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奈良時代の舎人の活動について
こんにちは。 奈良時代について調べています。天武や持統の時代の舎人の位置がよく分かりません。 (1)彼らは主人の家に住み込みで働いていたのでしょうか。それとも家から通っていたのでしょうか(結婚をしていたら単身赴任状態?)。 (2)どんな仕事をしていたのでしょうか(主人の護衛?) (3)そもそも彼らは、どうやって働き先(主人)を見つけたのでしょうか(コネのような気がしますが)。 奈良時代の舎人の生活について書かれている書物を紹介していただきたいです。 どうかよろしくお願いします。
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ふたたびこんにちは。 天武、持統の時代ということなので。 ・「天の川の太陽」上下 中公文庫 天武天皇となる大海人皇子が壬申の乱を起こし勝利するまでのお話です。 これがイチオシかなー。 ・「天翔る白日」小説 大津皇子 中公文庫 天武天皇の皇子、大津皇子と持統天皇の葛藤がかかれています。 あと舎人のことも知りたいみたいなので。 ・聖徳太子 1~4 文春文庫 ・落日の王子 蘇我入鹿 上下 文春文庫 などがあります。 すべて黒岩重吾さんの本です。 他にもまだまだありますよ。
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- junt
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著書をあげてないなんて不親切ですいません。 1.うめぼし博士の逆・日本史(3)貴族の時代(平安→奈良→ 古代) /祥伝社NoN Book 2.梅干と日本刀ー日本人の知恵と独創の歴史ー /祥伝社NoN Book 3.逆ねじの思想 /角川文庫
お礼
いえいえ、とんでもないです。 わざわざありがとうございました。 逆から辿る日本史とは、視点が珍しくて気になります。どんな発見があるのか楽しみです。 さっそく探して、古代を学びたいと思います。 本当にありがとうございました!
- junt
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前回(No.3)で結納が日本が女性社会だった時の名残だったと書かせてもらいましたが、 この『結い』元来、紐や下帯の結び目をいうんですね。そしてこの結び目が家ごとに違っていて代々その家の女性にしか結べないし、これが受け継がれて行ってそれが1万1千種類もある家紋に変わって行く。(例えば16花弁を持った結び目をするのが天皇家とか) 古代には、男が旅立つ時に、女に下帯を結んでもらうという定り(きまり)があったのです。 その結び目をちゃんとそのまま持って帰らないと、貞操の証が立たない。気が変わって、途中でほどきようものなら、元通りには、その『結』の女にしか結び直せないから、身の証の立てようがなくなる。そんな訳で、旅行中は、湯にもはいれないし、水浴もできない。 だから『万葉集』には、その紐がほどけかかって困っている歌があるし、中には古くなって、ボロボロになって困っている歌もある。 それほど、女の方が強かったということです。 以上前回同様、樋口清之博士の著書からでした
お礼
興味深いお話、どうもありがとうございました。 代々受け継がれてきた結び目が浮気防止になっていたんですね。なんだか女の執念みたいなものを感じます…。現在も結び目が受け継がれているお宅があるとおもしろいですね。 前回お尋ねしそびれていたのですが、もしよろしければ樋口博士の書籍名を教えていただけませんか?著書名だけでかまいません。古代の風習にも興味があるので、ぜひ読んでみたいと思います。何度も申し訳ありません。よろしくお願いします。
- junt
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テーマから少し外れるんですが・・・No.1の方が一夫多妻みたいな事を書かれているので『それはちょっと違うんじゃないの』ってことで書かせてもらいます。 古代日本は女尊男卑の社会です。結婚も招婿婚(しょうぜいこん)と言って男が女の家に入れてもらうものでした。女の属する血縁結社である『結(ゆい)』という労働結社に入れてもらう時に結納を収める。これが今の結納という物品を女の家に贈って、男の家に来てもらう習慣の基です。 結び目や家紋の起源でも分かるように、日本では、母系の方が長く社会の中心だったのである。だから、『父母』と書いても母(おも)父(と)と発音するし、『夫婦』も夫を先に書くのに『めおと』と女の方を先に発音する。住居にしても、母の住む方が『母屋(おもや)』で、そこで子供が養われる。というのは、その頃の名残です。 男が仕事が終わって家に帰ってくると、家の前に男の荷物が置いてある。これは、離婚を意味し、この家から出て行けということを意味したそうです。 それから、『夜這い(よばい)』もこの頃の男が女の家を渡り歩く時の習慣の名残です。 これは、封建社会になり男子支配に変わるまで続きます。 以上樋口清之博士の書籍からの抜粋ですが、文化人類学や民俗額を学んでいれば、古代社会が女系社会だったことは日本だけでなく色々な国であったことが分かると思います。
お礼
ありがとうございます。 奈良時代も妻問婚だったんですね。そういえば万葉集でも男を待つ女の和歌が詠まれてました。 この時代、男が来なくなって悲しむ女性の姿がよく描かれてます。意外と男性の選択権も強かったのかな?と想像してしまいます。今と仕組みが違うので、なかなかイメージが湧かないんですよね。樋口先生の書籍も探して読んでみようと思います。 どうもありがとうございました。
- my-mi
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こんにちは。 (1)彼らは主人の家に住み込みで働いていたのでしょうか。それとも家から通っていたのでしょうか(結婚をしていたら単身赴任状態?)。 主人の家に舎人のための長屋があったようです。 えらくなった舎人などは結婚し、近くに家を構えてそこから出勤していたようです。 このころは一夫多妻ですので、舎人の中には地元で結婚した妻をおいていたこともあったようです。 (2)どんな仕事をしていたのでしょうか(主人の護衛?) そうです。主人が移動するたびに一緒に行動していたようです。 (3)そもそも彼らは、どうやって働き先(主人)を見つけたのでしょうか(コネのような気がしますが)。 産まれた皇子皇女は乳母の実家で育てられます。 そのコネだったり、その皇子が有力な天皇候補だったりすると、有力氏族などからも「働かせて欲しい」と依頼を受けたりしたみたいです。 私は歴史小説からこのようなことを知りました。 この時代のものなら黒岩重吾さんのものを読みました。 きっちりとした書物ではないのですが・・・。
お礼
早速詳しい説明をありがとうございました。 黒岩重吾さんの小説ですね。もし宜しければその本のタイトルを教えていただけないでしょうか。古い時代故になかなか文献から彼らの生活の様子を探し出すことが出来ないでおりました。ぜひ読んでみたいと思います。 本当にありがとうございました。
お礼
たくさんあるんですね。 知りたかった時代のものばかりで嬉しいです。文庫になっているのもいいですね。早速探してみます! 2度も投稿してくださり、どうもありがとうございました。