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大砲が出現する前の海戦について
昔、疑問に思った事を最近思い出したので、質問をします。 スペインの無敵艦隊をイギリス艦隊が破ったのはご存知でしょうが、ここで一つの疑問が浮かびました。それは、大砲出現以前の海戦はどのように行われていたか、という事です。 例えば、古代ギリシャの時代にはガレー船の船首についていたラムを使ったりしていたそうですが、後の時代になって、ラムなどが付いていない船の海戦などはどうしていたのか、という事。また、敵の船を沈めるにはどうしていたのか、などです。宜しくお願いします。
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オールか帆か、大砲などの火器の有無によってでもかわってきますが、最後は他の方達がお答えしているように、古代より切り込みが主でした。 まず、古代のローマに代表されるものはガレー船です。これは数十名~数百名のオールのこぎ手が鎖でつながれ人力推進します。船首にはラムとよばれる突起がついており、お互いの船腹を狙って突進し穴を開けます。甲板には投石機から油壺がうちだされ敵を焼き払います。舷側にはカラスのくちばしというフックの付いた渡り板を打ち込んで、兵士が乗り込み白兵戦をおこないます。 ギリシャ時代ではギリシャ火とよばれる火炎放射器のようなものも使われたと記録にあります。 ガレー船は巨大な帆船時代の18世紀まで使われました。これは風に関係なく進めることが非常に有利でありイギリス海軍の軍艦もアラビアのガレー船に負けた例が多くあります。 無敵艦隊ガ破れた理由はいくつかありますが、スペインのガレオン船は白兵戦を主眼に設計されていました。その為に甲板は広くとっていました。イギリスは砲戦を主に考えた設計でした。遠くから弾を浴びせれば白兵に長けたスペイン軍に接近されないで沈められると言う考えです。これは戦術的に見れば正しいのですが、それだと相手の艦は沈んでしまいます。あいての艦を拿捕すると莫大な利益がもらえるので兵士達は白兵戦を好みました。これは、イギリスが制海権をとってもかわらずです。この時代はすでに砲戦が主ですがイギリス海軍は船体を狙って人員を殺傷するのが戦術でしたが、フランス海軍は少し高めをねらって帆や帆柱などの策具を破壊し、動けなくなくすることを好みました。そのあと、切り込みたいが乗り移るわけです。 戦争で切り込みが最後に行われたのは第2次世界大戦で英国駆逐艦がドイツUボートに乗り込みました。
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- ss79
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カタパルトの表現にパチンコのようなといったのは撓みの力を利用して物体を投射する機械で、海戦の場合攻城戦のように堅固な城壁の破壊は必要ではありませんから小型軽量でよく船に積載可能なものでした。 火炎弾が主体なのは帆船は帆を失うと操船不能になり行動の自由を失うのでそれが目的です。 石弓は弓より小型で威力も強いので海上では好適でした。 弓は乱闘戦の接近戦では使いずらく距離のあいた間は弓が使われました。
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なるほど。火炎弾を使っていたのですか。木造の船体と布製の帆(これは現在もですが)ばかりの当時では、小さくても大きな脅威だったのですね。有難うございました。
- SCNK
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基本的にはボーディングすなわち、接舷切り込みです。アメリカ海兵隊は今では陸軍と同じような作戦をやっていますが、もともとの任務はこれでした。あとは水兵の反乱に備えることですね。 いまでも海上保安庁がやっているのが、これに近いわけですから、まったく過去のものではありません。 大砲が装備されてからも、大砲の威力で船を沈めることができるようになるのは19世紀末ですから、ボーディングの支援用としてあったようなものです。
お礼
「接弦切り込み」ですか。今も昔もやっていることは変わらないのですね。有難うございました
- 植田 謙一(@kennyan)
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大砲出現以前、日本では弓矢+白兵戦が主流でしたが、ヨーロッパでは投石器も海戦では使われました。陸上の投石器だと時間をかければ、巨大で投石距離の長いものも作れたのですが、船上ではそうもいかず、かなりしょぼいものだったようです。 その様子は、青池保子「アルカザル-王城-」(秋田書店プリンセスコミック)という少女マンガに描かれたことがあります。青池さんは、「できればこんなしょぼい戦闘シーンは描きたくなかったけど・・・」という意味のコメントをしていました。
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投石器といわれると、モンゴル軍の南宋攻撃を思い浮かべてしまいますが・・・。威力は別として、船に載せる事が出来るとは。なかなか面白いような。ありがとうございました。
- kageroho
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船は、大砲にとって素晴らしいメリットがあります。それは、海がクッションになるので、反動をあまり考えずに乗せられるからです。が、逆に致命的なデメリットもあります。自分も標的も常に動いているため、なかなか当たらないこと。そして、船は多少海面上を破壊してもなかなか沈まないのです。 そのため、大砲が乗せられてからも、海戦の基本は敵船に乗り移って制圧して拿捕するか、沈めるかという方法が長く使われており、日清戦争の清国艦隊には、多数の切り込み隊が乗艦していました。
お礼
日清戦争まで海戦の本質は変わらなかった、という事ですか。なるほど。本当に艦砲が海戦の主役となった時代はあまり長いわけではなっかた訳ですね。ありがとうございました。
- ss79
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木造帆船の場合、カタパルトという大型のパチンコのようなもので火炎弾を投射するか火矢で火をかける方法がとられました。 その他小銃兵が帆柱など高い所に登ってそこから狙撃する方法もとられました。 トラファグラー海戦でネルソン提督は敵狙撃兵に狙撃されて戦死しました。 小銃のない時代は弓矢が使われました。 敵船が消火などで混乱に陥ったら接舷して乗り移り敵兵を圧倒して勝利するのです。 しかしこの方法では敵兵が多い場合返り討ちにあう事もありました。 木造帆船は消火出来れば戦利品とするか、無理なら放置して沈没するにまかせます。 鉄造帆船でもほぼ同様です。
お礼
艦載用の投石器のようなものでしょうか。でも、パチンコのようなものだとしたら、寧ろ石弓(弩)と言った方が正しいでしょうか。海戦と言ってもやはり海兵が主力のようですね。ありがとうございました。
- ipa222
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ラムがついている船も、基本的には乗り移って剣で戦うというスタイルでした。 大砲を搭載しても、海兵隊が乗船していましたし、水平も剣で武装して乗り移って戦っていました。 沈めるよりも、船体を傷つけず拿捕した方が、懸賞金が貰えるので、、、 大砲も、国によって戦い方が違いますが、船体に穴を明けて沈ませるだけでなく、マストやセイルなどを破壊したり、乗員を殺傷したり、戦い方によって砲丸を変えていました。
お礼
ラムや大砲も初めから敵を沈めるのではなく、目的に応じた使い方がされていたのですね。なるほど。参考になりました。
- fortranxp
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三国志の赤壁の戦いでは敵の船に火箭を放ったと あります。
お礼
敵を初めから一蹴する目的であれば、燃やしたほうが早いという訳でしょうか。ありがとうございました。
- asuca
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船を横付けして兵士が乗り込んで相手を蹴散らして船に火を放って沈めるという方法がとられていました。
お礼
現代と全く違うようですね。ありがとうございます
お礼
国や兵の考え方により、船の装備や戦術も変わるのですね。有難うございました。