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宝鏡寺の開基・華林宮惠厳禅尼
京都・宝鏡寺の開基は光厳天皇は皇女・華林宮惠厳禅尼だそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E9%8F%A1%E5%AF%BA 光厳天皇の子女をみてみると 光子内親王 興仁親王(崇光天皇) 弥仁親王(後光厳天皇) 義仁親王 尊朝入道親王 となっています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%8E%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87 内親王は光子内親王しかいないので 華林宮惠厳禅尼とは光子内親王のことだと考えていいでしょうか。 http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/koukyu/kamakura/kougon.htm 上記によれば 光厳天皇と懽子内親王の間にもうひとり皇女があるようです。(名前は不明) 華林宮惠厳禅尼とはこの名前不明の皇女のことでしょうか?
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お礼
回答ありがとうとざいます。 >公的な(文書に記載されるようなという意味)名前を持たない 天皇の御子は、 特に女子は多かったです。 具体的に例をあげていただけますか。 名前はないですが、たとえばどこそこの寺の尼さんが皇女であるとか。 >彼女の不遇な境遇から尼寺に入れられたというお立場を 目立たせないためかと思います いや、私もそう思いますけどね、 もうちょっと具体的にどのように不遇な境遇であったかと お考えにならないのかな、と思うわけですね。 もうしわけないけれど、その程度の考察は誰しもします。 もう少しつっこんだところを考えているわけです。 宝鏡寺には伊勢の二見ヶ浦で観音様が網にかかったという伝説がありますでしょう。 そういうことと合わせて考えるべきかと。 >開基の禅尼が皇女でないとするならば 後世皇女が代々庵主として入る「格」のお寺とするための 根拠として必要になったからではないでしょうか。 こういうことをおっしゃる方も多いですけどね そうおっしゃる根拠でもあるのでしたら、あげていただきたいですね。
補足
どうやら私の質問の仕方が悪かったようです。 あなたがされるような 一般論的な回答がついても仕方がない 質問の仕方であったと思います。 申しわけありませんでした。