あります。たとえば大石内蔵助(赤穂)の親戚は京都と津軽藩にいて、奥さんは豊岡の人です(さらに分家が広島にあったけれど、これは主家が本家・分家の関係だから別)。特に小藩が隣接してたくさんあるところでは藩を越えた通婚はしばしば見られましたが、よくよく見てゆくと、遠い縁戚関係にある家や江戸詰めのとき知合った他藩の家から婿(嫁)をもたったりするなど、他藩でもまったく見ず知らずの他人と縁を組むというのはめずらしいことであるようです。
芸事、学問、武芸などの筋だと、藩を越えて知合いが増えることはしばしばありますし、江戸詰めで他藩の人と知合い、それが帰国後も持越されたために藩を越えた親戚関係ができたり、あるいはもともとその地の地侍であった有力な一族があっちこっちで一旗あげていろんな藩に別々に抱えられ、親戚が広がるということもありますし、転勤のために別な藩に移動したり(まれではありますが、主家のお輿入れに付人としてついてゆき、嫁ぎ先の藩にそのまま抱えられる人がいました)、主家を退身して江戸で学者、武芸者として名をあげた人がもとの藩とはまったく別なところへ抱えられたために、遠くの藩に分家ができるということもありました。特に江戸中期以降多くなるようです。
お礼
いろいろな事例を示していただきありがとうございます、参考になりました。