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生きる

生きるとは何なのか。 生命とは何か。 機械が感情を持てば生命といえるのか。 生命の定義は、「感情がある」、「摂取して排出する」、「死がある」などでしょうか? 自殺する人々の心境とは。 人を殺す人々の心境とは。 生を実感するのは死の直前だという皮肉。 こういう哲学というのは考えても答えはないし、考えるだけで何かがかわるわけではありませんが、皆さんがどのように考えているのか知ってみたいと思いました。 上の箇条書き的な題から思うものをひとつでもいいのでお答えください。

みんなの回答

  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.14

私にとって「生きる」とは体験から学び、ネガティブな心をポジティブな心に変換することです。 そして人生の視野を徐々に広げ、アリトアラユル事を違った方向から見る事が出来るように自身を拡大していくことです。 生命とは「霊体」と「精神体」と「肉体」から出来たものだと思います。 本質は「霊体」でこれは永遠不滅です。 「肉体」はこの世に存在する為に必要不可欠なもので、これを「霊体」が「精神体」を通じて、操作しています。 「感情」は霊的エネルギーの一つの表現型なので機械が「感情」をもつことは無いと思います。 もし、持つとすれば、機械に霊体が宿ったことになるかもしれません。 「肉体」に「死」は存在します。「肉体」から「霊体」が去った時、「肉体」に「死」が訪れます。 でも「霊体」は永遠の存在です。 自殺する人は人生の苦しさから逃れるため、死後も生き続ける事を知らないために死んだら楽になると勘違いして実行します。 死後も自分自身は全く変わらず、むしろ自殺というネガティブな行いにより、より一層苦しく辛くなると知っていたら自殺する人なんているでしょうか? 殺人は自殺と同じネガティブな感情によって引き起こされます。自殺に向くか、殺人に向くか、両方か・・・は人と状況によって違います。 どちらにしても、破壊的、絶望的な負のどうしようもない救いがたい感情です。 生を実感するのは、自分が世の中に役立っており、他者を助けることが出来、必要とされていると感じ、「希望」と「自信」に満ち溢れている時だと思います。 人は永遠の輪廻転生の中で体験を通して魂にとって最も大切な事を自分なりに学び、次の人生に応用して向上させていそうです。 この世での学びが終わると、今度は生まれ変わる事無くそのまま学び続け、やがて聖霊と呼ばれるような存在になっていくそうです。 この宇宙には常に休む事無く「神のエネルギー」が働いており、生命を生み出し、育み、自然をも循環させています。 又「神の法則」が一分の狂いも無く働いており、行動の結果責任を行為者が受け取ることになっています。 (因果応報、蒔いた種は切り取らねばならない) ポジティブな行為にはポジティブな結果がまっており、ネガティブな行為にはネガティブな結果が待っています。最も大切なのは「動機」です。動機によって行為の意味が違ってくるそうです。 もし、苦しさから逃れ、幸せになりたいなら、まず自身の心の中から「苦のエネルギー」を排除し、心の内に「幸福のエネルギー」を育て築かなければいけません。 「幸福」は「他者、世の中へ奉仕する事」によって得られます。 なぜなら、因果応報により自分が外へ出したものは必ず自分に帰ってくるからです。 他者へ奉仕する人は、自身の向上と、進化と、神のエネルギーとの一体感を実感出来、他に得られない幸福感、恍惚感を感じることが出来ます。 その上、他者から同じように奉仕と好意のエネルギーを受け取ることが出来ます。 こんな風に私は考えています。 もっと知りたい方は下を参考にして下さい。

参考URL:
潮文社刊 「シルバー バーチの霊訓」12巻、「霊の書」上下など
  • tamaneri
  • ベストアンサー率40% (4/10)
回答No.13

>生きるとは何なのか。 機械が感情を持てば…などでしょうか?  『死』に対して『生』な訳で・・・ 『生』と『死』を分けて考えちゃうから、訳解んなくなっちゃうのかも・・・? 『単なる変化』って考えると、それほど難しいことじゃなくなってくるんじゃないでしょうか? >生を実感するのは死の直前だという皮肉  …も、「次、行ってみよう!的」に受け止めると、重苦しくなくなるでしょう? >自殺する人々の心境とは。  全てのしがらみから「解け(ほどけ)たいので」自ら進んで「仏(ほとけ)」になったのでしょうね?でも、御遺族は辛いと思います。自分は解けても周りがもっと解けなくなってしまいますからネ… >人を殺す人々の心境とは  きっと、その人を殺さなければ自分が自分の願い通りに生きていけないという、気持ちを非常に強く感じたときに、人は人を殺してしまうんでしょうね? やっぱり、『生』と『死』を分けてしまっているんでしょうね?  まァ、『生』の中にも『苦』と『楽』がありますけど…『苦』の無い『楽』も『楽』の無い『苦』も無いのでしょうけど…自殺をする人や殺人をする人はその辺のバランスが、うまく取れない人たちなのでしょうね?

  • kneissl
  • ベストアンサー率30% (97/320)
回答No.12

生きるっていうのは、突き詰めると、娯楽でしょうね。スポーツみたいなもんですよ。やる意味はないけど、それだけでいいねん、みたいな。 生命っていうのは、なんでしょうね。……わかりませんが、まぁ、絶対的な価値があるかと問われると、ないでしょうねぇ。ただ、存在するだけみたいな。 機械が感情を持てば、生命と言えるかどうか。これは難しいですが、多分言えないでしょう。だって、人間以外の動物のどこまでが感情を持ってるかわからないですし、(多分哺乳類はもってそうですけどね、虫とかキノコが感情を持ってるかなぁ……疑問です)統合失調症なんかで限りなく感情が無に近い人間は、そしたら人間ではないのか、といったこともあるでしょうから、機械が感情を持ったら、それは捉え方によるでしょうね。機械の中にも、機械らしい奴もおるし生命に近い奴もおるし、といった感じで。 生命の定義……まず、考えられるのは、種の保存てところでしょうか。必ず生殖活動はしますし、生殖活動がしたくなるようにできてますので、生命は。ですから、生物学的な話で行くと、「死」と「種の保存」みたいなことは、定義に必要でしょうね。「感情」とかは、かなり低位概念やと思います。今の段階で、必ずしも必要とは言えない。「摂取と排出」もそうですね。また、宇宙生命体なんかが見つかると、定義も大きく変わってくると思います。自分の身体で養分作ったり(植物ってそんな感じでしょ?)、死なない生命体って出てくるでしょうからね、一概には定義できません。とりあえず、地球に存在する生命体ということになると、「種の保存」が第一キーワードではないかな。 自殺する人々の心境は、俺は死んでないんでわかりませんが、「死ぬ意味>生きる意味」てことではないでしょうかね。言えそうなことは、そいつにとって、生きるよりも死ぬほうが大切やったってことですよ、きっと。 人を殺す人々の心境は、これも殺したことないんであれですが、でも殺したいと思うようなことは山ほどある。でも、俺がなんで人を殺せへんかと言ったら、なによりもリスクがでかすぎるんですね。というのも、何年も刑務所に入ったり、番号で呼ばれるよりも、今の生活続けるほうが絶対楽でしょうからね。だから、人は殺しませんが、俺に関して、傷害罪はありえますね。まあ、それもリスクと相手を傷付ける価値を比較した上での話になります。ですから、人を殺す人々の心境……どうなんでしょうか、やっぱりそいつにはそれなりの価値があることなんでしょうが、精神疾患を抱えている場合にはその限りでない、というところでしょうか。 とにかく、私が思うのは、生きるっていうのは、あくまでも遊びなんです。楽しくなかったら意味がない。刹那主義ではありませんが、全部リスク自分で背負わなあきませんからね、そのリスクでもええねんって、それができないようでは、人間としてはアマちゃんですね。人生や生命の存在自体に意味はありませんが(恐らく。あったら、面白いですね、SF小説みたいで)、そこに意味を見出したら、結局それが人生の目的です。絶対に間違ってない!誰の考え方も。 本日の格言 「人生とは、“無”というグラスに「娯楽」を注ぐことである」

回答No.11

生きるとは 戦うこと 笑うこと 愛すること 与えること 生を感じるのは死の直前だけとは限らないと思います。

  • chico-is
  • ベストアンサー率9% (35/357)
回答No.10

無明に縁りて老死あり、有に縁りて生あり。 魂は無始にして無終。

回答No.9

生きるとは何か。 circlepushさんも生きるということを知っているということを知っていないにすぎません。 機械は感情を持てません。(未来は何がおこるかわからない!) 自殺する人の心境は、死ぬことでしか希望が持てない環境(社会)であることが問題だと思います。 人を殺すということは、即ち自分を殺すことです。 生を実感するのは死の直前だという皮肉と思っている皮肉さ。

回答No.8

 生きているのは、人間の種としてみれば遺伝子を次の世代へと伝える為にでしょう。  でも、私たちはそれだけの生物ではなくて、他の生物と違って人生に意味を求めようとし、与えようとします。だから、「生きるとは何か」には決まった答えはなくてその人次第で変わってくるでしょう。  機械が感情を持てば生命といえるのか?まず機械がどのような状態になったら感情を持ったといえるか?というのがまだ解決してないかもしれません。AIBOなんて可愛らしいですけど、感情は持っていないように思えます。  自殺者・殺人者の心境は個々で違うでしょうけど、共通して言えるであろうことはそのように(自殺・殺人)した選択が、他の選択を選ぶよりも精神的・利益的に上回っていたからでしょう。自殺者は死んだほうがマシ、こんなに苦しいなら死にたいってことなんでしょう。殺人者は、プロ・アマいますんでアマの方はその方がマシってことなんでしょう。プロはちょっとわかりません、仕事と思って割り切ってるのかなぁ・・。それ(自殺・殺人)に至る状況として色々あるんですけど、それなりの原因があるとは思います。  あと、僕は料理が美味しかったとき、風邪をひいたとき、天気のいい空を見たとき、人と気持ちが通じたときぐらいでも生を実感したります。

noname#115004
noname#115004
回答No.7

「生命とは、無死無終である」とは、仏教感に立った回答です。中国の天台大師は、この生命の瞬間瞬間のありかたを「一念三千」という法門で表しました。その中に、「十界互具」というものがありますが、これは衆生の生命状態を十段階に捉えたものです。 1.地獄界 2.餓鬼界  3.畜生界  以上、三悪道と言う --------------------- 4.修羅界 5.人 界 6.天 界  以上、六道と言う --------------------- 7.声聞界 8.縁覚界 9.菩薩界 10.仏 界 以上の十界の中に、またそれぞれ十界を具し、その百界が顕われる十種の実相と相まって、三世間に実在する。と言うのが「一念三千」の法門です。また、十種の実相=十如是は、釈尊の著した「法華経 方便品」にあります。仏教哲学は、仏の説いた人類の幸福の為の偉大な哲学です。興味があれば、勉強してみてはいかがでしょうか?

  • word5000
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.6

「生命」について、僕自身も改めて考えてみました。一番近いように思えるのは、「意識と方向性」に関する所なのですが、これは「人間は、必ずしも本人がそれを望んでいなくても、注意を向けた方向に動いていく」という見方から出てきたものです。空間的には地球上という範囲でなら大抵望めばどこへでも行けますが、結局は「ある範囲内という枠」を感じ、満たされない所も出てくる。人間関係で言えば「感情面での相互を束縛する働き」が生じていると思えるのですが、これにしても「枠」であり、何らかの解放を求めることになると思います。結局は僕にとって「生命」とは「エネルギーの活動」であり、常に枠を突破して解放されようとする活動であるように思えます。こう見て行くと「生命の営み」と「進化」はほとんど同義であると思えます。この見方からすると、「殺人」は地球を壊して枠から解放されようとするようなものであり、「自殺」は生命そのもを壊して解放されようとするようなものに思えます。つまりどちらも「生命の内在的な意図」からすれば、誤った判断であると思われます。

  • hw4183
  • ベストアンサー率17% (15/86)
回答No.5

なぜこの科学が進んだ世の中で人間が、虫けら一匹の命も作る事ができないのでしょうか?アメーバさえ、小さな細菌さえ作れません。 不思議ですね。 生きるとは、与えられた生命を全うする事でしょうか。 与えられた生命を輝かす事でしょうか。 神が我のごとくになれ、と願われたのでしょうか。 あなたはどう考えているのですか?

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