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「祈る/pray」の解釈
メールの相手はアメリカに住むアメリカ人男性で敬虔なクリスチャンです。私は日本在住なので会うことは出来ません。 とても大切に思っている人なので、「いつもあなたの幸せ(健康or平和)を願っています」というような文章を「praying」という単語を使って過去1年間のメールのうち3回程書きました。すると「あなたがクリスチャンになったのはいつ?」と彼から聞かれたのです。ですが私は無宗教者。関心が全くないわけではありませんが・・・私は「pray」という単語を使うべきではなかったのでしょうか。アドバイスをお願いします。。。 今はその言葉の重みを勘違いしていたのかもしれないと焦っています。だとしたら、私がクリスチャンではないことを伝えたら彼は裏切られたような気持ちになるかもと・・・ ですが、私がクリスチャンかどうかというだけの質問なのかとも思ったり・・・ 宜しくお願いします。
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私はクリスチャンですのでクリスチャンの立場から回答します。 私がアメリカ人のクリスチャン男性なら同じ質問をしたと思います。 でも、そんなに深い意味はなくあなたが「praying」という単語を使ったのでクリスチャンなのかと思ったのだと思います。 日本には八百万(やおよろず)の神といってたくさんの神々があるといわれていますが、日本人が神ということばを使ったときには、あまりにも神という概念がばらばらです。 しかしアメリカ人が一般的にGODという時には、日本人が一般的に使う神とは全く違う概念です。 もし、神が本当に存在するならそれは人間が造った神ではなく、もともと存在し(だれかが造ったものならそれは神ではありません。)天地万物を創造し、無から有を作り出せるからこそ神なのです。神は唯一(ただひとり)であり何でも出来る方ですからたくさん存在する必要はなく、すべてのことを知っておられ、どこにでも存在され、正しいお方で、完全な聖さをもっておられ、義なるお方で永遠から永遠に存在される愛なるお方です。 これが彼の信じているGODです。 しかしそのGODは、きよい正しいお方であり義なるお方ですから、その人間の罪を罪として罰しなければならないのです。 その結果、すべての人間は地獄に投げ入れられてしまうはずでした。 しかし、人間を愛している神はその地獄に投げ入れてしまう人間を救う道を開いたのです。 その方法は人間に「いい人間になりなさい」「修行をして罪のない人間になりなさい」 「いいことをたくさんしなさい」という命令を出すことではありませんでした。そんな命令を出したところで人間は修行やいい行いをたくさんすることによっては罪のない人間になることは不可能だということを知っていたからです。 そこで、GODは自分のひとり子であるイエスキリストをこの地上に誕生させ、全人類のすべての人間の罪の刑罰を負わせて十字架にかけて死なせ3日後に復活させることにより人間のすべての罪を完全に赦し天国へ連れて行く道を開いたのです。 イエスキリストは何の罪も犯さず一回もウソを言ったこともありませんでした。 十字架にかかって殺されようとしたときにイエスキリストは自分が無実であることを叫びませんでした。 ほふり場に引かれていく子羊のように何も言わず、自分がかかる十字架をかついで処刑されるべき場所へと歩いていき、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」と祈りました。 私たち人間は無実で十字架にかけられているときに、自分を殺そうとしている人に対してこのように言うことはできません。 しかしイエスキリストはそのように言って十字架の上で息を引き取りました。しかし3日目に復活しました。 それは、イエスキリストが神のひとり子であったという証拠です。3日後に復活したのも彼が神のひとり子であったからできたことなのです。 イエスキリストは私たちを命をかけて愛し私たち人間の罪の刑罰を身に受けて十字架にかかって死に天国への道を開いてくださったのです。 そのことを自分のこととして信じる者はすべての罪を赦され天国へ行けます。しかし信じないものはその罪が裁かれ地獄へ行かなければなりません。クリスチャンはイエスキリストの道徳的な教えを信じているのではなく、十字架と復活を信じているのです。 もう一度いいます。アメリカ人が一般的にGODという時には、日本人が一般的に使う神とは全く違う概念です。 それと同じようにアメりカ人がprayと使う時にはこのGODに祈るという意味で使うのです。 ですから、このprayということばをあなたが使ったのでクリスチャンなのかな?と思ったのだと思います。 あなたがクリスチャンではないということは、早いうちにはっきり彼に言ったほうがいいと思います。 言ったからといって彼が裏切られたような気持ちになることはありませんよ。むしろあなたがクリスチャンではないことをずっと言わないでいることのほうが彼があとでそれを知った時にいやな気持ちになるかもしれません。 あなたがprayということばを使ったのは間違っていたとは思いませんよ。日本人だって信仰を持っていなくたって祈るということばは使いますからーーー。 大切なことは正直に何でも彼に話すということだと思います。
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- ERDI
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「いつもあなたの幸せ(健康or平和)を願っています」 友達なんかに出すメールや別れ際には、Take Care を 使うのが多いような..私 pray を使う時もありますよ 相手が困っている時や、病気の時などに使っています。 今まで、prayを使って「クリスチャンなの?」って聞かれたこと 無いですが、意味合い的には各々の信仰している 神や仏にお願いする行為を表現するものと理解しています。 無宗教者と言われるnathalieeさんですが、相手を思いやって 幸せを願う心には、漠然としたものかも知れませんが、 神や仏があるのかも知れませんね
お礼
ありがとうございます。相手の深い信仰心を理解出来ていなった自分の愚かさを痛感しました。 お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。
なるほど。 言われてみると、pray が使われるのは、宗教や神と関係がある場合ですね。 日常的な会話だと、#1さんの言われている hope と、あとは wish でしょうか。
お礼
ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。
- sky_blue_Orion
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質問者さんがどのような文章を相手の方に送られたのか分からないので詳しくは言えませんが、「prayer」には「祈る人」「祈り」「(神への)願いごと」「祈りの言葉」という意味などがあり、同様に「prayerful」は「信心深い」という意味なので、キリスト教徒の方にとって「pray」は「教会で跪いてお祈りをする」というイメージの言葉なのではないでしょうか。ここに日本語の「祈る」との違いがあるように思います。それで相手の方は貴方がクリスチャンだと勘違いしてしまったのでしょう。 私が「貴方の~をお祈りしています」という日本語を英語にする時は、大抵「hope」を使います。返事のメールにも同じように「hope」が使われていますよ。例えば、「how are you?~hope you are okay~」なんて文頭に書いてあったりします(ティーンの子なので文法は程よく無視されていますが・・・)。「hope」は「祈る」というより「希望する」という意味合いが強いので、こちらの方がより日本語の「祈る」の意味に近いのではないでしょうか。 相手の方にはちゃんと誤解の無いように説明をされた方が良いと思います。きっと理解してくれると思いますよ。裏切られたようには感じないでしょう。私も何人かと似たような言葉のトラブルになってしまったことがありますが、誤解を解いたら「あ、そうなの」で済みましたよ。
お礼
早速の回答ありがとうございます。「きっと理解してくれると思いますよ」という言葉を聞いて少し安心しました。が、まだ少し彼の反応も不安です。ちゃんと理解してもらえるように頑張って説明します!でも正直英語はまだまだなので...理解してもらえる文章を書き上げるのが相当に大変(>_<)。
補足
メールの文章は日常的な会話の最後にその内容にあわせて「健康を願ってます..」と一文書いた感じでした。 信心深い彼の事を考えると「pray」という単語を使うかどうか悩みましたが、辞書では通常の会話でも使っている感じの例文もあったので大丈夫かと思ってしまいました。ですが万が一勘違いされたら大変だとも思ったので「神」という言葉は一切言っていません。 「hope」だとその時、その瞬間(極端ですが)にある願いの事のように思えて...私は常に心からそう願っていると伝えたくて「pray」と書いてしまいました。 私の浅い考えが引き起こしてしまったと反省しています。
お礼
回答ありがとうございます。勉強にもなり励ましにもなりました。相手にはちゃんと伝え、その言葉が意味する事も教えてもらいました。全く考え違いをしていた自分をとても恥ずかしく思っています... お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。