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醜悪美とは一体なんでしょう?
醜悪な美とはいったいなんでしょう? また人は美しいをどのようなときに感じるのでしょう? さらにこの問題をなんとか社会(場所、人や時代など)と結びつけて考えることができたらお願いします。 美しいとは社会にとってどのような作用をおこすのか、ちょっと作用は難しいので答えられなければ大丈夫です。 皆様の美に対しての意見をお聞かせください。
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ご質問者の意図ないし用途がわかりませんから、参考にならないかもしれません。 グロテスクの様式が建築の趣味となった時期が、ゴシックの時代およびゴシック・リヴァイヴァルの時代におもにイギリスを中心にありました。 洞窟=グロッタの雰囲気を醸した様式です。グロテスクは、醜悪であり、かつ美である概念を生んでいます。 後者の時代では、すでに近代ですが、ロマン主義によって発掘された古代の奇想と認識されるものです。 ゴシックの宗教性や社会共同体のありかたは失われていますから、形骸化した様式です。 > 美しいとは社会にとってどのような作用をおこすのか、 イギリス王立美術院は、産業革命下の社会における美の役割の解明研究の必要性に駆られて設立されたと記憶しています。 著名な初代院長の著作は日本語で探せるのではないでしょうか。 美と社会についてはモダニズムにまつわる多くの論考を求めることができます。 神聖な王という規範を失い、また教会の権力が失墜し、宗教芸術の美の規範が壊れたこと、 産業革命によって実用美が必要となったために、社会と美がこれまでの意味では切り離され、あらたな意味で結びつけられたこと、 これらのことから、モダニズムは、美の正体を問わなければならなくなったといえます。 美の概念、純粋美などとこなれない訳語をあてることもありますが、 美という抽象概念は西洋からせいぜい大正末期か昭和初期に輸入された哲学タームであり、 東洋では古来、美を抽象概念として対象化していないと思います。 つまり大正昭和戦前の知識人が敷いた文脈でしか、一般論としては問題を立てられないということです。 夏王朝にとって美とは、安土桃山にとって美とは、利休にとって美とは、 すべて、それらの本性をやや離れて、大正昭和戦前の概念体系に仕切り直しての話となるでしょう。 ご質問は漠然と問いかけられていますが、 美の抽象概念が作られた過程は、長い歴史の上にありますから、 まずは意見を募るよりも、ご自身の問いの背景を固めることが先決ではないでしょうか?
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- Mumin-mama
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>醜悪な美とはいったいなんでしょう? 個人的な想像ですが、おそらく以下の様な芸術ではないですか。 ギュンター フォン ハーゲンスの作品〈モラル的に作品と呼んではいけないような気がしますが...。) http://www.plastinarium.de/en/plastinarium_e/plastinarium_what_is_it.html 松井冬子の絵 http://www.google.de/search?hl=de&q=%E6%9D%BE%E4%BA%95%E5%86%AC%E5%AD%90%E3%80%80%E7%94%BB&btnG=Suche&meta= ゴスのファッション http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B9_(%E3%82%B5%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC) ピアス 耳のピアスなら分りますが、その他は痛そうです。 上の四つは「美しい」と言うより、私にとっては見るのも怖いです。 ドイツバイエルン王、ルードビッヒ二世がリンダーホーフに造った ヴィーナスグロッテと言うワーグナーオペラを個人的に楽しむ舞台。 http://bilder.fernweh.com/K%F6nigsschl%F6sser_2237.html ルードビッヒ二世〈1845~1886)は彼以前の王で唯一戦争をしなかった国王と言われています。美しいものを好み、城を建てるのとワーグナーに貢ぐのに税金をせっせと使ってました。本人はたいへんな美男子でしたが、亡くなる前は恰幅も良く、歯も抜けて醜くなり、死因も自殺したのか殺されたのかいまだ不明です。今では彼の建てたノイシュヴァンシュタイン城などに観光客が多く訪れるので、地元の英雄と言ったところです。ルードビッヒ二世と彼の建てた城は150年前は醜悪でしたが、現代では美にかわっています。 私自身任侠映画を見たことが無いので良く分りませんが、日本の仁侠映画の義理人情も醜悪美ではないでしょうか。 また、最近流行の髑髏(ドクロ)も醜悪が美になってると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >ルードビッヒ二世と彼の建てた城は150年前は醜悪でしたが、現代では美にかわっています。 ちょっとわからないですね、昔は醜悪なのに今は美って。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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人の裸体を美と見る人も、醜悪と見る人もおりますね。 人体であれば、内臓などについても両方の見方がありえますよね。 私にとって、ないというものが美ですね。人の作為がないというものほど美ですね。そして感じを惹起しないものほど美ですね。 枯れ山水とか、山水画とか。俳画とか。の世界。 山川、日月星辰。海は美というより、月明かりの海岸に岩と松。 そんなのが落ち着けますね。 アサファルとやビル、これは醜悪でしかないですね。 美は人を本心に近いところに連れて行ってくれるものですよね。 なお、これらの書き込みは私の普段の思いの範囲を出ては居ません。 「ご質問の文章は美しくありません。」は判りません。 意味が多少入ってこない箇所はありますが、質問者さんと私の意識の持ち方の差だなと、了解しております。ごどうなのでしょうか? 「もしかして宗教と関係が有るのではないでしょうか。」というご指摘がありますが、そうなのかな、と思うくらいで、実のところはどうなのでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 人の作為がないものほど美ですか、わかりました。 そして、必ずしも宗教と関係があるとは個人的には思いません。
- thorium90
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そんな美は無いと思われます。 ですのでそんな問題も無いです。 ご質問の文章は美しくありません。 作用といたしましてはまともな回答がつきません。 もしかして宗教と関係が有るのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 グロテスクというのは確かにある気がしますね。 宗教においては神(美)が権力維持に必要だったのかもしれないですね。 ただ宗教芸術の美は神=美と記号的な意味合いのみを含んでいるような気がしてたんですが、必ずしもそうではなくて醜悪とも取れるようなキリストの血とか死体といった表現も含んでいますね。 美というのはけっこう最近の言葉とはわからなかったです、でも、これで問題がさらに難しくなってしまった気がします。
補足
>まずは意見を募るよりも、ご自身の問いの背景を固めることが先決ではないでしょうか? そうですね、もう一度考え直してみます。 かなり難しい問題です。