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舎人親王
高校生のころから気になってきたことなのですが、 舎人親王はなぜ、親王なのに「舎人」という名前 なのでしょうか? 後につけられた名前にしても、不思議です。 どなたか教えてください。
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当時の皇族の皇子たちの名前は、その皇子を扶養する部の名前が付けられていたと思うのです。 舎人皇子の兄弟には、草壁皇子、高市皇子、大津皇子などがあります。 舎人についてですが、壬申の乱で活躍した信濃兵を率いていた科野(信濃)国造家が金刺舎人氏でした。 壬申の乱の勃発が672年で、舎人皇子の生年が676年です。 この末っ子の扶養を天武天皇が科野国造家に託したところから、「舎人の皇子」と言う呼称になったのではないでしょうか? あくまで推測で、学説でもなんでもないので参考までに ^-^;
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- magdara
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No.4 の者です。 のらりくらり書いてるうちに、No.3の方がとても有力なご意見を書かれてましたね^^; No.3の方が書かれた、金刺舎人氏とイマイチ繋がりが分からなかったので、モヤモヤしてました。私もとても参考になりました! ありがとうございました。
- magdara
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私も気になっていましたよ。同じことに気になってた人がいたなんて嬉しいですね^^ でも既出のお答えは、ちょっと論点からずれてるようなので、私の考えで良かったらと思い書いてみます。 万葉集からのアプローチになりますが、舎人皇子の歌で 「ますらをや片恋ひせむと嘆けども鬼のますらをなほ恋ひにけり」 意) ますたおたるもの、片思いなどするものかと嘆いても、情けないますらおだ、やはりあなたが恋しい。 上に対して舎人娘子が答えた歌 「嘆きつつ大夫の恋ふれこそわが髪結の漬ちて濡れけれ」 意)嘆きながら、立派なお方が私を恋焦がれていらっしゃるからこそ、私の結い上げた髪がぐっしょり濡れてほどけてしまうのですね。 この舎人娘子というのが気になりました。 同時代に名前が同じというのは、あまり見たことがないので、おそらく舎人皇子の養育をみた氏族の娘なのかなと思いました。 皇子を豪族に養育させるというのは、古代では普通でした。(聖徳太子の頃は地方豪族の土地に預けるということもあったようですし) そしてその氏族の名前や出身地の名をその皇子の名にするというのも 多かったようなので、舎人皇子も、舎人氏という氏族から名前を取ったのではないかと考えました。 おそらく舎人娘子は采女であったと思われます。采女も出身の氏族の名前で呼ばれることが多かったので、舎人氏という氏族があったと思いますが、文献やらで有力豪族でその名前を見つけることが出来ませんでした…小さな地方豪族あたりなのではないでしょうか。 またちょっと時代が遡りますが 欽明天皇の妃、堅塩媛が生んだ皇女にも舎人皇女という名前がありますので、同じことがいえるかもしれません。 でもこれは後からつけた可能性大ですが… 私も他の方の回答が楽しみです♪
お礼
ご回答ありがとうございました。 renyさんもおっしゃってますが、やはり舎人親王を養育した豪族からつけられた、と考えるが落ち着くような気がします。 私は大学ではまったく関係ない分野を専攻しているので、今日まで気になったままんまだったんです。同じことを気にしている人がいるなんて夢にも思わなかったので嬉しいです!
- ttshk04
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後醍醐天皇ぐらいまではその天皇が崩御されてから名前が付けられたようですね。後醍醐天皇は897~930年に即位していた醍醐天皇の政治を理想としていて、「後」をつけて、自分で後醍醐と名乗ったようです。間違っていたらすいません。
お礼
天皇の名前はそうなんですが、親王の名前も後でつけられたものなのでしょうか? さらに気になるのは、なぜ家来である「舎人」という名前がつけられてしまったのか、なんですよね。。
- pyon1956
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根拠は必ずしもないのですが、このころの天皇家はまだ天皇を名乗っていないのではないかと思います。 一説には九州王朝説といって、九州に天皇家があり、それをクーデターでのっとったのが現天皇家だ、という説もありますが、その当否はともかく、そういう考えをさせる要素は他にもあります。天武天皇ですが、名前が真人です。ところが八色の姓の第一が真人なんです。 これはあくまで臣下のなかでの第一ということで皇族に与えられていたのであって、天皇はその上のはずです。 今風にかんがえれえば大臣天皇みたいな名前なんです。 このことから、本当に真人であったから(天皇ではなかった9という説もある位です。 はっきりいえることは、この時期天皇家の中の位階が少なくとも名前のつけ方のレベルでは混乱しているということです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 九州王朝説ですか!なかなか興味深いです。
お礼
回答ありがとうございます。 なんだかとっても納得できました!