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「習与性成(習い性と成る)」の「与」の用法
「習与性成(習い性と成る)」(書経・太甲上) (習慣は、すっかり身につくと、遂には天性のようになる) という言葉がありますが、この場合の「与」は「与」の用法の内のどの用法に当るのでしょうか。
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- pananpe
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#1です。 気になったので、その後少し調べて見ました。 多久弘一・瀬戸口武夫『新版漢文解釈事典』(国書刊行会、1980(1998))に、「~は…と」と読む「与」の例として「習与性成」の解釈がありました。 それによると、全体の解釈は 「習慣がすっかり身につくと、ついにはそれが生まれつきの天性『と』同じになる」 です。上記の『と』の部分が「与」の意味にあたる部分だそうです。 つまり、この場合の「与」は、通常通りの「と(共に)」の意味であり、多分質問者様の思案の種だと思われる「同じように」は、「成」の意訳から導かれるものということです。 (ちなみに、この本では「(~は)…と」と読む場合は、一方を主として他方を従としている「従属」の形、と説明していました) わたしも、この考え方で良いのではないかと思います。 尚、『大漢和辞典』で「与」を引いてみると、 「と」という読みのところには「と。および。これとかれと」とだけしかありません。 やはり、この場合の「与」は「と」と考えてよいのでしょう。
- pananpe
- ベストアンサー率47% (34/72)
「与」は普通、読み方ごとに意味・用法が違うので、読み方が分かっている場合には、それを参考にすれば良いと思います。 今回のように「と」と読むなら、並列の助辞(漢和辞典によっては前置詞)と思ってよいでしょう。訳し方も一般には「と」になります。 すると、質問者様が提示された「習与性成」の解釈において「と」はどこに当たるか、が次に問題になると思いますが、これはこの解釈が意訳だから、直接「と」という訳が表に出てきていないだけなのではないかと思います。 直訳で考えると、「習与性成」は「習慣は、性質と(一緒に)成る(=できあがる)」と解釈できます。 意訳すると、「習慣が身につくと、性質もそれとともに出来あがり、完成する」と感じになります。すなわち、身についた習慣→性質になる、ということですよね。そう考えると、「習慣は、すっかり身につくと、遂には天性のようになる」と同じ意味と考えられると思います。
お礼
私もその後考えてみたのですが、「…と一緒に」の意味が「…と同じように」に転化した特殊な例ではないかという気がします。 つまり、「…と一緒になる」→「…の仲間入りする」→「…と同じようになる」という具合に。 pananpeさんの解釈にも「一緒に」が入っていますが、構文全体の解釈は私のと少し異なっていますね。 pananpeさんの解釈では「習と性が(一緒に)成る」ですし、 私の解釈では「習は性と一緒に成る」です。 「…と一緒に」が「…と同じように」の意味に転化して用いられる例が他にあるのかどうか知りませんが。少なくとも、私の持っている辞書や漢文の本にはそういう例は見当たりませんでした。 前置詞の用例としては、論語・学而の「与朋友交」(朋友と交わりて)という用例が漢文の本や辞書に出ていて、「動作の対象」を表すとしています。最初はこれに当るのかと思いましたが、この学而の用例に関しては「ともに」の意味に分類しても良いような気がします。 「ともに」の意味に分類できない「動作の対象」を表す事例があるのかどうかも分かりませんし、また、あったとしても、「…と成る」の「と」が「動作の対象」というのもしっくり来ないような気がしますので、「習与性成」の「与」が「動作の対象」を表す前置詞と解釈できるのかどうかもはっきりしません。 難しいですね。
補足
すみません。少し誤解してました。お礼の中で、 >pananpeさんの解釈では「習と性が(一緒に)成る」ですし、 と書きましたが、これは「並列」という言葉につられた誤解でした。 よく読むと、pananpeさんの構文解釈も「習慣は、性質と(一緒に)成る(=できあがる)」となっていますね。 意味の解釈は少し私のと異なるみたいですけど。
補足
実は私もその後、図書館で『新版漢文解釈事典』と『大漢和辞典』のご指摘の箇所を調べてみました。 私としては、「…と一緒に」の意味が「…と同じように」の意味に転化して用いられている可能性はないかと考えて、『大漢和辞典』第9巻p442の「與(与)」の用法を見たところ、27番目に「ごとくする」というのがありました。 『経伝釈詞』(清の王引之の撰)からの引用として、 『広雅』 (魏の張揖の著した字典)という本に「與は如なり」とあり、 また、『大戴礼記』四代篇の「事必與食、食必與位」を引いて、 これを「事は必ずその食の如くし、食は必ずその位の如くし」と解釈しています。 ただし、「事必與食、食必與位」の解釈については、 新釈漢文大系の『大戴礼記』p387では「與」を「あたえ」と読んでおり、 「事には必ず食を與え、食には必ず位を與え」と読んでいて、解釈が一定していないようです。 しかし、一応、『広雅』に「與は如なり」とあり、また、『大漢和辞典』の「與」の用法の中には、(9)「にかよふ」(10)「にかよふところ」という意味もあるところから考えて、「習与性成」の「与」も「…と同じように」「…のように」と解釈することも可能かも知れません。 やっぱり、こういう問題を考える場合は、普通の漢和辞典では間に合わないみたいですね。