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誰のせいなんでしょう?

以前メンタルヘルスのカテゴリで問題のある人間は 問題のある育ち方をしていると記載されているのを 見たのですが では極論ですが その人間が問題のある行動を 起こすのはいったい誰・何のせいなのでしょう? 私見ですが上記の事が本当だとすれば その問題を起こした当事者のせいでは ないと言う事でしょうか? 何故なら育ちがその行動を起こす要因に なっているのだとすれば 逆に言えば当事者は 被害者にも思えてきます と言う事はやはり回りの人間のせいなのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • luune21
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回答No.4

質問者の方は、単純化したいと思っていらっしゃるようですが、そもそもそれに無理があります。 さて回答は、 ・本人のせい(責任をとる意味ですよね)だけになるもの、 ・本人と周囲(社会的範囲のどこかまでかで限定)のせいになるもの ・本人のせいだが、それだけでは済まされない問題があり、現時点および将来に渡って検討すべき問題となるもの、がある、 そして、どれも捨てられない、ということになると思います。 単純化することはとても危険です。ひとつひとつきちんと情報を集めて、考えないと見えてきません。 この回答の条件は、「せい」というのが「責任の所在」を意味し、「問題の行動」というのが犯罪だけを意味しておらず、また普通の成人だけが対象ではない、と解釈して書いています。

その他の回答 (9)

noname#37852
noname#37852
回答No.10

補足です。 誰か一人の…と書きましたが、周囲の人や環境全体と読み変えてくださっても結構です。 でも後から思ったのですが、外国の「ゲリラに誘拐されて少年兵として育った」などの場合は、周りからの影響大でしょうね! それはもう、被害者と言っていいんじゃないでしょうか? 犯罪の被害者でもあるし。 でも、誘拐した側のゲリラも元々は社会の弱者で虐げられ、とか辿っていくと、またキリがなくなりそうですが…。

noname#37852
noname#37852
回答No.9

誰か一人の人のせい、と考えることはできない、と私は考えます。。 育った環境、周りの大人の態度などが影響することはあるし、そういう環境にあった幼い頃の本人に責任はないのですが、それにどう反応するかは、は影響を受ける側によって異なるから。 あと、社会状況や時代もあって、これは個人に選びようはありません。 臨床心理士の河合隼雄先生の対談本にあった言葉ですが、「どの世代でも途方のないこと(大事件)を起こす人というのが出てくるが、そういう人たちと一般的なことは別に考えなければならない」 「親がだめだから子がおかしくなると言われるが、親がだめでかえってしっかり育つ人だってたくさんいる」と。 専門家にもさまざまな見解があるでしょうから河合先生が唯一正しいとは限らないでしょうが、ひとつの見解として。 あとですね、アダルトチルドレンてありますよね。日本では元々の意味より広義になっていますが。 親や家族の影響で辛い(辛かった)自分を認めて、怒りや悲しみをいったん認識するんですが、「親が悪い」と親のせいにして解決するためではなくて、最終的に自分で困難を乗り越えて行くための過程としてです。 本人や直接の治療者が実感として「私は/この人は、誰からこういう影響を受けていると考えられる」と認識するのはいいと思いますが、問題解決という観点で考えると、「最終的には誰のせい?」という犯人探しはあまり意味がないように思えます。 また、決定的に一人だけ圧倒的な悪人がいなくても問題は起こりうる、と私は考えています。組み合わせの悪さもあるかなと。 たとえ周りに悪かった部分があったとしても、「あんたのせいだ」と人のせいにしている限り、本人が心底から楽になることは多分ありません。 親がどうであれ、「私の人生は私のものだ」という主体的な方向に行かないと。 (そう思えてくると、かえって親との関係も改善する、かもしれない) 回答にならないかもしれませんが。

  • kadowaki
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回答No.8

質問の発想形式に沿ってのみ回答する、つまり同じ発想で回答するするとしたら、なるほど「周りの人間のせい」になります。 と言うか、形式論理的に、初等数学的に言うとなると、そうとしか言いようがないということです。 ただし、この場合、「当事者のせい」とか「周りの人間のせい」という「せい」に道徳的、法的な意味合い、善悪とか是非とかという価値意識を混入しないことが前提です。 ところが、そもそもあなたが、こういう問題提起をした時点で、あなたの意識上には間違いなく道徳的な価値判断意識がせり上ってきているはずですから(無意識にせよ)、こういう形式論理だけで判断しようとすること自体が、自己矛盾ということになってしまいます。 また、こういう発想に対しては、あなたと逆な側から簡単に論破されてしまうと思います。 たとえば、「では、ある同一の家庭・教育環境のもとで育てられた人間のすべてが同一行動を取るわけではないのは何故か?」と。 私は、別段、環境以前の遺伝的資質によっても大きく左右されるとかと言いたいわけではありません。 形式論理というヤツは人間生活を営む上で、なるほど便利な道具ではありますが、これに限らず道具に使われてはならないということです。

  • hanpty
  • ベストアンサー率13% (12/88)
回答No.7

「誰のせいか」と「誰のおかげか」は表裏一体だと思います。 その意味で、本人のせいでしょう。 仮に育ちのせいだとすれば、その人が犯罪を犯すまいと我慢した事さえ育ちの(そこまで悪くなかった)おかげという事になってしまい、本人の人格を無視する事になりますから。

noname#17334
noname#17334
回答No.6

>その人間が問題のある行動を >起こすのはいったい誰・何のせいなのでしょう? この一点だけに絞って考えると、問題行動を起こすのは 誰の・何のせいでもなく、本人の思考パターン、精神構造に 生じた歪みや、間違った意識・解釈がもとになって引き起こされる ということです。 その、間違った思考パターンや、精神構造に生じた歪みや 間違った意識・解釈を植えつけたのは誰か? という問いは、親でもあるし、教育でもあるし、本人の嗜好でもある といえます。 いいですか。 問題のある人間は 問題のある育ち方をしている のであって、問題ある育ち方は、問題のある人間を作る原因の一つ にすぎません。 問題のある育ち方をしても、立派に真っ当な人間になっている 人もいます。 ただ、問題のある人で、まっとうな育ち方をした人は極めて稀だという ことです。 問題のある育ち方は、問題のある人間の必要条件であるけれど 十分条件ではないです。 羽があることは空を飛ぶうえでの必要条件ですが十分条件ではない。 空を飛ぶ動物は 羽がある 空をとべるのは羽のせいである それじゃなぜ、ペンギンや鶏は空を飛べない?

noname#17334
noname#17334
回答No.5

だれのせい という言い方は、そもそも子供の使う言い回しですね。 大人言葉に翻訳すれば、 何が原因かということと 誰に責任があるか ということを混同しています。 >問題のある人間は >問題のある育ち方をしていると記載されているのを >見たのですが  これは、発達心理学の専門家ならずとも知っている 一種の定説ですよ。 >その人間が問題のある行動を >起こすのはいったい誰・何のせいなのでしょう? 先天性であれ後天性であれ、原因がわかったところで、 その原因を与えたものの責任を追及することはできません。 子供時代に暴力を振るった親は確かに悪いけど その子が親になって子供に暴力をふるうとしたら その責任を先代にさかのぼって追及しても意味がない。 >私見ですが上記の事が本当だとすれば >その問題を起こした当事者のせいでは >ないと言う事でしょうか? せいではないというのは、責任がないということではなく 原因が別の場所にあるという意味です。 そういうことは他にもいくらでもあります。火事を起こした のはおじいちゃんのせいではない。おじいちゃんを放置した 息子のせいだ。とか 奥さんが浮気したのは本人のせいではなくて、奥さんを 3年もセックスレスで放置して夫のせいだ とかね。 行為そのものの原因がほかにあったとしても責任転嫁 できるかどうかは別問題。 法律や倫理の基本です。 >何故なら育ちがその行動を起こす要因に >なっているのだとすれば 逆に言えば当事者は >被害者にも思えてきます 当事者が被害者というのは論理として正しい。 >と言う事はやはり回りの人間のせいなのでしょうか せい・・・って何?って話です。 ひとのせいにする・・・てのは人に責任押付けるってこと 自分が被害者でも、その原因で別の事件の加害者になって いたら、責任追及は当人に及ぶのは当然のこと。 たとえば、親の離婚のせいで、息子がグレますよね。 TSUTAYAでCD万引きしたら、親の離婚のせいだと いうことでお店の人は許してくれますかね。

noname#25358
noname#25358
回答No.3

>問題のある人間は問題のある育ち方をしている  こういう考え方を「人格後天説」といいまして、人間の性格はすべて教育によって培われる、という考え方です。  つまり、全く同じ育ち方をすれば、全ての人間は同じ性格になるということです。  逆に、人間の性格は全て遺伝子が支配しているという考え方を「人格先天説」といいます。  この考え方では、人間は誰からいかような教育を受けようとも、最終的に出来上がる性格は変化しないと考えます。  現在は、これらの考え方は、どちらもあまりに極論過ぎて妥当ではないと思われるようになっているようです。

回答No.2

こんにちは 確かに考え出すときりがないのですが、 私は、問題を起した当事者の責任だと思います。 周囲の環境などが問題を起した要因・下地になって いたとしても、「決定」を下したのは本人に違い ないのですから。

回答No.1

本人の責任です。成人の行為はすべて本人の責任です。但し後見人制度の適用など受けている人は除外です。あと刑法39条に該当する人も除外ですね。

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