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江戸時代の日帰り距離
江戸時代の人が徒歩の日帰りで遠出をした場合は片道20キロほどの所まで行ってこられると思いますが、代官などが一匹の馬で遠出(速駆け)をすると何キロ先まで行ってこられたでしょうか?
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江戸時代の馬は、今のアラブやサラブレッドと違って在来種ですから馬体もちいさくポニーなみで、100mもギャロップさせるとへしばったといわれています。 ですから公用の早馬のように、次々と乗り換える場合はともかく、普通の移動では馬を走らせることはほとんどありませんでした。 馬に乗れる身分の武士であれば、ふつうは馬だけではなく馬の口取りという従者をつれていましたので、走るにしても人間の走るスピードといっしょで、しかもよほどのことがない限り走ることはなくあるいていましたので、徒歩の移動に比べてそれほとど距離がのびるということはなかったとおもわれます。 代官の場合は、地方巡視はいちど出れば、部下の手付、手代などを引き連れて自分の支配地をひととおりまわるのが普通でしたから、日帰りで馬で遠出することもめったになかったと思われます。
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江戸時代の人は健脚なので一日で50~60キロは往復できたと思います。すべては条件次第です。どのような人が、歩く目的は・・など。 日本の在来種は時速40キロぐらいで走りますが、江戸時代の人が(武士が)馬で遠出をする場合は、人の歩く速度+アルファの速度だったと思われます。早がけはトップスピードでは2キロぐらいまででしょう。実際は早がけで遠出をするためには替え馬が必要です。日本映画も西部劇もヒーロがかっこよく登場し去っていくために、又演出上の制約もあり馬のシーンはウソが多いと思っていいでしょう。 アルゼンチンのパンパ(大草原)を旅する人は最低8頭を連れていたといわれます。馬は仲間と行動を共にする性質があり、一頭が調教されていれば8頭ぐらいのコントロールは容易です。しかし、映画に描かれれば1~2頭になります。
お礼
やはり替え馬がいりますか、どうもありがとうございます。
お礼
やはり普段はお供がいるので歩くのと距離は変わらないですよね、どうもありがとうございます。