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仁明天皇の第七皇子・常康親王の子

六波羅蜜寺の開基で踊り念仏の創始者として知られる空也上人は 謎の多い人物のようです。 醍醐天皇の第二皇子であるともいい、 仁明天皇の第七皇子であった常康親王(?~869)の王子とする説もあります。 (ただし空也は902年または903年生まれとされており、合致しませんが) そこから常康親王の王子について興味を持ったのですが ネットで調べても常康親王の王子の名前や経歴などについて 記された記事は見つかりませんでした。 正史には常康親王の王子について、記されていないのでしょうか。 また常康親王の王子に関する伝説などは 空也であるとするほかには残っていないのでしょうか。

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  • suicyo
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回答No.1

「醍醐天皇の第二皇子」という出典は未確認ですが、「常康親王の王子」の方は公刊されている室町時代の系図本で確認できます。 (室町以前の体系的な系図本は現存しません) ・「尊卑分脉」第三篇 仁明源氏  常康親王の子として「空也上人」の名のみ記載 ・「本朝皇胤紹運録」  常康親王の子として「空也」と記し、下記の解説を付載  「六波羅密寺本願。號市上人。念佛脩行」 空也の生きた時代は、史書編纂の空白期間ですので、同時代的資料は公家の日記や寺社の記録しかありません。

noname#82952
質問者

お礼

早速回答下さりありがとうございます! 空也という法名のみが記されているのですね。 六波羅密寺本願というのは六波羅蜜寺の開基、という意味ですね。 號市上人というのは空也の呼び名とか愛称のようなものでしょうか? また、號市とは何と読むのでしょう? >空也の生きた時代は、史書編纂の空白期間 空也の生年902年または903年とされているので 清和天皇から光孝天皇まで(858年-887年)を記録した 三代実録以降となる、という理解でいいでしょうか。 そういう事情もあって空也は謎の多い人物とされてるのかもしれませんね。 丁寧にお答えいただいてありがとうございます。

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  • suicyo
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回答No.2

No.1 です 「號市上人」で「市の上人と号す」と読むのでしょう。 「市の聖」と呼ばれたのは確かなようですね。

noname#82952
質問者

お礼

たびたび、ありがとうございます。 漢語で書かれてるのですね(汗) えらい勘違いしてました。

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