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徳川家・公家から迎えた正室
京都の公家から迎えた徳川将軍の正室からは、まったく一人も子供が生まれなかった、妊娠しても生まれる前に闇に葬って、京都の血が将軍家に残らないようにしたというのは史実ですか。 言われてみれば、至極当然の考え方ですが、びっくりしました。 主に戦国時代の事を指しますが、昔も、じつは女性の影の力は思われているよりも大きくて、人質のように嫁がされても、外交官的役割を自覚して、賢く、たとえ短くても誇り高い人生を生き切った、と、最近の大河ドラマなどを見て、思い始めていたところだったので、この話には驚きました。 どなたかご存知の方がいたらもう少し具体的に教えてください。
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noname#35582
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noname#35582
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お礼
将軍職就任の年と出生年まで詳しく教えていただき感激です。 「京都の公家から迎えた徳川将軍の正室からは」というのが、厳密な意味で該当するというのも驚きです。 「死産」と「1年程度生きていたこと」というのも、成人した人は一人もいなかったことになり、薬殺、故意の事故死の可能性もあるわけで、そうでなくても、母親であった人はどん なにか、つらかったろうと、胸が痛みます。 当時の高貴な女性にも、人によっては哀れな人生があったのだと、今さらながらですが感慨深くいたましく思います。 たいへんよくわかり、納得できる回答をいただき、ありがとうございました。