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美でないモノに対する姿勢
- 美しさを感じるという事は、一方でその逆すなわち美しくないと感じる対象が確実に存在すると思うのです。
- 自分が美しくないと感じる対象は、美しくないとの理由からその対象存在を否定したり、更に突き進んでその対象そのものを破壊(消滅)しても構わないでしょうか?
- 美度は人類の絶対的基軸でしょうか?そもそも美度にはどういう意味意義があるのでしょうか
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美は、自己の経験の蓄積(遺伝子を通じた種的記憶を含む)に おいて、充足経験における感覚パターンの総和としての歪み である。 自分にとっての美は、肉体的自己チューに偏向する。 人類の社会生命化において、その自覚化(助け合いとしての生) による博愛は、助け合い=分業化=多様化を必然とし、多様性 =個性を美とするようになる。
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- suzumenokox
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こんにちは。 私は次のように考えます。 人類にとっての美とは、進化の樹系図の人類という枝分かれの先で人類に固有のものへと発展してきた「美という感覚」で、進化の過程でいろいろな要素とタイアップして流れの中で内側から沸き起こってきた人類にとっての最先端の淘汰圧と言ってもいいかもしれません。 根底の部分で遺伝的な大筋の枠組みがあるものと考えられますが、後天的な体験により具体的には千差万別のものに派生します。それらは他者に害を及ぼさなければ多様でいいものとして共存すべきで、それが実現できればそこから大きな可能性が開けるものだと思います。 多様でいい範囲内で美的センスが違う人とは否定しあうのではなく住み分けるのが望ましいでしょう。 また、自分が個人的に美しくないと思うものにも自分の想像を絶する意味があるのかもしれないので破壊まで行ったら行き過ぎなのではないでしょうか。ただ自分のセンスとして嫌悪感くらいは持っていいものかもしれません。それからもしも人対人であった場合は、基本的人権に類することをまず前提に据えておくことが大切だと思います。
お礼
>否定しあうのではなく住み分ける 基本的人権意識よりも自己の美感が優先しているというか、客観的視野を有していないのでしょうね、そういう感受性溢れる個性豊かな方は 「敬天愛人」の精神こそが肝要と思えます 回答ありがとうございました
>(1)自分が美しくないと感じる対象は、美しくないとの理由からその対象存在を否定したり、更に突き進んでその対象そのものを破壊(消滅)しても構わないでしょうか? 文化遺産を壊すのは良くないです。例えば、アフガニスタンで過激派が仏像を爆破したことなどを思い出されたし。また日本の金満家がゴッホを所有した歓びのあまり、死に際しては自分の棺桶に入れて燃やしてくれと言ったことがありました。世界中から非難が来ましたね。 >(2)自分が美しいと感じる対象について、それに美しさを感じない(or美しくない何かを感じる)人を否定したり存在を認めない姿勢でいいでしょうか? 昨今では、そういう態度を無教養と呼んで批判するようです。心の中では認めないでもいいが、最低限の礼節は取り繕うべき。 >(3)美度は人類の絶対的基軸でしょうか?そもそも美度にはどういう意味意義があるのでしょうか 美が重要になり始めたのは、近代以降です。同じ感じ方をする人同士で、国や宗教などの障壁を超えて、感受性における連帯感をもつのがその意義です。したがって2の問いに戻りますが、下手な否定をすると、無作法になるのです。 以上、簡潔ながら。
お礼
多様な感受性を認めて最低限の礼節を保つ事は人類普遍の義務とも思います。 しかし、現実には主観を絶対視し俺(私)様ルールで無礼非礼を犯す感受性溢れる個性豊かな方が残念ながら存します。 >美が重要になりはじめたのは近代以降 とすると産業革命以降、庶民がそれ以前より拡張された余暇時間所有可能になった背景からの意義増大もあるかな? それ以前はそれこそ美を楽しむ余裕が無かったと推測出来ますしね。 そうすると美(を享楽する事)は人類普遍の義務とまではいえないと思えます。 (各種美享楽している方々、各種美感)を理解する必要はあると思いますが。 回答ありがとうございました
- Mokuzo100nenn
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>(1)自分が美しくないと感じる対象は、美しくないとの理由からその対象存在を否定したり、更に突き進んでその対象そのものを破壊(消滅)しても構わないでしょうか? 所有権の問題ですが、自己が所有しているモノであれば、対象そのものを破壊(消滅)してもかまわないです。 >(2)自分が美しいと感じる対象について、それに美しさを感じない(or美しくない何かを感じる)人を否定したり存在を認めない姿勢でいいでしょうか? 良いです。 ただし、誹謗中傷したり、危害を加えるのは駄目です。 >(3)美度は人類の絶対的基軸でしょうか? 絶対的基準ではありません。 >そもそも美度にはどういう意味意義があるのでしょうか 美は観察者の脳内ホルモンを分泌させて快感を感じさせることができます。
お礼
回答ありがとうございました
補足
>美は観察者の脳内ホルモンを分泌させて快感を感じさせる 確かに(自分にとって)美しい事象は心地よさを感じさせられます。 まあ、お酒同様当人がたしなむ範囲で美を楽しめばいいんですけどね 現実はお酒同様中毒症状を呈する方が少なくないようで…
- mmky
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(3)美度は人類の絶対的基軸でしょうか?そもそも美度にはどういう意味意義があるのでしょうか ○美と愛は非常に似ていますね。美を愛と置き換えても同じになるでしょう。 普遍的な愛があれば、独善的な愛もありますね。自己愛、夫婦愛などは独善的ですね。同時に民族愛や国家愛、神仏への愛など普遍的な愛もありますね。これらは同時に存在するものであってどちらかを否定するものではありませんね。美も同じものですね。独善的美意識もあれば普遍的美意識もあるわけです。どちらも同時に存在し、受け入れなければいけないものですね。 「(1)自分が美しくないと感じる対象は、美しくないとの理由からその対象存在を否定したり、更に突き進んでその対象そのものを破壊(消滅)しても構わないでしょうか?」 この質問については白が黒や黄色より優れているとして白人種の植民地政策がありましたね。黄色人種の日本人が頑張ったおかげで黒も黄色も白も同じだと気づいた歴史がありました。 普遍の美は透明なのですね。色が付いたといって差別してはいけないということは歴史的に証明されましたね。 「 (2)自分が美しいと感じる対象について、それに美しさを感じない(or美しくない何かを感じる)人を否定したり存在を認めない姿勢でいいでしょうか?」 この質問についても同じですね。普遍の美は透明なのですね。肉体の目を通して様々な色として見えているだけですね。自らや同人種の見え方のみを正当化してもそれは美の一面を見ているだけなんですね。 ただ、個人が生きる上で独善的な愛や美も許されているだけなのです。 独善的な美や愛が許されている唯一の理由は、自らの個性を養うためですね。これがないと皆、金太郎飴のロボットになってしまいますからね。しかしね、不変的な愛や美があるということの前提で許されているということなのです。まあ、それに気づくことが人生の試験なのかもしれませんね。
お礼
この世に同じ人間は誰一人として存在せず、それ故多様な個性が存在しそれらを共存させるべくそれらは尊重されなければならないものです。 “個性”は個性否定の免罪符には決して成り足り得ないでしょう。 回答ありがとうございました
- 3355Teach
- ベストアンサー率11% (12/101)
美は、美ならざるものによって美として生成しています。 美ならざるものは、美によって美ならざるものとして生成しています。 美ならざるものを破壊すれば、同時に美も破壊されます。 それ以前に、たかだか一個人が美と感じようが感じまいが、そのようなことと美は無関係です。
お礼
回答ありがとうございました
補足
回答ありがとうございます >美ならざるものを破壊すれば同時に美も破壊されます その通りと思いますが、現実は、(当人にとっての)美ならざるものを兎角否定したがる方が少なくありません。 その方向性が最終的には自己存在をも否定される事を無自覚のままに
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
kylenrober様、こんばんは。 >「(不美は)破壊しても構わないか」 >「(反逆は)認めなくて構わないか」 >「相対的」 (笑)「絶対的「美」の世界で、隷従して下さい」
お礼
回答ありがとうございました
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
美しい質問です。 (1)肯定も否定も対象を感知した時点で自然に発生します。対象を所有している場合、破壊が許されます。 (2)同一対象を異なる美度で感知したことに対しては、肯定または否定が自然発生します。それを人物、人格に関連付けて否定することも自然発生するわけですが、これは、自分がそのような異なる感覚の人を否定する人格であるということです。 (3)当然、意味はありますし、論評、比較、共感、コミュニケーションなどさまざまな意義がありますが、基軸はありません。
お礼
回答ありがとうございました
補足
回答ありがとうございます。 人間社会にとって絶対的なものでない筈の美度を、自身最高唯一の基軸(尺度)とするのは自由ですが、ややもするとそれを拠り所に自身のフィルターを絶対視しそれに叶わない非所有存在を強硬否定される方が少なくないと感じるのです。 そのような中(社会)では、自身を守るため止む無く彼らに迎合を余儀なくされ、結果本来自由に楽しむものである美が人を不自由にしているのではないでしょうか
お礼
各人の歪みの度合いこそが美への固執執着を生む元凶なんでしょうね 社会的生物人間の特質である社会生命化からの博愛多様性こそを美と感じ各人を尊重した明治大帝のような方はまだまだ極々少数、な所が悲しい現実です。 回答ありがとうございました
補足
回答ありがとうございます。 >美は各人の先天的影響を含む感覚総和の歪みである これまで「美」そのものの定義が自分の中で曖昧でしたが、なるほど納得出来ます。 すると、各人の美感・美度は各人人生の歪みの表れである、といえるかも知れませんね