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戦艦大和の兵装について
こんにちは。 友人と話をしていて結論が出ず、調べてみましたがはっきりとわかりませんでしたので、次の2点教えていただけますでしょうか。 ・ プラモデル等で、第二主砲塔天蓋に25ミリ三連装機銃が装備してあるものを見かけますが、あれはいつの改装時に装備したものでしょうか?(それとも実際には無かったのか?) ・ 第二艦橋後部にある機銃は、なぜ13ミリ連装機銃なのでしょうか。25ミリ三連装(重過ぎる?)や単装(火力が不十分?)では無い理由を教えてください。
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こんばんは 主砲上の対空機銃ですが、進水時の写真からは確認できません(というか無いようです)。ミッドウェー海戦後の対空防御力を高めるために描かれた設計図では、25ミリや13ミリの対空機銃が62門増設されたようですが、その中に主砲上のものはなかったようです。 また、レイテ沖海戦時の大和の写真にもないよに見受けられます(これについては、撮影日時がはっきりしませんが、大和が直接攻撃を受けている(被弾はしていませんが)写真なのでレイテ沖だと思われます)。 しかし、最後の戦闘の際のアメリカ軍の撮影した写真からは、明らかに第二主砲塔の天蓋の左右に2問の対空機銃(口径はわかりませんが)が見て取れます。 写真を紹介しようといろいろなHPを覗いてみたのですが適当なものが見つかりませんでした。 模型ですが、呉のやまとミュージアムにある「大和」の1/10模型には第二、第三主砲の天蓋部分にそれぞれ2問の対空機銃が見て取れます。 http://www.dai1975.com/blog/archives/2005/04/post_167.html また、タミヤ模型のHPでは「最後の出撃時を忠実に再現」といううたい文句で紹介されているプラモデルにもついているようです。 http://www.tamiya.com/japan/products/78014yamato/ ですので、レイテ沖会戦から最後の出撃の間の兵装で装備されたものではないかと推測します。 昭和19年11月24日に呉の海軍工廠に修理のため入渠していますので、そこから沖縄特攻作戦に向かうまでの間ではないかと思われます。 第二艦橋後部の機銃については、「できるだけたくさんの機銃を装備したかった」と記してあるものもありましたが、真偽のほどは定かではありません。
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- sqwe-ir
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13ミリの場合、改装をあまり必要とせず増設可能です。 25ミリ三連装の場合、他の兵装を撤廃したり大改装を必要とします。 それ以上の口径になると主砲や副砲を撤廃するなどの必要があるので日本海軍では行わなかったようです。 その結果、12.7センチ対空砲から25ミリ機関砲へ落ちてしまい、中間を埋める兵装を保有していませんでした。 米軍では、40ミリ機関砲など、緻密な対空網を保有していました。 結果的に 砲の撤廃は、巨砲主義の軍部の圧力や予算の関係などで行わず、安易な兵装増加で住む12.7ミリの増加で済ましてしまったようです。 25ミリの場合、指揮幹部、上下角度調整員、左右角度調整員の2名が別々に行い(モーター代用品)、射手の計4人が必要で、弾幕は張れるが、実用的ではなかったようです。 (これは他の大型砲と一緒。) これに対して射手1名の13ミリ単装機銃は使い勝手が良く、評判も良好であったようです。 使い物になる兵装を装備してあげた。 のでは?
お礼
ご回答ありがとうございます。 艦橋に装備するのに、25ミリ三連装が(いろいろな意味で)大きすぎるのは確かのようですね。 でも13ミリ連装のかわりに25ミリ単装が使えなかったのはなぜなんでしょう。やっぱり炸薬の関係でしょうかねぇ。
- SCNK
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#4です。 機銃座の重さよりも、銃単体の重さです。以前、cal50、すなわち12.7mmのブローニングM2を抱えて運んだ経験がありますが、結構骨が折れます。 高いところに運ぶには、分解して人力で担ぎあげるのだと思いますけども、25mmなんて運びたくないですね。 結構、銃というのは汚れるもので、射撃のたびに洗浄しなければなりませんから、それを考えるとやはり重過ぎるのでしょう。 あともうひとつ理由を考えたのですが、旋回速度が関係するのかもしれませんね。25mm三連装ともなると銃座はかなり重くなり、接近した敵機には追随しきれない可能性があります。それに比べ軽いので接近した敵機に対して射撃することを考えたのではないでしょうか。なぜかというと普通、機銃が相手とするのは雷撃や急降下爆撃、あるいは跳飛爆撃をする相手に対してです。このような場合、爆撃経路に入ると、その機は直線進入するのです。その距離は千メートル強といった所から数百メートルの間です。大体、25mmクラスの砲の有効射程なのです。それに対し、13mmクラスは数百メートルが有効射程ですから、直線進入中の敵をカバーしきれないのです。したがって直線進入中の敵に対しては25mmが対応し、それより内側に入り回避離脱しようと旋回する敵を13mmが対応するのかもしれませんね。なお雷撃や跳飛爆撃に対しては低い位置に銃座を設置した方がよいので、25mmは低い位置にしたのかもしれません。(高い位置からの射撃では海面を撃ってしまう。) 単装ではなく、連装にしたのは発射速度の関係でしょう。口径がでかくなるにしたがって通常は発射速度が遅くなります。だから25mmでは3連装で、13mmでは連装にしたのだと思います。もし、7.7mmなら単装にしたかもしれませんよ。これもせいぜい40mmあたりまでの話で、70mm台ともなれば時限信管や近接信管を用いるでしょうから、発射速度で補う必要は下がるのでしょう。
お礼
度々ありがとうございます。 25ミリ三連装は大きすぎるだろうと思いましたが、25ミリ単装(空母等にも積んでいた移動式のやつ)がなぜダメなのか、疑問が残っていました。 13ミリ連装は2基しかありませんので、数十基もある25ミリ三連装と役割分担をしていたかどうかは疑問ですが・・・(射撃指揮所も別だし)
- SCNK
- ベストアンサー率18% (514/2762)
13ミリ機銃でも重いですよ。まして25ミリとなると高い所に持ち上げるのは大変です。弾薬を運ぶことも考えれば、そのような所まで運ぶのは実用的ではなかったのでしょう。まして携行弾数の問題もあるでしょう。高い位置で弾切れを起こすと、すぐには運べませんね。となれば弾数の多い方が良いと思います。また13ミリクラスは炸薬を通常入れていません。艦橋付近で弾薬を集積するのは危険なので、炸薬の入った25ミリの使用を避けたのかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 機銃座が重いのは承知しておりますが、「13ミリ連装よりも25ミリ単装の方が軽いのでは?」との疑問がありました。 炸薬の有無は、なるほどと思いました。そのような理由かも知れませんね。
- migdayo
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こんにちは。現在の住所には資料が無く正確にお答えできませんが・・・・(1)について、大和の最後の任務、沖縄への航海時には装備されていたと思われます。(作戦名は忘れてしまいました)(2)はスペース、補給の問題でしょうか・・・新造時からあったようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 1 友人も「菊水一号作戦時には装備していたのでは」と言っているのですが、根拠となる史料が確定できないでいます。 2 新造時の装備にあることは確認しております。ただ「25ミリ単装機銃の方がコンパクトなのでは?」との疑問がありましたもので・・・
- toro321
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1、ないと思います。 2、第二艦橋にも13mm4連装は、たぶん張り出した部分につけるため、給弾の問題ではないかと・・・これは、対空兵装強化のためではなく、最初から装備されてました。 対空兵装強化の改装は昭和19年春です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 1 無かったのであれば、なぜ模型等に付け加えたのか疑問に思いましたので・・・ 2 給弾でどのような問題が生じるから25ミリではダメだったのか、ちょっと気になります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おそらく友人が根拠としている写真も同じものかと思いますが、肝心の史料名等がわからずにいます(ちなみに、今回の疑問の発端は「やまとミュージアム」の模型です)。 大和は呉海軍工廠に何度か入渠していますが、どうやら最後の入渠時のようですね。