はコミュニケーションの道具ですね。 使いこなすと言う事はその言葉を使って何か達成すると言う事でもあると私は思います。 日本人の誰もがビジネス日本語を書けるということでもないし、「交渉・駆け引きができる」というものでもないですね。 しかし、使いこなすと言う事はこの交渉・駆け引き、も当然ながら含まれる事があるわけです。 英語の授業でこれを教えるでしょうか。 まず教えていないでしょうね。 英語を言葉としてみていなく英語学として教えているからだと私は思います。「おばさん、今月は給料使いすぎちゃってさ、ちょっとまけてくんろや」と言うのと、日本語の文章としてただしい「少々まけてくださりませんか」というのと、TPOを間違えたら交渉は達成しませんね。 その違いなどは英語を習うには必要な事だと思います。 俗語だからいけない、正しい言い方だから使うべきだ、という狭い観念に縛られてきた日本での学習が結局学校勉強を終えてから習っていくと言う事になってしまっていますね。 人のさまざまな表現方法だけではなく、日本は国際国であると言いたいのであれば、シンガポール英語でもオーストラリア英語でも、また、イギリス人一般がしゃべる英語でも交えて教えても良いと思います。 何もアメリカ英語が一番正しいと言う事では決してないはずです。 これらの英語の違いはさほど大きな物のではないはずです。 その小さな違いを学校で教える事ができないはずはありません。 と言う事で、ネイティブから習う事はたくさんあるでしょう。 しかし、だからと言ってこだわる利点は少ないだろうし、この言葉につられる日本人が多いのは残念とも思います。 最後のコメントとなりますが、だからと言って、これは日本だけのことではありません。 日本人だからと言って日本語を教えることが出来ると思っているアメリカ人も少なくありませんね。 ゼロよりましだ、ということだと思います。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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日本の英会話学校にとってネイティブ教師は看板であり、また精神的な安心を与えてくれるもののようです。 かりに、先生が日本人だけしかいない英会話学校があったら、初心者以外は習いに行きたいと思わないでしょう。この心理には、ネイティブがいると、外国文化への接点があり、それに接することができそうだ、という期待もあるようです。 英語のみに限定した話で、ネイティブに何が期待出来るかと言えば、まず発音、生まれ育つ間に身に着けた文化背景と経験。無意識に体に染み付いた欧米の歴史に基づくバランス感覚、宗教的感覚、その他、でしょうか。 しかし、日本人がよく間違え、またネイティブ自身が誤解していることがあるのは、ネイティブだからと言って、無条件に、正しい英語が教えられるとは限らないということです。 一般のネイティブの米国人が、英文法的な質問に答えられないのはざらにあることです。とくに日本人の英語学者が得意な英文法や、その技術的(芸術的?)な用語の使いまわしは、すでに日本特有の文化にもなっていますから、無理もありません。 ネイティブでも英語を外国人に教えるという仕事は現に存在するので、その目的のために Second Language としての英語を教える資格認定制度もあります。 逆に、日本人の誰もが外国人に日本語を教えられるかというと、そんなことはありません。日本語教師の資格もそのためにあります。しかし、言葉は生きていますから、ESL 教師であれ、日本語教師であれ、絶対に正しい言葉を教られるわけではありません。 したがって、学び教わる側の姿勢が最も重要ということになります。ネイティブも正しいとは限らないわけですから、生徒の側で常に主体性を持って批判的で冷静な態度を保ちつつ、学べることを学ぶということではないでしょうか。
お礼
遅くなりましたけど、回答ありがとうございます。 そうですね、参考にします。日本人は、何故か英語を母国語としている白人に教わりたがりませんか?私は、移民も多いし英語を教える教育を受けていれば、人種や民族・母国語として習って無くても構わないと思いますけど。
- ohboy729
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非常に難しい質問だと思います。僕らが英語を勉強しているときによく「ネイティヴはそうは言わないですね」ということで日本人的な英語の感性が否定されてしまうことがよくありますね。でも、その時に「ネイティヴ」とは何だろうと思うことがあります。英語を母国語にしている人でも地域によって表現の仕方、発音の仕方、文化、社会背景がバラバラなので色んな英語がありますよね。一様ではないです。日本で教えられているアメリカ式の英語にちょっと戸惑っているオーストラリア出身のALTの話などもよく聞きます。oftenを[オーフン]ではなく[オフトゥン]、鉄を[アイアン]ではなく[アイロン]と発音して日本の中高生に教科書とは違うと言って笑われたり Have an eye !「気をつけて!」という表現(南アフリカの女性が言っていたぼくの好きな簡単で優しい表現です)が日本の英語教育では出てくることはなかったりします。僕は英語は目的ではなく手段だと思います。お互いの考え、気持ちをうまく伝えるために不可欠の要素だと思います。そしてどの言語もそうだと思うのですが英語も完全ではなくいろいろに表情を変える一筋縄ではいかない厄介な生き物です。「ネイティヴ」が何を指す言葉なのかは判然としませんが彼らから学ぶ一番大きなものは意識背景、思考様式、文化背景、感情原理などでこれはどんなに優れた日本人の英語教師でも教えることができないのではないかなと思います。そこに住んでいる、生活しているだけでその国の社会全体の本質を吸収し身につけている人はやはり英語を母国語とする国の精神風土を代表しているように思います。教える技術がなくても彼らから学ぶことは英語だけではないと思います。お互いをより理解するには英語という言葉だけでは不十分じゃないでしょうか。その意味で「ネイティヴ」はそれなりに意味のある存在だと思います。 質問の趣旨を見誤っていたらごめんなさい。
お礼
遅くなりましたけど、回答ありがとうございます。 気にしないで下さい、いろんな方の意見・考えを聞きたいので。そうですね、少し前の朝にもシャンプーするみたいに過剰・異常な潔癖症というか、華道や茶道みたいに狭く閉ざされた世襲制とかあういう感覚・感性を日本人は悲しい事にもってしまってるのかも。たくましさや生命力、応用力が無いというか。全てを把握してないですけど、日本では偏見・先入観・固定観念からか白人が多いような気がしますが、人種や母国語として習って無くても教える事はできると思うんですけどね。物理的問題からも、結局多くは日本人が教えてるんだし。数学や物理、医学やピアノ等も外国で発明・発見・発展してきても日本人が教えてますし。
- appleapple
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ネイティブにこだわるのは、色々理由がありますが、 間違った思い込みと、コンプレックスが混在しています。 マイナス面は、質問者さんが列挙されていますが、プラス面としては、informantとして、実際にはこの表現はどう使われているのか、だれが使うのか、ニュアンスは、冗談ポイのか、皮肉なのか、怒っているのか、など、意見を聞けることでしょう。しかし、不特定多数のネイティブに聞かなければならないので、時間もかかるし、その結果の整理が大変です。 今は、別の方法があるので、こんなにたくさんの無資格ネイティブを高給で養う必要は全くないと言えます。 もう一つ、ばかばかしいかも知れませんが、文化的刺激の対象になっているのかも知れません。英語ですから、英語人がいると何となく雰囲気がでる、ということです。
お礼
遅くなりましたけど、回答ありがとうございます。 参考にします、日本人は客観性や論理性より雰囲気で判断したり・決めますからね。講師はほとんど白人だし、クリスチャンでもないのに、毎年クリスマスを宗教心は全くないのに音楽や飾りや雰囲気とかデートやプレゼントを買わせようとやってるし。
お礼
遅くなりましたけど、回答ありがとうございます。 私も全く同感です、日本人は外人に比べて冒険する遺伝子が少ないと聞いた事があってそのせいかは分かりませんけど、温室で満足してしまうというか。偏見・先入観・固定観念に基づく純粋さに固執して、視野が狭いし思考が浅いですね。まず、自分なりに論理的でもそうでなくても考えて・主張や説明できるようにしないとただ空っぽで綺麗な英語を話せても・・