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社会問題に関心を持たない、または直接行動を起こせないことについて。
・自分も周囲も被害を受けているにも関わらず(社会問題などで) それについて関心を持たない、直接行動をしない人が大勢いるのはどうしてだと思いますか。 ・社会的には、(社会全体の改善のためなどに)行動を行ったほうが良いと解っているのに、それを自分の保身(利己心)のために行わない人がいるのはどうしたらよいと思いますか。 本当に利己的な人は、自分の利益のために社会問題を解決すべきだと考えると思います。けれど、自分だけの利益優先のため、解決しようとしない、社会全体の利益よりも個人の利益を優先する心理が人間のどこかにあり、それが出来ないことが多いと感じます。 このカテゴリーを見られている方は社会問題に関心のある人だと思いますが、どのカテゴリーに質問すべきか解らず、こちらでさせていただきました。 問いが解りにくい文章だとは思いますが、ぜひ、多くの方の回答をお願いします。
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社会問題とは幅広いですね。 社会的には、(社会全体の改善のためなどに)行動を行ったほうが良いと解っているのに、それを自分の保身(利己心)のために行わない人ですか。。。駅前の道路に違法駐輪する人が後を絶たないようにどうしようもないでしょうね。目の不自由な人のために道路に設置された点字ブロックなんてお構いなしです。ああいうの、ものすごく気になります。でも自分もしているかもしれません。 思い立ったところで・・・ (1)すべての社会人は労働を通じて社会に貢献しています。 製造、流通、販売等。 (2)一日の半分を労働に費やし、一日の半分を家庭と睡眠に費やす。行動を起こすには先立つもの(費用)がいります。多くの方は社会問題より家庭問題、仕事の問題のほうを多く抱えているのではないでしょうか。 そんなことに目を向けるほど暇じゃないといったところで。 (3)ユング心理学によるメサイヤコンプレックスという言葉があります。 良いことをしていると錯覚してボランティアに熱を入れすぎて家庭が疎かな人もたくさんいます。 http://yukitachi.cool.ne.jp/column/c012messiahcomplex.html 「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 「All about-ストレス」 http://allabout.co.jp/health/stressmanage/closeup/CU20060705A/index.htm 自分を幸せにすることが他人を幸せにするということです。 (4)社会問題は単純ではない。絶対的に正しいというものは存在せず、必ず賛成派、反対派がいてそれぞれにもっともな言い分があります。いろんな立場の人がいて、立場が変われば正しさも変わってきます。なかには両方の意見に板ばさみになる人もいます。 また何事も完璧と言ったものはないですから、すべてのことに欠陥なり問題なりあり、なにか一つ改善するたびにまた一つ違った問題が起こるといっても過言ではありません。結局はそういうことを繰り返しているのかもしれません。 過去の詰め込み教育が見直しされたと思ったら今度はゆとり教育は見直しされるように。。 環境問題と産業・経済は密接にかかわっています。 地球温暖化の影響で、2040年夏には北極海の氷がほとんど消えてしまうという話を米国立大気研究センター(NCAR)が発表しましたが 二酸化炭素削減にみんな協力しないでしょう。先進国のアメリカは京都議定書にすら入らなかったです。現在の地球温暖化は、主に先進国の経済発展のために引き起こされたものであって、発展途上国に経済発展するなとも言えないですしね。 身近なところではnanjyamonjyaさんや周りの人に二酸化炭素を排出するガソリン車(自動車)に乗るなとも言えないしね。 世界では7人に1人が日々飢えている反対で日本は食料を大量に廃棄しています。私の父も物を大切にしろと飢餓問題をよく口にしますが、本人も言うだけで酒を飲んではご飯は食べ残すし、コンビニの弁当は買ってきても絶対食べません。人間そんなものです。 思い立ったことをまとまりなく並べましたが、ご参考までに。
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- localtombi
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60年安保の時の国民の政治に対する高揚感からすると、現在は雲泥の差ですね。学生運動も「造反有利」ということで嬉々として加わったものですが、今はまったくその気運は伺えません。 話がちょっとマクロ的になってしまいましたが、身近な例では「特別会計やに手をつけないまま増税が叫ばれている」のにデモも何も起こらないですね。 「年金問題や公務員特権」もあって枚挙にいとまがないのに、何も起きません。 「一億総白痴」と言われましたが、まさに「一億総ノンポリ」ですね。 選挙の投票率が毎度低いのもうなずけます。 デモや集会も届け出制となって公権力で押さえつけることを許してしまったのも一因ですが、何よりも国民が“腑抜け”になってしまった、自分の問題として捕らえない(あきらめ)=政府には都合のいい環境、になっているのが問題です。
個は全体のためにあるべきかという難しい議論は別にして、 おっしゃる通り、 自分の保身(利己心)を最優先にする人もいますね。 しかしそれを責めるのは酷かもしれません。 その人はそれだけの人間なのだと割り切った方がすっきりします。 即身成仏の人でない限り、 自分が被害を受けて無関心ということは少ないと思いますが、 行動しない人、傍から見て無関心に見える人、 確かにいますね。 ただ行動を起さない人の中には、 無気力感から行動を起す気にならない人、 もいるのではないでしょうか? 投票には欠かさず行っているけれども、 いつものことながらまったく期待はしていない、 という人も結構いるのではないですか? ただ私自身は安部さんに期待しています。 大変な情勢下で総理になられて気の毒ですが、 上品な政治をしてくれるだろうとの願いを込めて。
- ok24
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ようするに、今の日本人は生かさず殺さずで生かされているので、どんなに政治家に馬鹿にされても、よほど大勢の人が生活に困らない限り、暴動さえも起こせません。今の日本人は団結心がありません。人の事を考えるほど余裕もなく、飢えるほど貧乏でもなく、丁度自分が生きられるくらいの状態を保たされているのです。だから、ほとんどのひとが自分のことで精一杯なのだと思います。私も社会問題については、いろいろな対策案を訴えたいのですが、どこで声を大にしていいのか分かりません、ぜひOKWEBでもいいですから、政治家に届く窓口を作っていただきたいと思います。いじめ、自殺、青少年犯罪の低年齢化、地球環境、正社員と派遣やアルバイトの雇用、モラル、常識、公務員の犯罪、病院の医療ミスや患者と看護士など数のアンバランス、会社における管理職たちの自分の意見もいえない無能さ、上げればきりがありません。そろそろ改革していきましょう。
- cse_ri2
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仏教でいう『利自利他』の考えですね。 他のために益となる行為は、めぐりめぐって自分のところに返ってくると。 この言葉は、真実だと思います。 しかし悲しいことに、現代人の多くは知識はもっていても、それを生かす知恵をもっていません。 また大学で専門分野を学ぶと、特定の分野には詳しくなれても、全体を見通すことがなかなかできなくなります。 こういうことは、本来ならば家庭や学校生活の中で自然と学んでいくものですが、最近は家庭も学校も崩壊していて、こういう生きた知恵を学べる場ではなくなってきています。 本来の教育は、知育・徳育・体育の三つ(食育も加えれば四つ)があるのですが、今の教育は知育が中心で徳育はほとんど顧みられていません。 子供の親の世代が、道徳を軽視した戦後教育でダメになってますので、これから学校できちんと道徳教育を施したとしても、社会に影響が出るのは二十年先で、教育がまともにはさらに二十年くらいかかりそうです。 しかし、始めないことには問題は解決しません。私は今の安倍政権の教育改革に期待をかけています。
- t78abyrf9c
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この問題は、「社会」だけを見ていては解決しないと思ってます。 大半の日本人にとって、行動を起こす原理となる対象は、「社会」に対してではなく「世間」に対してではないか、というのが私の考えです。 江戸時代以前の日本に「社会」という言葉や概念は存在せず、「世間」しかありませんでした。 「世間」に温存する負の面を打破しようと明治維新が起き、以降「社会」が日本に入ってきたのですが、当時の日本人は「社会」を入れさえすれば「世間」が無くなると思っていたようです。 しかし、実際は「世間」が無くなるどころか、「世間」が持っていた良い面が損なわれ、悪い面が増長する結果になっていると感じてます。 ですから、大半の日本人にとって「社会」で起こる事は「他人事」であり、自身が属する「世間」の範疇にまで問題が及ばないと行動を起こさないと思うのです。 「社会」と「世間」という二つの概念が理解出来ないと、恐らく解決しないでしょう。 以下に、両者の違いを考える上で参考になると思うページをリンクします。 http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/seken.htm http://kyasuhara.blog14.fc2.com/blog-entry-31.html http://kyasuhara.blog14.fc2.com/blog-entry-27.html http://kyasuhara.blog14.fc2.com/blog-entry-30.html http://nokai.jp/k-column/reader/wao_rea_02_01.html http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/jidai/0307/ji_307_030705.htm http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/jidai/0307/ji_307_030712.htm http://d.hatena.ne.jp/essa/20040322/p6 http://www.actiblog.com/ufjournal/20060809/ http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr00/mk/01.html http://red.ap.teacup.com/matayan/56.html http://imi.sfc.keio.ac.jp/lecture/textanalyze2001/guide/manual/2_5.html http://old2.josuikai.net/josuikai/21f/main53-1.htm
それにしても、余りにも抽象的で余りにも評論家的な質問ですな。 「社会問題の解決=自己の利益」という等式にも疑問が残ります。 例えば、リストラの阻止に決起したとします。 多分、首謀者は馘首されて収束することになるでしょう。 これは、社会における反リストラ勢力の地位を考えれば当然のことです。 大抵は、この手の社会問題に取り組めば敗北あるのみです。 そういう意味では、正に、働く者の戦いは敗北の歴史です。 そういう事情で、「社会問題の解決=自己の利益」という等式は存在しません。 さて、この敗北を承知の上で社会問題に取り組むには展望に対する確信が必要です。 さりとて、社会問題の本質と解決方向についてのマスコミ報道の本質は体制擁護。 あくまでも、評論家的なコメントの域を出ていないのが現実。 何のために敗北に敗北を重ねる必要があるのか? 果たして、勝利に至るプロセスは存在するのか? 果たして、マスコミ報道を打ち破る術はあるのか? 一人ひとりの不平・不満を組織する有効な方法は? 「マスコミ報道の欺瞞を打ち破り、敗北の向こうにあるプロセスを見せて個々を組織化する。」 まあ、気の遠くなるような取り組みです。 私は、この「気の遠くなるような取り組みの認識の困難性」に関心の薄さと行動への躊躇があると思います。 ですから、要は認識の問題が一つです。 私は、富や地位や名声と決別すれば、そういう行動への参加も屁でもないと思います。 が、実に、個人的な欲・利益との決別は至難の業ではないでしょうか? ですから、要は人格と人間性の問題が二つです。 質問者にその気があれば、「フォイエルバッハ論」でも読んで下さい。 ただし、現実問題、多少は金銭的なユトリがないとどうにもなりませんよ。 自らが、生活に窮していては社会問題もクソもないですよ。
- Antithese
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おそらくnanjyamonjyaさんは学生さんなんでしょうね。 社会に出て自立すると言うのは大変なことです。独身のうちはまだしも、結婚して家庭を持てば、家族を養わなければなりません。 多くの人は自分とその家族を守るのに精一杯なのです。色々な社会問題があるのはもちろん承知していますし、不満も持っています。しかし、だからといって家庭をないがしろにして社会問題に取り組む人はごく一部の人だけでしょう。 かく言う私も最優先事項は(自分を含めた)家族の幸せです。次いで他の親類縁者、友人や同僚といった目の届く人の幸せです。社会問題にはそれなりに関心を持っているつもりですが、恥ずかしながら具体的な行動は何も起こしていません。せいぜいブログで問題提起するくらいのものです。 私自身は、人類の一人一人が自分の目の届く人だけでもいいから、その幸せを願い、行動していけば多くの社会問題は解決するのではないかと思っています。同時にそれがどれほど難しいことで、理想論かということも理解していますが。
- water-cooled
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マスコミ的には税金の無駄遣いなどが大きな問題として取り上げられます。 これなどは選挙により直接訴える方法があるのに、政権が倒れたりすることはあまりありません。 これは意外に多くの国民がなんらか関わっているケースが多いためではないかと思います。 例えば、本人、家族が公務員だとか、役所からの仕事をやっているとか考えると結構な割合になり、なんの後ろめたさもなく批判できる人っていうのは少ないのじゃないかと思います。 同じことが社会問題全体についてもいえるかもしれません。
自分がやらなくても他の誰かが・・・ 自分一人くらい、やってもやらなくても・・・ そんなことより自分のプライベートのほうが・・・ なんて話は、よくありますね。。 結局のところ、自分に差し迫っていない(あるいは、差し迫っていないと思っている)から、なのでしょう。 もし、自分の家が火事になって、周りに誰もいなかったら、 他の誰もやってくれないから自分で火を消そうとするだろうし、 一人で消せるほどの火事でなくても消そうとするだろうし、 他にプライベートの用事があっても消そうとすると、思います。。。
- kamikazek
- ベストアンサー率11% (284/2372)
「他人事」だからです。 私もよくここに書き込みしてますけど 「他人事」だからです。 人は自分に直接傷を受けない限り 動かないですよ。 それは人間として当たり前だとおもってます。 良い悪いのジャンルではありません。 それなのに 人を助けて自分は死ぬという人がいます。 これほどすばらしい生物も 宇宙に2つと存在しないでしょう。