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醜悪美
醜さは美的評価の対象となり得るか。
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kaitaradouです。脱線した事をお詫びします。私の言いたかった事は人間は醜悪なものを美としなければならないという理由があるのではないかということでした。
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- kaitaradou
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kaitaradouです。 平均化というのは調和が取れているということで調和が取れていることは美しいことでもありますが、変化が起きないという意味でも永遠に通じるところがあります。一方永遠にしても変化がおきないというのは時間が流れないということですから、これは人にとっては死を意味します。そこで人は不安あるいは恐怖を感じるわけですが、おそらくご指摘の醜悪美というのは生きていることの醜さを良しとしなければならない人間の業のようなものと関係があると思います。やはり人間は流れる時間を失うことを嫌いますが、流れる時間というのは醜いものなのではないでしょうか。醜いものに執着しなければならないということに対する救いのようなものとして永遠という美に憧れるとしても、それは永遠はおろかつかのまにしておかなければ生きて入られないというのは大きな皮肉だと思います。
- 石崎 大望(@hir_o_mi)
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こんばんは。 ANo.6の補足への回答です。 醜悪=不格好、無様、不気味、おぞましい、恐ろしい、いやったらしい といったイメージ。 だけど 美=魅了される 恐竜。蛇。 ピカソが影響を受けたようなアフリカの原始美術。 ドストエフスキーの作品群や『嵐が丘』の登場人物の生き様のはしばし。 突如出現したゴキブリが急に壁で止まって、こっちは固まって見入ってしまったとき、次どう動くか分からなくて気持ち悪くて怖いのに、黒光りする羽根をふと美しいと感じてしまったり。 ぴったりの例は難しいですね。
お礼
どうもありがとうございます。 そこでもう一言お願いしたいのですが、 ドストエフスキーの作品群の登場人物で誰が当てはまりますか?
補足
「アフリカの原始美術」 美の創造とは美の共通意識を引っ張り出すことにあるのだと私は考えます。
- hakobulu
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#5です。 「醜悪な精神」にまさる「醜さ」は無いでしょう。 存在するだけのものに、本来醜さはありません。 存在に必要なものが「醜」である筈がないからです。 醜悪な理由で「美」と認定されたものは「醜」です。 軽薄な理由で「美」と認定されたものは「軽薄」です。 全て誤解と錯覚のなせる技であることは年月が証明します。 「醜い」と感じるのは、そう感じる精神が醜いからに他なりません。 醜悪な精神を覆い隠す外面的な美よりも、 醜さの背後に隠された敢然とした精神こそ本物の美だと、 真実の探求者であれば気付くでしょう。(隠されているから本物という意味ではありませんが) また、その時初めて「美」は普遍性を持つと考えます。 その意味で、「醜悪美」は既に「美」そのものでしょう。 「美」の概念について一致を見るのは難しいかもしれませんが、 「醜悪美」は、揶揄としての表現ではないと、私は認識しています。
お礼
どうもありがとうございます。 美の普遍性は人間性の普遍性にあるということですね。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
No4kaitaradouです。美しいというのは調和のことなので、究極の美しさというのは偏差のない平均そのものではないかと思います。一方醜いものというのは平均から大きく外れているものということになるのかもしれません。醜いものでも対数の法則で数多く足しあわされると偏差が相殺されて平均に近づくということだと思います。平均というのは変化する力を内蔵していないとすれば美しさというのは完成を意味したり、時としては死すら意味するのではないでしょうか。又変化しないということは時間が凍結される永遠を意味します。パスカルが、人は永遠に憧れると同時に不安ないしは恐怖を感じるという意味のことを行っていると思いますが、おそらく関係があることだとお思います。
お礼
どうもありがとうございます。 「平均化」に疑問を持つのですが 「パスカルが、人は永遠に憧れると同時に不安ないしは恐怖」 心的動揺において初めて醜悪美といったものが引き起こされると感じるのですが。
- 石崎 大望(@hir_o_mi)
- ベストアンサー率42% (46/109)
なり得ると思います。 例えば「美しい」と「綺麗」の違いはなんでしょうか。 「綺麗」というと、構図や構造が整っているとか、色合いのバランスがよいといったような意味合いを多く含む気がします。 それに対して「美」には凄み、迫力といったニュアンスがより含まれる気がします。 そう言えば、凄絶美なんていう言葉もあり得ますよね。 数学者やプログラマーが洗練された解を見出したときに感じる「美」は秩序の美ですが、やはりそこには「綺麗」というよりも「美しい」と表現したくなるような、神秘感や畏敬の念みたいなものを感じ取っている気がします。 それが見るものの心に迫り、尊敬にも似た圧倒するようなインパクトを与えるとき、既存の尺度とは相反するものに対しても人は美を感じるのではないでしょうか。
お礼
どうもご回答ありがとうございます。 皆様方いずれも素晴らしい回答なのでポイント発行に頭を悩ましています。
補足
「畏敬」 「尊敬にも似た圧倒するようなインパクト」 と結びつくような醜悪美といったもので何か想像できるものがありますか?
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「美」と「醜」は相互依存的言葉だと思います。 どちらが欠けても、単独では無意味な言葉ですし、そういう意味では「なり得る」と言えるでしょう。 現段階の「美」だけを選別しても、 その中で再度「美醜」の判断はなされるでしょうから。 また、絶対的な「美醜」は存在しないでしょう。 あくまで相対的な観念であって、相対性を規定する心自体が移ろい易いものである限りは。 「美」という認識を持つ瞬間の心(あるいは脳)のメカニズムには興味があります。
お礼
どうもご回答ありがとうございます。 皆様方いずれも素晴らしい回答なのでポイント発行に頭を悩ましています。
補足
醜悪美=醜にして「・・・」が必要でしょう?
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
美の原点としての評価はありうるのではないでしょうか。あるいはマイナスの美というような評価もあるかもしれません。ちなみに人の顔の美醜では普通の顔のひとの写真を多数重ね合わせたものは美男美女になるという話を聞いたことがあります。他のことでも多くの醜いものを足し合わせて平均を取ると美しいものになるのではないでしょうか。
お礼
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補足
>のことでも多くの醜いものを足し合わせて平均を取ると美しいものになるのではないでしょうか。 それは何故でしょう。 またそれには何が必要でしょう?
醜さが美しさを顕す場合があるのではないでしょうか。不細工男の人格者など。 また、美貌を備えた悪女、悪童というのも、よくある題材です。 芸術家の貧乏暮らしは、フェイクかもしれませんが(芸術と富との関連性を明らかしない限り)、我慢の美徳、など、やいこしい対象が多々あります。 いうなれば、醜さと美しさは共存できるということです。 更に言えば、醜さと共存できる美しさには、種類があると思います。「清らかさ」というものは、醜さと共存できます。また、悪臭、というのも、美味と共存できます。 酔っ払いと車運転は共存できません。 酔っ払いができるのは千鳥足です。 あちょ、酔拳。 また、完璧なものに対しては、穴を探しだそうとする性格が人にはあるような気がします。不細工男の人格者の物語では、不細工だから幸せになることがゆるされるのであって、美男美女の人格者は、ハッピーエンドに結びつくことは少ない。 そういう人は、隠居して、社会の表には現れないのかもしれません。残念。スーパースター、隠れる。 不細工で不徳であるものが、富を握るパターンもありますね。そういう者に対しては、刺客が送られがちです。 あちょ、酔拳。 美を備えた完全無欠の勇者よりも、力の無い清い少年や、笑いもとれるぜ酔拳の使い手など、穴のあるキャラクターの方が、世に幸せをもたらすような気がします。
お礼
どうもご回答ありがとうございます。 皆様方いずれも素晴らしい回答なのでポイント発行に頭を悩ましています。
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「清らかさ」 その他、醜悪美と結びつくものがありますか?
- kobarero
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「田中さんは醜くいが、吉田さんはいつも美しいのか」「嫉妬は醜いが、愛はいつも美しいのか」「醤油瓶は醜く、シャンデリアはいつも美しいのか」「藁葺き小屋は醜く、大理石の宮殿はいつも美しいのか」 一般的には、美醜は、対象にあるのではなく、受け止める側の心の中にあると言えます。さらに、「醜さ」の中に「美」を見出せないのなら、創造はないと思います。
お礼
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補足
「醜さ」の中に「美」を見出すには何が必要でしょう?
お礼
醜悪美そのものに対する認識論なんですが。