徳川慶喜と細川護煕
皆さんも、ご覧になったかも知れませんが、今日のネットで、
『 都知事選:与党、小泉氏に「晩節を汚した」 なお警戒も
東京都知事選で、「原発即時ゼロ」を掲げて元首相の細川護熙氏(76)を支援した自民党の小泉純一郎元首相に対しては、政府・与党内で「晩節を汚した」(自民党関係者)などと冷ややかな見方が出ている。ただ小泉氏の動向は今後も予測がつかず、原発立地自治体などの選挙に、小泉氏が乗り込んでいく事態も警戒している。…………』
という記事です。
候補者よりも、支援した人の方が話題になっている。変な現象????
このことは主題ではありません。
ふと、想い出してしまいました。甘利大臣だったでしょうか?「殿、ご乱心」と発言されたのは。その時は、深く考えなかったのですが、考えてみると「細川護煕さんは、世が世であれば、殿だったのですよね」……しかし、今回の出馬は一体何だったのだろうか?……候補者でありながら、主役でもないという不思議な立場。
そして、今回落選したわけですから、又、趣味の陶芸の世界で、のんびり暮らすのだろうなぁ……なんて考えているうちに、ふと幕末・維新の時代と徳川慶喜の後半生のことを想い出してしまいました。
何故、徳川慶喜のことを想い出したのが、どんな共通点があるのか?もやもやとして、理由ははっきりしません。歴史には、詳しくはありません。共通点など何もないのかも知れません。
しかし、何か「もやもや」として……。
私の、以上の質問を読んで、私の「もやもや」の気持ちの原因などを説明できることはありますか?