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旗本について
知行二千石台以下のある程度由緒のある旗本は、両番・大番を経て出世していった様ですが、三千石以上の大身の旗本はどの様なポストを歴任して出世していたのでしょうか?
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回答が長くなりますがご容赦願います。 1 実際についていた役職 出典 書 名 江戸幕府役職集成(増補版) 著 者 笹間良彦 発行所 雄山閣出版株式会社 同書 61ページから引用 「嘉永武鑑」から三千石から三千九百石迄のもので役職についている者を拾うと、 御書院御番頭 津田美濃守 四千石高 御小姓組番頭 米倉能登守 四千石高 大御番頭 逸見甲斐守 五千石高 等で家禄は三千石級である。持高勤めは 中奥御小姓衆に 小笠原長門守、岡野大学頭、牧野佐渡守、菱沼美作守、岡部筑前守(この役は千石以下の者が勤めた場合は御役料が三百俵つく)、 中奥御番衆に 太田運八郎、 五百石高の御小納戸衆に 斉藤勝之助、 千五百石高の御先手御弓頭に 稲葉金之丞、 同じく御先手御鉄砲頭に 水谷主水、 千石高御使番に 本多弥八郎、池田内記、阿部兵庫、 御寄合衆肝煎に 屋代寿三郎、大久保蔵右衛門、海野猪之助、 出火之節見廻御役に 戸川内蔵助、 本所深川出火之節見廻御役に 秋月金次郎、水上内膳、 右大将付御留守居に 島津伊予守、 千石高山田御奉行に 山中丹波守 等がある。 三千石高の甲府勤番支配には中山丹後守、三千石高御小普請支配に土屋佐渡守、大島丹波守がいた。 五千石高御側衆に三千百石の渡辺能登守。持高勤めの出火之節見廻御役に三千百十五石の長谷川留次郎。五千石高御留守居に三千百三十七石の跡部甲斐守。千五百石高御先手御鉄砲頭に三千二百石の本多大膳と、三千四百石の北条新蔵がつとめている。 また千五百石高家(肝煎御役料八百俵)に三千五百五十六石の大沢右京太夫、千五百石高御先手御鉄砲頭に、三千五百石の水谷主水、千石高御使番に三千五百石の松平弾正、出火之節見廻御役に三千五百石の大草大膳、千五百石高京都町御奉行に三千五百石の浅野中務少輔、大阪城御船手に三千五百石の佐野銀五郎などは、いずれも持高勤めで家禄より低い役職についている。 引用終わり 2 役職の格について 寺社奉行、町奉行及び勘定奉行の三種を「三奉行」といっていました。このうち、寺社奉行は、大名役で少なくとも一万石以上の家禄がある大名だけが就任できた役です。 また、大御番頭は、「だいたい五千石から一万石級の大名が勤めていた。」(全同書168ページ上段)とあります。 遠国に赴任する○○奉行という名の役のうち「長崎御奉行」は、御目付、御普請奉行などから抜擢され、無事に勤めれば加増を受けて大目付(大名役)などに上がりました。 役高は千石高でしたが、諸大夫(従五位下朝散大夫のこと。ふつうの大名と同じ叙任を受ける。)、芙蓉の間席で御役料として四千四百俵がつきます。俸給としては遠国奉行中最高ですが、格としては同じ遠国奉行の大阪町奉行より席次は下だったそうです。 遠国奉行は、おおむね役高千石以上、役料千俵以上を受け、一部を除き諸大夫に叙せられ、芙蓉の間席となっていたようです。 これに対し、両御番頭は菊の間詰め(譜代の三万石以下の者の詰め所)で、大御番頭は老中支配、御書院番頭は若年寄支配と支配は違いますがいずれも諸大夫に叙せられました。 3 出世の道?について いろんなパターンがあっただろうとは思います。私個人の考えに過ぎませんが、両御番頭は軍隊そのものの「番方」ですから、ここからよい役に出世するというのはあまり無かったのではないかと思っています。太平の世が続けば、必要となる能力は軍事ではなく算勘の術であったはずで、そうなれば勘定奉行からのし上がる方が早道だったのではないかと思っています。
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- 6dou_rinne
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3000石以上となると両番にはいることもありましたが、普通は番士などは経ずに中奥小姓や中奥御番衆などになって勤め、その後先手頭、小普請支配、寄合肝煎、両番の番頭などの両番筋の出世コースを経て、能力があれば遠国奉行、勘定奉行、町奉行などにもなりました。
お礼
御回答ありがとうございます。 両番の番頭を経て遠国奉行や三奉行に就いたという事でしょうか? 番頭の方が格上かと思ってました。
お礼
詳細にご回答頂きありがとうございます。 御家人から勘定奉行に出世した人物もいたようですね。