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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:美でないモノに対しての姿勢)
美でないモノに対する姿勢
このQ&Aのポイント
- 美しさを感じるという事は、一方でその逆すなわち美しくないと感じる対象が確実に存在すると思うのです。
- 自分が美しくないと感じる対象は、美しくないとの理由からその対象存在を否定したり、更に突き進んでその対象そのものを破壊(消滅)しても構わないでしょうか?
- 美度は人類の絶対的基軸でしょうか?そもそも美度にはどういう意味意義があるのでしょうか
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noname#190450
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お礼
各人の歪みの度合いこそが美への固執執着を生む元凶なんでしょうね 社会的生物人間の特質である社会生命化からの博愛多様性こそを美と感じ各人を尊重した明治大帝のような方はまだまだ極々少数、な所が悲しい現実です。 回答ありがとうございました
補足
回答ありがとうございます。 >美は各人の先天的影響を含む感覚総和の歪みである これまで「美」そのものの定義が自分の中で曖昧でしたが、なるほど納得出来ます。 すると、各人の美感・美度は各人人生の歪みの表れである、といえるかも知れませんね